第31話

 交代で見張りをしようと言ったのはどちらで、いまはどちらが見張りの番だったか。

 たぶんどちらもフィリップだったと思うが、フィリップはその足音を聞いて


 二足歩行の足音が複数、森のそこかしこから聞こえてくる。十中八九、黒山羊にくっついていたカルト連中だろう。

 殺意に近い嫌悪感が鎌首をもたげるが、彼らに見つかれば即、黒山羊──シュブ=ニグラスの落とし子が出てくると考えていいはず。カルト全員と黒山羊を一網打尽にする場合、フィリップが切る手札は自ずと固定される。

 マチェットは論外。パンチ・キックも論外。では残るは領域外魔術だが、これは盤面返しなので最終手段。


 ルキアの足は限界だ。走ること自体はともかく逃げ切るのは不可能。戦闘と逃走の二つが無理なら、残る選択肢は隠れ潜むことしかない。


 「サークリス様、起きて──」


 揺り起こそうと手を伸ばした時、森の中に悲鳴が木霊する。

 女性の声だったが、ルキアはフィリップの前で寝息を立てている。となると、心当たりはもう一人の女生徒しかない。


 「ッ!?」


 跳び起きたルキアの口を押さえ、静かにとジェスチャーで示す。


 ルキアもすぐに足音と気配に気付き、こくこくと頷きを返した。


 今回のテスト、おそらく設計者はナイ神父だ。

 フィリップが自分に枷を付けなければ至極簡単になり、逆に枷を付けるほど難易度が上がる。しかも、ほぼ全ての人間を同等に無価値と認識しているフィリップが、殊更に嫌悪するカルトまで絡めてきた。

 この底意地の悪い感じはマザーでは有り得ない。だが、ナイ神父にしては甘すぎる気もする。彼ならば、試験官役にはもっと強力な神話生物を配置しているはずだ。


 シュブ=ニグラスの落とし子は個体差が激しい。一星を統べるような個体もいれば、宇宙の塵じみたものもいる。たかだかカルト風情と行動を共にしている時点で、あの個体の程度が知れるというもの。


 まあ、その他大勢の神話生物や外神と比べて強い弱いを論じることに意味はない。重要なのは、あれがフィリップが色々と捨てるには十分な相手だということだ。


 幸いにして、カルトたちの足音は遠ざかっている。もう一人の子を本拠地なり黒山羊の元へなり連れて行っているのか、或いはフィリップたちを探してなのかは不明だが、とにかく、一難は去ったようだ。


 「ふぅ……大丈夫みたいです」

 「えぇ、そうね……」


 互いに顔を見合わせ、安堵の息を漏らす。

 気が抜けたのかルキアは微かながら笑顔を浮かべていたが、フィリップの顔は険しいままだ。


 テスト用に配置されたオブジェクトの概要は見えてきた。だが、依然としてテストの内容は不明だ。どうなればクリアなのか。まさか盤面返しが正攻法ではないだろう。


 「あの魔物とカルト、一体どういう関係なのかしら?」


 探るような言葉の先は、フィリップでは無かった。

 聞かせるつもりも無かったであろう独り言に、フィリップは何も返さない。ルキアも何も言わず、黙考の姿勢になる。


 それはフィリップにも分からないが、どうすべきかは決まっている。


 「カルトは殺します。全員」


 肌のひりつく殺意に、ルキアが目を瞠った。

 殺気に慣れていないわけではないだろうが、まさか平凡な少年がこうも深い憎悪を抱くとは思っていなかったのだろう。

 どんな経験をしたのかと興味深そうに見てくるが、話すつもりは無かった。


 フィリップが意図した沈黙に耐え切れなくなったわけではないだろうが、ルキアはフィリップの右手を示して言った。


 「その腕輪は、どうしたの?」

 「これは……」


 二等地の一角を吹き飛ばしました、と打ち明けるべきか。どうせ顔も名前も割れているし、少し調べれば分かることだ。隠す必要もない。

 それに、フィリップもちょうど目が冴えていて、二度寝と言う気分ではない。ルキアの顔を見るに、彼女も同じなのだろう。


 「話すと長くなりますよ?」

 「……聞かせて頂戴」


 空が白み始めるまで、文字通り語り明かすつもりで始めた話は、いつしかルキアの話に変わり、またフィリップの話に変わり。それを何度か繰り返して、二人が互いのことに少し詳しくなった時には、二人は並んで眠りに落ちていた。



 ◇




 朝の森というのは、澄んだ空気と林冠から差し込む朝日によって、清涼な目覚めを齎してくれるものだと、何かで読んだ。

 フィリップは思う。「さてはお前、森で寝たことないな」と。


 フィリップの経験した森での目覚めは、朝露に濡れ、地面に体温を奪われて寒さに震えながら、周囲にうろつくカルトの気配や黒山羊の蹄音がしないかを警戒するという清涼とは程遠いものだった。


 カルトに関しては完全にイレギュラーだし、朝露はもろに気候条件だし、上着を地面に敷くのではなく布団のように被って寝たのはフィリップの知識不足だ。

 責められるべきはどちらかといえばフィリップなのだが、とにかく、フィリップは昔読んだ本の作者に呪詛を送った。


 同じような境遇のはずだが、ルキアは平然としていた。

 その差異には野営慣れではなく、その制服が非常に高性能だという要素が大きく影響している。


 フィリップと同じく朝露に濡れてはいるが、白いブラウスが透けて下着が見えるといったアクシデントは起こらず、長い銀髪を鬱陶しそうに手櫛で梳くだけだ。


 「お、おはようございます。サークリス様」

 「えぇ、おはよう。……凍える寸前みたいだけど、大丈夫?」


 こくこくと頷いたのか、ただ筋肉が震えただけなのか、ルキアには判別できなかった。


 ぱちりと指を弾き、魔術を行使する。

 林冠から差し込む陽光が微かに揺らぎ、フィリップの周囲がにわかに暖かくなった。


 「す、凄い。ありがとうございます」


 太陽光の限定的な屈折と、フィリップが炎上しない程度の制御。陽光がスポットライト状にならないように、光から遠赤外線を抽出しているようだ。

 指の一弾きで実行するには高度な魔術だが、光属性の聖痕者にしてみれば朝飯前か。


 「どういたしまして。朝食は……無理そうね」

 「いえ、僕が何か探してきますよ」


 そう意気込んで森へ繰り出したフィリップだったが、さて、フィリップの聞きかじり野営知識によると。


 「蛇が意外と美味しくて、キノコは駄目、なんだっけ」


 毒キノコを見分ける眼を持たないフィリップだ。地元の森ゆえ「これは死ぬやつ」くらいの知識はあるが、それ以外はまるで分からない。キノコ類を全て避けるのは勿体ない気もするが、万が一毒性の高いキノコを引いたら終わりだ。致死性でなくとも、幻覚で外神を見たらいろいろと諦めてクトゥグアを呼び出してしまうから。

 幸い、朝の森が冷え込んでいることもあって、蛇の行動はかなり鈍いはず。フィリップにはマチェットもあるし、頭部を切断して捕らえ、持ち帰ることもできるだろう。


 残念ながら、地面の小さな穴や根の隙間に隠れて眠る蛇を見つけることは出来なかったが。


 じわじわと空腹を感じ始めると、思考が過激な方へ向かう。


 「……シェボンって美味しいのかな」


 マチェットを弄びながら呟くフィリップは完全に蛮族だが、流石に子供が刃物を持った程度で敵う相手ではない。ジビエなど夢のまた夢だ。

 ちなみにシェボンは山羊の中でも成熟した個体の肉を指すので、正確には仔山羊の肉を意味するカプリットが正しい。


 「お腹減ったなぁ……お、キイチゴだ」


 何粒か摘んで頬張ると、強い酸味と仄かな甘みが口の中に広がる。栄養の多寡はともかく、空きっ腹に突き刺さるほど美味しかった。


 それなりの数をポケットに詰め、他に目ぼしいものが無いかと探す。

 川でもあれば魚や小さなカニでもいそうだが、森の食材といえば、あとは昆虫くらいしか思い浮かばない。野兎やブタといった選択肢はない。罠を作ってのんびり待つわけにもいかないし、火を焚いて調理もできないからだ。


 昆虫はウサギやブタよりも栄養価が高いと聞いたことがあるが、フィリップは非人間的なことをしたくないし、ルキアは美しくないことはしたくない。

 生き様に一家言あるという点で、ルキアとフィリップの思考は一致する。二人とも虫を食べようとは思わないはずだ。


 体力回復という点において、あまり意味のない朝食になる。

 しかし、美味い飯は精神を癒すことができる。このような状況下では無視できない影響だ。

 

 「戻りました。キイチゴしか見つかりませんでしたけど、朝食にしましょう」

 「ごめんなさい、何も手伝えなくて」

 「足が悪化したのは僕の所為ですから、謝らないでください」


 キイチゴをつまみつつ、二人で脱出について考える。

 カルトは夜行性なのか、影も形も見えなかった。しかし、森は変わらず黒山羊のテリトリーだろう。迂闊な行動は即、ルキアの死に繋がる。


 昨夜の時点で、救援を呼ぶという案には否決の判が押されている。

 森の中とは言え、閃光弾や狼煙の出所くらいすぐに分かる。救援が来る前にカルトに囲まれ、それをルキアがボコボコにした後、黒山羊に殺される。先ほどの焼き増しにしかならない。それとこれはフィリップの我儘だが、これ以上余人の目に黒山羊やカルトを触れさせたくはなかった。


 ルキアが提唱した「姿を隠して森を抜ける」という案は、確かに最善だ。光の屈折を利用した透明化の魔術は見せて貰ったが、素晴らしいものだった。だが残念ながら、フィリップでも分かるほど強大な魔力が漏れている。カルトの魔術師にも察知されるだろう。


 フィリップの提唱した「カルトを全員殺し、黒山羊からは逃げる」という案は、フィリップ視点では素晴らしいものだった。残念ながら、逃げ切れる可能性が50%を下回るということで却下されたが。一応、唯一神に頼るのではなく収束した光による熱攻撃など、物理的な攻撃なら通じるかもしれないとは伝えてある。勿論、かもしれないという部分にアクセントを置いて。


 となると、ここは。


 「魔術無し、自分の隠密技術のみで森を踏破する……」

 「えぇ。それが一番安全だと思うわ」


 見つかったら終わりである以上、魔力を察知される可能性のある魔術行使は厳禁。

 フィリップにとっては普段通りで、ルキアにとっては難しい条件だった。


 カルトに見つかったら、黒山羊を呼ばれる前に全員殺す。

 黒山羊に見つかったら取り敢えず攻撃してみて、無理そうなら逃げる。


 大切なのはこの二つだ。


 認識を一つに、頷き合って木のうろを出て──「ア゛ア゛ア゛ア゛」と、聞き覚えのある哄笑が聞こえた。


 「見つけたぞ。愛しき母の芳香を漂わす子よ」


 フィリップが腕輪を外すより、ルキアが魔術を行使するより早く、極太の触手が振るわれる。

 強かに二人の胴体を打ち付け、10メートルは離れた木まで吹き飛ばす。隠れ場所から一歩も逃げることなく、二人の意識は暗転した。


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