第24話

 つい一週間ほど前にも似たような状況になった。


 あの時「魔術を学べ」と言ってきたのはナイ神父で、その目的はフィリップの強化、延いては魔王より与えられた命令の遂行にあった。

 そこにフィリップの意志は関係ない。乗り気でも、そうでなくとも、彼らは淡々と実行しただろう。


 そして今回もまた、おそらく。


 「これは未熟で魔力を制御できない、かつ強力な魔術師に課される処置だ。申し訳ないが、拒否権は無いと考えてくれ」


 申し訳ないと団長は言うが、王国の制度を決めたのは彼ではない。

 謝る必要など無いし、召喚物の制御を誤った──正確には召喚そのものをトチったのだが──フィリップには当然の処置だ。扱いが爆弾と同じだというのなら、その場でされなかっただけ有情とも言える。


 魔力の制御できない魔術師なんて一般人と同じだと思うかもしれないが、それは違う。

 何かの拍子に魔力がエネルギーに変換され、肉体諸共に弾ける……というのはマシな方。どこぞのカルト教団のように『繋がっちゃいけないところ』と不意に接続して、挙句それが道のど真ん中だったら?


 魔術は未解明要素の塊だ。今まで起こらなかったことが、次の瞬間にはポンと実現しているかもしれない。彼らの対応は正常で、正当だ。


 「あー……」


 神父の顔をそっと窺うが、仮面のような微笑が内心を量らせない。

 魔術学院への入学。フィリップの強化という点では問題ないはずだが、彼の強化計画は一時の中断を免れないだろう。その程度で盤を返すほど怒ったりはしないと信じたいが、もしかしたら。


 フィリップの心配を余所に、ナイ神父は鷹揚に頷いた。


 「それが王国の沙汰だというのであれば、是非もありません。フィリップ君、私の授業は一時中断としましょう」

 「え、あ、はい。分かりました」

 

 王国の法に基づく命令だ。いくら神父──司祭位の聖職者とはいえ、口を挟むことはできない。

 個人間の契約も同じだ。王国法はそれより優先される。


 そして邪神の機嫌と策謀は、あらゆる人間の都合に優先される。フィリップも含めて、だ。

 

 ナイ神父が是と返した。であれば、それは魔王の意に、いや、魔王の命に沿うことなのだろう。フィリップに拒否権は無い。


 「書類等の手続きは私が代理人として処理します。フィリップ君はお疲れでしょうし、そろそろお家に帰してあげられませんか?」


 団長が頷くと、ヨハンがさっと立ち上がり、壁際に据えてあった棚から武骨なブレスレットを取り上げる。


 「魔力を吸収する腕輪だ。容量的に、たぶん一週間くらいは保つと思う。ひび割れてきたら、ここに交換に来てくれ」

 「分かりました」


 錬金術製の特殊合金らしき材質のそれは、外見の割りにかなり軽い。とはいえ大人用らしく、かなり邪魔だ。


 フィリップが鬱陶しそうに腕輪を弄っていると、団長が苦笑を向ける。


 「すまんな。魔術学院に入るまでの辛抱だ。具合は……うむ、良さそうだ」


 その腕輪は魔力を無限に吸い上げるのではなく、一定値を残した余剰分を吸収する仕組みらしい。

 もともと魔力量が多いわけではないフィリップなら、確かに一週間くらい保ちそうだ。それ自体が邪魔という不快感はあるが、魔力欠乏に特有の倦怠感などは無い。


 手続きにどのくらいかかるか分からないが、それまではゴテゴテの安全装置付きで過ごすことになりそうだった。



 留置所を出ると、意外な顔がフィリップを出迎えた。


 儚げな相貌と銀糸のような髪は、静かで淑やかな立ち姿によってその美しさを際立たせている。道行く者はその立ち姿に、その妖艶な魅力に溢れた肢体に、そして非日常的なゴシック調の喪服に目を惹かれる。

 平時であれば声を掛ける男の一人、二人、この留置所の真正面であっても居そうなものだが。


 「…………」


 この殺気に気付けないほどの馬鹿はいなかったらしい。


 留置所の正門、そのど真ん中ド正面に立ち、全身から殺気を滾らせていれば、絶世の美女も危険な不審者に早変わりだ。

 門番役の衛士が顔を引き攣らせ、しかし最後の一歩を踏み出さないマザーには何の対処も出来ず、その一挙手一投足を観察している。


 さて、この街の寿命はあとどれくらいだろうか。


 通用口から出てきたフィリップを見つけると、カウントダウンは停止する。


 ヴェール越しにも分かるほど華やかな笑顔を浮かべて、マザーはフィリップに駆け寄り、抱き締めた。


 「おかえり、フィリップ君。大丈夫だった? ヤマンソに何かされてない? 拘束されて苦しくなかった? ごめんなさい、貴方を助けようとしたのだけど、そこの■■■が邪魔をするものだから」


 耳朶を打つ甘やかな囁きに混じる、およそ人の口からは出ることの無い冒涜的な罵倒。

 衛士達が聞いていれば嘔吐か卒倒は免れないようなそれの宛先は、マザーの視線を追うとすぐに判明した。


 フィリップの知覚能力では察知のしようもないが、彼がその存在を知覚させてくれれば別だ。


 留置所を守るように、その敷地と地下空間の強度が増している。

 物質の硬度や強度が云々ではなく、世界そのものが確立し、固定され、外部からのあらゆる干渉を跳ね除けるほどに。


 「な、なるほど……」


 そこは完全にヨグ=ソトースの支配下──いや、彼そのものだった。

 如何なシュブ=ニグラスとはいえ、ヒトの化身を象ったままでは突破どころか干渉も難しいだろう。


 「ま、まぁ、これは仕方ないですよ。拘束も苦しくありませんでしたし、大丈夫です」


 邪神大戦開幕まで秒読みだったし、そのど真ん中にいたらしい。

 顔の引き攣りを抑えて笑顔を浮かべると、マザーも安堵したように微笑みを返す。そして、フィリップの右腕に嵌った──というか、半ばぶら下がるように付いているサイズの合わない腕輪に目を留めた。


 「あら、なぁに、それ?」

 「あ、えっと、魔力を吸収する腕輪だとか……」


 フィリップが邪魔そうに弄ぶと、マザーがそっと手を差し出した。

 反射的に渡しそうになって、すぐに手を引っ込める。


 「いや、壊れちゃいますよ」

 「あら、そうなの?」

 「まぁ、多分……」


 腕輪の効果は「残余魔力が一定値になるまで吸い上げる」だ。

 仮にその数値を10、フィリップの魔力を50、腕輪の限界値を100とすると、フィリップが二人居ても問題なく魔力を制限できる。だがマザーはというと、その魔力量はフィリップの100倍では利かないだろう。


 壊れるくらいならいいが、爆発でもされると面倒だ。特に衛士たちの目の前では。


 「交換しに行くのも面倒なので、触らないでくださいね」

 「えぇ、分かったわ。それじゃ、左手を出して?」


 言われるがままに腕輪の嵌っていない方の腕を差し出すと、マザーが柔らかくその手を握る。


 嫌悪感に混じる、安心感や温かさ。悍ましく、心地よい、不思議な感覚だ。


 「帰りましょう?」


 柔らかな微笑と共に、その手が引かれる。


 嫌悪感が薄れつつある自分を呆れ交じりに自覚して、フィリップは大人しく従った。




 ◇




 煩雑な書類手続きは終わり、ヨハンは神父を見送るために出て行った。


 衛士団長は一人、応接室に残り、ソファに深々と座って天井を仰ぎ、瞑目していた。


 「あぁぁぁぁ……」


 口から漏れる呻きは、極度の緊張から解放されたことによる安堵のもの。


 弾みをつけて身体を起こすと、テーブルの引き出しから書類の束を取り出す。

 表題には『人物調査書』とあり、副題には先ほどまで正面に座っていた少年、フィリップ・カーターの名前がある。


 フィリップ・R・カーター。臣民管理局の記録によると、今年10歳になった少年。王都外の街で宿屋の次男として生まれ、奉公契約に基づき王都へ出向。魔術適性は未検査につき評価無し。


 いち平民、しかも王都外の人間だ。記録はこの数行で終わっている。

 前科無し、近親者による犯罪歴も無し。近親者の魔術適性から推測される本人の魔術適性は一般の範疇。まさに十把一絡げの平民だ。


 あんな馬鹿げた召喚魔術を行使できる才覚者とは思えない。血統に拠らない突然変異的な魔術の天才か。或いは。


 「教育者がおかしい、か……」


 ページをめくる。

 フィリップの調査書は一枚だけで、次の書類は表題の下にナイ神父と書かれている。


 詳細──不明。


 臣民管理局にあるのは、二等地の投石教会に赴任してきたという記録だけ。いや、より正確には。


 「教皇庁による一級閲覧制限、ね……」


 一級といえば、国王や王太子といった国家の最重要人物しか閲覧を許されない、最重要機密区分だ。


 「こっちも……」


 もう一枚。名前はマザーとなっている。

 そもそも臣民管理局の人物調査書に役職が書かれている時点で可笑しい。普通はフィリップのようにフルネームで書かれる。


 そしてこちらも当然のように、教皇庁による人物記録の閲覧制限が掛かっている。


 ただの教会関係者ではないだろう。良くて教皇庁からの出向。正面戦闘で悪魔を下したという報告が本当なら、その戦闘能力は一介の神父の領分を大きく超える。

 教皇庁、延いては教皇直轄領ジェヘナは、一切の武力を保有していない。だが、彼らが聖騎士と高位神官からなる精強な特殊部隊を擁するのは公然の秘密だ。


 「教皇庁の尖兵、か?」


 正体不明の二人の神官。警戒が必要だと強く認識する。


 衛士団長は書類をテーブルに投げ出し、もう一度天井を仰いだ。

 想起するのは、フィリップを捕縛したときに同行していた衛士たちだ。その約半数が──本部の医務室で療養している。


 怪我をした訳ではない。彼らはみな一様に、その精神を病み、健忘や反響動作といった狂者に特有の症状に憑かれているのだ。

 

 衛士団の医官は腕利きだが、それは外傷や毒といった戦闘時に発生しうる傷害に対しての治療が主だ。精神を病んだ者は往々にして修道院へ送られ、軟禁生活となるがゆえ、その治療に関するノウハウはない。

 彼らは自傷行為に走らぬよう拘束され、寝台の上で睡眠魔術を掛けられて昏睡している。


 フィリップの召喚した火の妖精──いや、それに類する何か。あれが原因であることは間違いない。


 「教皇庁め……子供を使って何をするつもりなんだ……?」


 衛士団長は少年を案じ、せめて教皇庁といえど干渉できない学びの聖域、そこでの生活が有意義なものとなるように祈った。


 「神よ、少年にご加護を」


──────────────────────────────────────


 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ1『潜む悪魔』 ノーマルエンド


 技能成長:【応急手当】+1d3 【オカルト】+1d3 【魔術理論】+1d10

 SAN値回復:なし


 取得物:呪文【クトゥグアの召喚】 魔術学院への入学書(処分不可) 魔力制限の腕輪(処分不可)


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