森の黒山羊
第25話
キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』
シナリオ2 開始です。
推奨技能は【応急手当】、【ナビゲート】か【追跡】、【信用】、【クトゥルフ神話】です。
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フィリップにとって最も急務だったのは、故郷の街で宿屋を経営している母への報告だった。
魔術学院への入学と、それに伴う奉公契約の解消は、王国法に基づく決定事項だ。
親の了承など必要ないし、書類にはナイ神父が保護者としてサインしている。王都にいる彼の方が何かと都合がいいので、フィリップもそれには納得している。
とはいえ、母はフィリップが今も丁稚として懸命に働いていると思っているのだ。ナイ神父に魔術を習い始めたことは、旧友である女将からも聞いているだろう。だが、まさか王都の一角を吹き飛ばし、一時的に拘留までされたとは知らないはずだ。継続的な拘束の代替措置として魔術学院に入学することも、また。
それらを説明する──納得させる必要はない──のが、入学手続きが終わるまでの期間でこなさねばならない、フィリップに与えられた課題だった。
「はぁ……」
フィリップの心中を表すような、重く、長いため息が漏れる。
同じ乗合馬車に乗っていた客の何人かが一瞥をくれ、すぐに興味を失う。
一応言っておくと、母親に会いに行くこと自体は嬉しいイベントだ。
価値観は順調に歪んでいるが、フィリップは10歳の少年だ。母親を恋しく思う気持ちはあるし、もしも一つだけ命令できるとしたら、フィリップは外神たちに「家族を傷付けるな」と命じるだろう。
それを人間性であると、そう主張出来たらどれだけ楽だろうか。
家族を──コミュニティを守ろうとするのは、社会性動物の基本的な本能に過ぎない。暗闇を恐れ、未知を拓こうとし、海や空に畏れを抱くのと同じ、単なる本能だ。
それを自覚しているからこそ、フィリップの心中は暗い。
尤も──
「溜息を吐くと、幸福が逃げるそうですよ?」
隣でそう笑いかけるナイ神父の存在が、最大のストレス源ではあるのだが。
故郷の街から王都までは、定期的に乗合馬車が出ている。
フィリップも王都に来るときに利用したが、運賃が安い割に乗り心地はそれなりにいい。デメリットは大人数を運ぶ都合上、スピードが出せないことくらいだ。あと、雨の日は蒸れるので、乗客全員がイライラする。たまに喧嘩騒ぎもあるが、街道のど真ん中で放り出されたら目的地まで歩くしかないので、だいたいは自重する。
逆に晴れた日は日差しや風が心地よく、乗客も気分よく会話したり、たまに食料や土産物なんかを交換したりしている。和気藹々と過ごしていれば、のろのろとした馬の歩みも気にならない。たまに到着したことを惜しむ者もいるくらいだ。
今日は折よく晴れで、風も柔らかい。
ナイ神父と行く、ゆらり乗合馬車の旅。
そんな表題が付きそうな状況でなければ、それなりに楽しい時間だったのだろう。
せめてマザーなら、と思わないでもないが、マザーもマザーで、ふとした拍子に乗客全員を皆殺しにしてしまいかねない危うさがある。
普通にどっちも嫌だった。
ナイ神父が乗客女性全員の視線を独り占めしており、連れの意識を奪われた男性からの怒りや苛立ちの視線も混じっている。
乗り合わせた者の8割ほどの視線を涼し気に受け流して、ナイ神父は馬車の外へ顔を向ける。柔らかな風に揺れる髪と穏やかな風貌が合わさり、とても絵になるのが腹立たしい。
「ほら、見えてきましたよ、フィリップ君」
この状況から逃れられるという喜びと、家族に邪神を紹介しなくてはならない憂鬱が半々で湧き上がる報告だった。
どうせ馬車を降りたところで隣にナイ神父がいることには変わりないので、喜びの方が僅かに薄いか。
「神父様は、ヴィーラムの町にお勤めなのですか?」
「いえ、小旅行で訪れただけですよ。普段は王都に身を置いています」
「まぁ、王都に? お若いのに、すごい神官様なのですね!」
馬車を降りてなお女性に囲まれている神父を一瞥し、このまま置いて行こうかと思索する。
勝手知ったる我が故郷だ。どこが安全で、どこが危険かは大体知っている。万が一のことがあったとしても、クトゥグア召喚のコツは掴んでいるし、腕輪を外せば問題なく詠唱できる。自衛としては些か以上に過剰だが。
そんなフィリップの思考を読んだのか、ナイ神父は名残惜しそうにする女性たちを適当にあしらってこちらへ歩いて来た。
フィリップにも分かるような色濃い嘲笑を浮かべて、一言。
「嫉妬ですか?」
フィリップの右手で、高まった魔力を吸収しようと、腕輪がかたかたと震えた。
◇
フィリップが故郷を離れ、王都へと丁稚奉公に出てからまだ一カ月くらいしか経っていない。
顔見知りに会えば何かあったのかと心配されそうで、何となく気まずいタイミングだった。喜んでいいのかは分からないが、結局、彼らの視線と意識はナイ神父が独り占めしていた。
すれ違う人々がフィリップに挨拶し、その連れに目を向け、意識を奪われる。そんな流れを飽きる程度に繰り返して、ようやく実家の宿屋に辿り着く。
受付に座っていた兄に至っては、フィリップより先に神父に目を向けていた。おかえり、ではなく、いらっしゃい! と挨拶したのが良い証拠だ。
フィリップの兄、オーガスト・カーター。フィリップと同じ金髪碧眼だが、3歳の差がある分、フィリップより背が高く体つきもがっしりしている。一月の間にまた背が伸びたらしく、受付の椅子に座っていてもフィリップと目線が同じくらいだ。
「お兄ちゃん、ただいま」
「ん? うわ、フィリップか」
「うわって……」
苦笑を浮かべた裏で、フィリップは深く安堵していた。
肉親に対しては、どうやら普通に対応できそうだと。
少なくとも兄に対しては、無価値だなんだという感想は浮かんでこない。再会の感動も薄いが、一月の別れならこんなものだろう。
「母さーん! フィリップが…… え? なんで神父様同伴で帰ってきたんだ?」
現状を説明しようとして、その異常性に気付いた兄の言葉は尻すぼみになった。
そもそも神父──司祭級の聖職者は、滅多なことでは俗世と関りを持たない。いち個人と交流し、その家を訪れるなど異常事態だ。あり得るとすれば、仕事の一環──病人の治療や悪魔祓いなど。
「まさかフィリップ、おまえ、悪魔に憑かれたのか……!?」
「いや、違うけど」
即答する。
悪魔騒ぎに巻き込まれたし、悪魔の何倍も質の悪いモノに憑かれてはいるが、悪魔憑きになった覚えは無い。だから否定し辛い勘違いをしてくれるな。
兄が冗談だと肩を竦めて見せると、受付の奥から不機嫌そうな女性が姿を見せた。
「オーギュ、あまり大きな声を……え? フィル? どうしたの?」
「お母さんも、ただいま。ちょっと色々あって、帰ってきたんだ」
フィリップとオーガストと同じ、金髪碧眼の女性。二人の母親であり、この宿の女主人でもあるアイリーンだ。
客もいるというのに大声を上げたオーガストを叱り、彼女はカウンターを回ってフィリップの傍へ出てきた。
「ちょっと痩せたんじゃない? それに、肌もちょっと荒れ気味ね」
「あはは、環境が変わったからね……」
超のつく高ストレス環境下に。
「それより、ちょっと大事な話があるんだ。今は忙しい?」
「それは……そちらの神父様に関係した話?」
魔術学院入学とナイ神父に直接の関係はないが、話には同席するだろう。魔術学院への入学は拘束の代替措置だ。そもそもの原因となった魔術を教えた相手というのであれば、説明のためそこに居てもおかしくない。また、ナイ神父は魔術学院に関連した全ての書類に保護者としてサインした身だ。顔合わせすらしていないというのは、むしろ異常かもしれない。
外神たちの興味の対象はあくまでフィリップ個人で、その家族には人間と同程度の──つまり、一切の興味を抱いていないのが幸いしていた。
「そんなところ。結構長い話になりそうなんだけど」
「うーん……今日は泊まっていくのよね?」
期待を滲ませた問いに、フィリップは苦々しい思いを隠して頷いた。
別に泊まるのが嫌と言うわけではない。ここはフィリップの生家だ。自分の部屋、自分のベッド、自分の枕で眠るのは久し振りだ。それを嫌う理由も無い。
嫌なのは、自分の生家にナイ神父が泊まることだ。しかも、ナイ神父とひとつ屋根の下で眠るなど。
帰りたいのは山々だが、そうもいかない。
乗合馬車はスピードが出せない性質上、魔物や盗賊の活発になる夜には運行していないのだ。日も暮れ始めた今頃では、きっともう手遅れだろう。
「じゃあ、夜にでも話しましょうか。夕方は忙しくて」
「そうなの?」
「えぇ。貸し切りのお客さんがいてね」
それは珍しい。
ヴィーラムの町は王都にほど近く、乗合馬車を含めた色々な交通の中継地点になっている。
その特性上、宿や食堂、厩舎は豊富だ。貸し切りになどせずとも、寝泊まりする場所に困ることは無い。大規模な団体客であれば、わざわざこんな微妙な位置の町に宿泊するスケジュールにすることもないだろう。王都まで行った方が何倍もいい施設に泊まれる。
わざわざ貸し切りにするような客と言えば。
フィリップは脳内カレンダーをぱらぱらとめくり、思い当たったイベントの一つを口にした。
「あ、野外訓練?」
「そう。いつもよりちょっと早いけどね」
毎年夏ごろになると、魔術学院や軍学校の学生が野外訓練に来る。
近所にある森がそれなりに深く、魔物や狼などの害獣が生息し、薬草なども自生しているといううってつけの環境だからだ。
似たような森は王国内に沢山あり、学生たちは幾つかの班に分かれ、それぞれの演習地で一週間ほど課題をこなすことになる。
野外訓練と言っても、野宿をするのは行程の最終日だけで、それまでは現地の宿を使って快適に過ごせる。尤も、王都の生活に慣れた彼らにとって、トイレで用を足した後に紙を使うことすらできないのは不便の極みだろうが。最近では先輩から教訓を得て、紙をどっさり持っていく者もいるという。
「去年はお向かいさんだったけど、今年はうちなんだ」
「そうなのよ。今日はまだ二日目だから、あと四日待ってくれれば──」
顎に手を当てて日を数えるアイリーンに、フィリップは首を振った。
「あんまり長居できないんだ」
右腕を振ると、サイズの合っていない武骨な腕輪が揺れる。
爆弾扱いの魔術師を見たことのなかったアイリーンが首を傾げ、フィリップは言葉の不足を悟った。
「魔力を吸収する腕輪なんだけど、もし壊れたり失くしたりしたら、王都衛士団に言って替えを貰わなくちゃいけないから」
「魔力を……? どうしてそんなものを?」
「話すと長くなるから、夜に纏めて話すよ。何か手伝うことある?」
フィリップが尋ねると、横からオーガストが割り込んで言う。
「薪探しと洗濯物の回収、どっちがいい?」
「なんでまだ終わってないのよ……」
呆れ声のアイリーンの様子から分かる通り、どちらも普通はとっくに終わっている仕事だった。
「じゃあ……薪取って来るよ。ナイ神父の案内よろしく」
兄のサボり癖は治っていないようだが、ちょうどいい。
一日中ナイ神父の傍にいるというのもぞっとしない話だ。これ幸いと家を出ようとして、オーガストに肩を掴んで止められた。
「ちょっと待て。えーっと……これ持ってけ」
カウンターからごそごそと取り出したのは、フィリップの腕ほどの刃渡りを持つ大ぶりのマチェットだった。
薪といっても、何も生木から枝を斬り落としてくるわけではない。落ちている枝の中で、良さそうなものを拾ってくるだけだ。不要な荷物が殊更に足を引くような深い部分まで行くつもりはないが、些か物騒ではなかろうか。
「なんでマチェット?」
「護身用にな。ここ最近、狩人連中がビビるほどのがいるらしい」
「え……」
弓矢を持ち、薬草や獣の経験と知識を持つ狩人が恐れるほどの獣? それは魔物じゃないのか。マチェット一本でどうにか出来る相手じゃないだろう。
「魔物? それとも熊?」
近くの森でクマが出たという話は聞かないが、もし弓矢が通じないほどの大熊なら、かなり大掛かりな罠を張る必要がある。狩人たちも慄くだろうと勝手に納得していたのだが、オーガストの返答は予想の斜め上だった。
「いや、山羊だよ」
「や、山羊……?」
確かに森で山羊を見たという話は聞かないが、山羊は草食動物だ。ということは、こちらから攻撃しなければ基本的には温厚なはず。弓矢で武装した狩人がビビるような相手かと言われれば首を傾げざるを得ない。
偶蹄目の強靭な脚力に固い角を持つ山羊、中でもアイベックスなどの攻撃的な種を知らないフィリップはそんなことを考える。人間など簡単に蹴り殺せるし、角で吹き飛ばすこともできるのだが。
「そう。なんか黒山羊が群れで囲んで、何をするでもなくじーっと見つめてくるんだってさ」
フィリップは頭を抱えそうになるのを苦労して自制した。
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