第23話

 地下牢というものは、どこも似たような造りらしい。


 魔術で成形し、錬金術製の建材によって舗装された床や壁。魔力を制限する効果のある手枷から伸びる鎖は、壁に埋まった杭と繋がっている。

 いつぞや見た、というか捕まっていたカルトのものと同じだ。何なら、こちらの方が築年数があるだけにちょっと汚い。


 まぁ、あの時は目に映る全てが美しく感じるように薬を盛られていたので、あまり意味のない比較だ。


 魔力を制限され、ヤマンソとの接続は遮断された。

 本体から遠く離れた地球で化身を顕現させ続けるのが面倒だったのか、或いは副王が何かしら手を回したのか、ヤマンソは大人しく帰還してくれた。


 を手放した今もこうして王都衛士団の留置場に拘留されているのは、フィリップがその爆弾をいつでも再召喚可能ということと、その破壊規模が問題視されているからだ。前者に関しては、再召喚というより召喚しても制御できないという点に問題があるのだが。


 拘留から3日。

 待遇はそこまで悪くない。三食おやつ付き、手枷付きであればシャワーもできるし、暇つぶしなら看守が話し相手になってくれる。ベッドはそこそこ柔らかく、地下ということもあって暑くも寒くも無い。

 目覚めた衛士たちが悪魔の存在と、フィリップが彼らの手当てをしていたことを証言してくれたのが大きい。投石教会で魔術を学んでいたことも調べが付いたようで、教会関係者待遇なのかもしれない。


 少なくとも処刑はされないだろう。悪魔として扱われることもない。

 となれば、ここには触手カラスの監視もなく、ナイ神父もマザーもそう易々とは侵入できない極楽浄土。もう何か月か、いやもう何年かはここに居てもいい。


 王国屈指の実力者集団である衛士たちは、フィリップを必要以上に警戒したり、恐れたりしないというのもいい。

 警戒はある。恐れもある。だが、過剰では無く、不足も無い。という但し書きが付くが。


 召喚魔術師としての機能を制限された今のフィリップを、彼らはただの子供として扱っている。適度な尊重、適度な軽視、適度な警戒。素晴らしい。嘲笑も冷笑も愛玩も混じらない。なんて素晴らしい。


 「ここに住もうかな……」


 うっかり漏れた心の声に、牢の外にいた看守が苦笑いを浮かべる。

 待遇が良いとは言うが、それは他の牢獄と比べての話だ。地下牢は地下牢。行動を極端に制限し、空を見ることにすら書類の提出が必要なクソのような場所だ。


 三等地──いや、王都外の街でもここより何十倍もマシな暮らしができるだろう。


 「そう言わないでくれよ。色々と手続きを進めてるから、もうじき出られるさ」


 皮肉と受け取った看守が肩を竦めてそう言う。

 フィリップも同じジェスチャーを返し、冗談だということにする。


 少しすると、地上へ続く階段から硬質な足音が聞こえてきた。

 時計の無い地下空間では時間の感覚が薄れるが、朝食はついさっき摂ったばかりだ。看守もそちらに目を向けるが、入ってきたのは平服の男だ。


 「あ、団長。お疲れ様です」


 衛士団長=ちょっと豪華な鎧の人という等式が頭の中で成立していたフィリップは、看守の言葉と敬礼を確認するまで誰か分からなかった。


 彼は看守に返礼すると、フィリップの牢を覗き込んだ。

 鋭い視線がフィリップの頭頂から爪先を舐め──白い歯を剥き出しに、粗野ながら明朗な笑顔を浮かべた。


 「元気そうだな、カーター少年!」

 「……お久しぶりです。お陰様で、体調に問題はありません。もう二、三年はここで暮らせますよ」


 フィリップは王都にやってきた初日に巻き込まれた拉致事件の聞き取り調査で、衛士団の数人と面識があった。衛士団長もそのうちの一人だ。


 「あっはっは! なら、これは朗報ではなく悲報かもしれんな!」


 衛士団長は笑いながら、小脇に抱えていた書類の束を見せる。

 鉄格子まで距離があるが、表題くらいは難なく読める。


 『執行書』。ふむ、なるほど。内容が重要な書類か。


 「……処刑ですか?」

 「勿論、違うぞ! これは──君の釈放に関する書類だ! たぶんな!」


 朗らかな、しかし曖昧な言い方に首を傾げると、看守が苦笑いを浮かべる、


 「団長、それ、誰が作った書類ですか?」

 「騎士団長だ! 二等地を吹き飛ばした罪を悪魔討伐の功で相殺するように、ボコ……脅し……言いくるめて来た!」


 チンピラかよ、と。看守とフィリップの心が一つになる。前任の衛士団長を知っている看守は、仕方ないか、と首を振っていたが。


 というか、そういえば。フィリップは今更ながら、自分が二等地の一角を吹き飛ばしたのだと思い出した。


 「死者とか、怪我人とか、いなかったんですか?」

 「避難は済んでいたからな! 共に、ゼロだ!」


 その質問と、返答を受けての安堵の息は意識してのものだ。

 消滅した建物の数と立地を考えれば、100人規模で殺していたかもしれない。常人であれば、この三日間ずっとその恐怖に震えていてもおかしくない。


 高位悪魔を殺した興奮も、人を殺したかもしれない恐怖も、家々を焼き払ってしまった罪悪感も、フィリップの心には浮かばなかった。どころか、独房暮らしを満喫する始末。


 人格の破綻と価値観の変化が進んでいる。

 良くない兆候だ。いや本当に。人間を人間たらしめるのはその思考だ。イス人やグールを知っていれば誰だってその結論に至る。


 何より不味いのは、その現実に気付いたフィリップが苦笑を浮かべていること。今までのフィリップであれば眉根を寄せ、激しく顔を顰めていたはずだ。不味いと理解してはいるが、実感が薄れてきている。


 心底からの溜息を吐いて、フィリップは衛士団長に向き直った。

 よし。……後回しにしよう。現実逃避とも言う。


 「弁償とか、どうなるんですか?」

 「君が心配する必要はない。というか、今回の一件はだいたい俺らが悪いからな」


 答えたのは、団長から書類を奪い取って熟読していた看守だ。

 資産など無いフィリップは一安心と溜息を吐く。


 「えーっと、あとは……おっと。そんなことより、ここを出る方が先だよな」


 悪い悪いと笑って、彼は地下牢の扉を開ける。

 三日ぶりの娑婆だ、と、伸びをして──留置場内の別室へと案内された。



 取調室より幾らか小綺麗で、犯罪者以外の接待に使われるらしいソファと机を据えた部屋だ。

 扉を開けると、中には既に一人の衛士が待機していた。


 ローテーブルのホスト側に座っていた彼は即座に立ち上がり、団長へと敬礼する。


 「お疲れ様です、団長」

 「おう。ご苦労さん」


 顔や籠手を着けていない腕からは包帯が覗き、かなりの傷を負っていることが分かる。

 もしやと思い顔をじっと見つめるが、包帯のせいで人相が判別できない。


 その視線に気付いた衛士が苦笑を浮かべ、名乗ってくれる。


 「俺だよ、ヨハンだ。三日ぶりだな、フィリップ君」

 「あぁ、ヨハンさん。傷は大丈夫ですか?」


 悪魔との戦いで負傷した彼に応急手当を施したのはフィリップだった。とはいえ、それは日常生活で負う小さな傷に対しての治療方法を、刀傷や魔術的な炎に対して無理矢理に拡張した拙いものだ。 

 素人の処置がプロの治療を妨げてはいなかっただろうかと、そんな意図のある心配だったのだが、ヨハンは深く頷いた。


 「あぁ。うちのヒーラーに聞いたよ、君が応急処置をしてくれたんだってな。本当にありがとう」

 「いえ、僕を守って負傷されたんですから、当然です」


 フィリップがそう言うと、ヨハンは少し考えて首を横に振った。


 「いや、俺たち衛士が守ったのは二等地……いや、この王都の住民だ。君もその中に含まれるというだけで、つまり、君が責任感や罪悪感を持つ必要はない」


 口下手か、と呟いた団長を睨んで、ヨハンはぽりぽりと頭を掻いた。


 「まぁ、なんだ。そんな訳だ。……それより、君の今後について話さなければならないんだ。取り敢えず座ってくれ。もうじき、保護者の方も来るはずだ」


 ゲスト側のソファを示され、フィリップは大人しくそれに従った。


 保護者が来ると言われて、フィリップは地下牢に戻りたくなった。

 誰が来るにしても、だ。


 奉公先の主人と女将に迷惑をかけるなど言語道断、衛士沙汰など論外だ。


 ナイ神父には色々と聞きたいこともある。ベストとは口が裂けても言いたくないが、ベターではあるか。

 マザーだったら最悪だ。フィリップを拘束している相手の話を聞いてくれるとは思えない。というか、フィリップが地下牢に拘束されていることを知った時点で留置場を吹き飛ばしていてもおかしくないが、ナイ神父が上手く誤魔化してでもいるのだろうか。


 こんこん、と、二度のノック。


 立ち上がったヨハンが扉を開けると、やはり、ナイ神父が立っていた。


 「やぁ、フィリップ君。お元気そうで何よりです」


 浮かべた笑みには珍しく嘲笑の色が薄く、何なら上機嫌に見える。

 悪魔の襲撃に際して姿も見せず、そのうえ捕まったフィリップの前にニコニコ上機嫌で現れるとは良い根性だ。コツは掴んでいる。ここを出たら早急にクトゥグアを召喚してやろう。


 ピキピキと青筋を立てているフィリップを完全に無視して、ナイ神父はその隣に腰掛けた。


 ヨハンが対面に、団長がナイ神父の向かいに座り、対談が始まる。

 口火を切ったのは衛士たち。


 「まずは、謝罪を。今回の一件では大変なご迷惑をおかけしました。今後はこのようなことの無いよう、我々も一層、訓練と巡回を強化いたします」


 団長が深々と頭を下げ、ヨハンもそれに倣う。

 思い当たる節の無い謝罪に困惑するフィリップに、ナイ神父がそっと耳打ちする。


 「王都の掃除は彼らの仕事です。悪魔の跋扈、その襲撃に君を巻き込んだこと、その両方の責任は彼らにあると言えます。ついでに言えば、君が二等地の一角を焼き払った──君が悪魔に対処しなければいけなかったのも、ね」

 「……それは責任転嫁では?」


 囁き返したフィリップに、ナイ神父は愉快そうな笑みを向ける。


 フィリップが責任を感じる──衛士団の責任を認めないということは、彼らに何の期待もしていなかったということだ。


 小さな人間の都市一つを守るという些事すら実行できないという辛辣な評価。ヒトと悪魔とを正確に比較できる視点と、その双方を遥かな高みから見下す知識。なるほど、こう噛み合い、こう成長するのか。

 非常に興味深く、面白い。


 王都衛士団は精強だ。大陸最高峰の武装組織といえる。

 そんな彼らにすら何の期待も抱かない程度には、フィリップはこちら側に寄ってきている。


 笑顔の神父に気付かず、頭を上げたヨハンが言葉を続ける。


 「フィリップ君の行動の正当性は、我々王都衛士団が証明しました。対処に際して発生した損害は衛士団が全て請け負います。召喚魔術に使用した触媒などがあれば、それも」

 「なるほど。では、教皇庁へ連絡する必要は無さそうですね」


 神父の言葉に、衛士たちの額に冷や汗が滲む。

 教皇庁は一国の王以上に不興を買ってはいけない相手だ。目を付けられたら何を置いても赦しを乞わねば、人権すら剥奪される。一神教からの破門はそれだけ重い。


 「それと、その……フィリップ君の今後についてですが」


 言い淀んだヨハンに代わり、団長がその先を続ける。

 

 「フィリップ=カーター君。君には魔術学院へ入学して貰う。魔術を学ぶんだ」

 

 打診や提案ではない、断定形の言い方にデジャヴを感じ。

 フィリップは取り敢えず。


 「……はい?」

 

 そう聞き返した。


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