第22話
フィリップに足りていなかった要素は──魔術に失敗し続けた原因は何だろうか。
魔力はある。召喚魔術は魔力量や制御能力に劣る者にも強大な力を与える魔術だ。要求される魔力量は通常の魔術と比べてかなり少なく、肉体的に発展途上のフィリップでも十分に補える。
対象への理解もある。召喚対象であるクトゥグアに関する知識は、地下祭祀場で外神や旧支配者についての知識を植え付けられたときに理解している。クトゥグアの側も、最大神格の寵愛を受けた相手のことは認識しているだろう。
召喚し、使役するという強い意志もある。強大な相手からの守護は約束されているが、外神視点で害とならないもの──地球上のあらゆる存在が、その監視網を潜り抜けることがある。敵を殺す手段、自衛手段の確保は必須だ。
結論から言って──問題だったのは最後。敵を殺すという意思。
その決意自体はいい。殺せないのと、殺せるが殺さないのでは大きな差異がある。敵に剣を振り下ろせないのでは戦闘は絶対不利。いや、戦う以前の問題だ。
その自覚を持ち、一週間の訓練の間維持し続けたフィリップは、少なくとも無能ではない。
だが、それは過剰だった。
召喚魔術によって喚び出される対象は、召喚者の意思を汲む。それに従うかどうかは二者の関係性によるが、少なくとも意思疎通が出来ないということは無い。
フィリップの「敵を殺す」という強いモチベーションは確かにクトゥグアへと伝わり。そして──擬人的な表現をするのなら、この一週間、クトゥグアは首を傾げていた。
『敵ってどれ?』と。
ナイ神父がいる時はいい。
クトゥグアにとって長年の敵であるナイアーラトテップがいるのだ。フィリップの思う『敵』とは違うが、クトゥグアの中での矛盾はない。
颯爽と召喚に応じ、灰も残さず焼き殺し。仕事を完了して帰るだけだ。
だがナイ神父がいない時、クトゥグアは困惑する。
魔王の寵児である召喚者の他には、その召喚者が信を置くシュブ=ニグラスしかいない。嫌悪はあるようだが、敵対には至らない軽微なものだ。
故に、クトゥグアは召喚を拒否する。ちょっと何言ってるのかわかんないです、と。
そして今──クトゥグアにも理解できる命令が下る。
召喚理由はこれまでの何倍も強固な意志の籠った、これまでと同じくらい単純で明解なもの。
『この不快なゴミを焼却しろ』と。
あぁ、これはいい、と。クトゥグアは笑う。
今までの中途半端に身の程を弁えた、自虐的で遜ったような命令とはまるで違う。クトゥグア好みの、クトゥグアの視座に合った、実に魔術師らしい傲慢な命令だ。
クトゥグアは火球の化身を象り、召喚に応じようとして──恒星にも匹敵する超高温の身体が、超新星爆発並の更なる極高温に呑み込まれた。
意思が届く。
ただ簡潔に、傲慢に。“退け”と。
それは、きっとクトゥグアと同じく召喚者の命令と成長に昂りを覚えたのだろう。それの属する陣営を思えば、クトゥグアよりもその情動は大きいかもしれない。
魔術による繋がりを利用して無理矢理に自分が出ることはできるが──今日のクトゥグアは酷く上機嫌だった。
魔術師の召喚に際して横入りされることなど日常茶飯事。今回の召喚を見逃すのは惜しいが、それの興奮や歓喜もまた理解できるがゆえ。
騒ぎ立てる隷下の炎の精たちを鎮め、クトゥグアは召喚魔法陣へ続く魔術経路を快く譲った。
◇
魔法陣を経由して召喚されたのは、この一週間で見慣れつつあった極小の恒星──ではない。
燃え上がる三枚の花弁と、それを守るような環状の炎。掌大の小さなサイズ感もあって、幻想的な姿ながら可愛げも感じられる。火の妖精と言われても信じられるほどだ。
クトゥグアを召喚する際に、最も気を付けなくてはならないもの。
クトゥグアを生きた恒星と表現するのなら、彼或いは彼女は「意思を持った超新星爆発」。内包するエネルギーは桁から違う。
フィリップは高々と掲げた右手に灯るその炎に、言い知れない不安感を覚えた。
「あ、あれ……?」
クトゥグアじゃない。しかも、どうやら制御下にない。流れ込んでくる思念から、どうやら興奮状態らしいと判断できる。
──これ、もしかしなくてもヤバいのでは?
フィリップの眼前で荒い息を繰り返していた悪魔が、フィリップの焦りを感じ取ったのか、口角を吊り上げる。
「ク、クク……召喚に失敗したようだな! なんだ、その矮小な火の精は?」
エリゴスの嘲りを滑稽と笑う余裕も無く、フィリップは暴れようとするヤマンソを魔術経路を介して鎮めようと試みる。
とりあえず『止まってください』と念じてみるが、聞き入れてくれる様子はない。というか、届いているのかも怪しい。ヤマンソはエネルギーを凝縮し始めており、召喚主であるフィリップにはその照準先が分かった。
「え? ちょ、ちょっとストップ!」
召喚時に思い浮かべた召喚目的は
フィリップの叫びを聞き入れることなく、ヤマンソは破壊の準備を着々と進めている。
駄目だこれ、終わった。
足元の衛士や王都どころか、この星が焼き尽くされる。
僕は今後、死ぬに死ねないまま宇宙空間を漂って、人の居ないどこかの星で孤独に暮らすんだ……。
そんな絶望の未来が頭を過り、失神しそうになる。
嫌だ。いくらなんでもそれは嫌だ。そんな状態でも傍にナイ神父とマザーはいるだろうが、それこそがその未来で最も嫌な部分と言っても過言ではない。
向こう何年あるか分からない人生を、邪神と三人で過ごす? 嫌に決まってる。
そんな未来は嫌だ。
だから──僕に従え。
渾身の思念が流れ込み、炎の花弁が大きく揺らぐ。
しかし、それだけ。
いくら魔王の寵児とはいえ、意思の力はヒトのままだ。
外神を屈服させるほどの意思強度など持てるはずも無く、むしろその傲慢ですらある抵抗を焼き払わんと、ヤマンソのエネルギーが一段と膨れ上がる。
それはやがて必要十分な域に達し──フィリップに実行の意が伝わる。
駄目だったと舌打ちをする間も惜しんで、フィリップは焼却の寸前で一言、叫ぶことに成功した。
「ヨグ=ソトース!!」
ことここに至り、エリゴスも漸くそれが何かに薄々ながら気付いたようだ。
反射的に一歩後退り──それが、エリゴスの取った最後の行動だった。
瞳孔は開き、鼻孔は膨らみ、大量の発汗と筋肉の震えが見て取れる。だが、その場から逃げようとはしない。いや──実行できるだけの身体の自由が効かないか。
釘付けになるほどの恐怖は、狂気に陥った者によく見られる症状だ。
気付いたか。眼前のそれが、火の精などという可愛げのあるものではないと。
気付いたか。眼前のそれが、この星をすら容易く焼き払える超位の存在であると。
気付いたか。この世には、知ってはいけないモノが存在することを。この世が如何に繊細で、如何に残酷かを。
蒙は啓かれた。
普段のフィリップであれば喝采すらしていただろう成長を最後に、エリゴスの意識は消滅した。
明確に敵と認識していた悪魔の死はしかし、フィリップに何の感動も与えなかった。
より正確には、フィリップはそんなことを気に掛けている場合では無かった。
ヤマンソが焼却を始める寸前、ヨグ=ソトースへ呼び掛けることには成功した。
だが、問題は副王がどれだけフィリップの意志を汲んでくれたかだ。
フィリップは死なないだろう。星は守られたか? 大陸は? この国は? この街は? 足元の衛士たちは?
どこまで守ってくれた?
最悪の未来は避けられたか?
思わず閉じていた目をおそるおそる開き──瞠目する。
フィリップを中心に半径30メートルほどが焼き払われ、店も家も構わずあらゆる建造物が消滅している。焼け跡も残っていない辺り、燃えたのではなく蒸発したか。
だが、円状の破壊は30メートルで止まっている。その外側は完全に無傷だし、足元に転がっている衛士たちも10人全員無事だ。
考え得る限り、最高の結果じゃないか。
ヨグ=ソトース。素晴らしい仕事ぶりだ。この期に及んで姿も見せない自称守護者と自称保護者とはわけが違う。流石は全にして一、一にして全。フィリップもまた彼と言うだけの事はある。
破壊を免れていた家の間から、ガチャガチャと鎧を鳴らして衛士の増援がやってくる。
ヒーラーがいるかは分からないが、足元の彼らもこれで一安心だろう。少なくとも、フィリップの施した一般的な応急処置よりは何倍も実践的なものが再処置されるはずだ。
安堵の息を漏らすが、衛士たちは転がる味方を助け起こそうとしない。
というか、動きがどうもおかしい。一定距離まで近付くと接近を止め、距離を保ったまま横に展開していく。
フィリップを中心に円を描くように……包囲するように。
なんかおかしい。そう感じたフィリップの身動ぎに反応して、彼らは一斉に抜剣し、或いは魔術を照準した。
「動くな!」
攻撃の意思を見せれば、即座に首を刎ねられる。
敵意と警戒の籠った声と視線で、そう理解するのは簡単なことだった。
まぁ、少し考えれば分かることだ。
衛士団に悪魔出現の報が届く→現場到着とほぼ同時に町の一角が熱破壊される→右手に炎を灯した子供with足元に倒れている衛士たち
現状から推察されること1、破壊は悪魔の仕業。
現状から推察されること2、破壊は右手に炎を灯した子供の仕業。
結論──この子供は悪魔。
「いや、違う、違います! 僕は悪魔じゃ──」
自分で言っておきながら、ちょっと笑えてくる弁解だった。
フィリップが衛士の立場ならもう斬りかかっていてもおかしくない程度には、いまのフィリップは悪魔に見えるだろう。事実として町の一角を吹き飛ばしたのはフィリップだし、包囲されるのは必然なのだが、それでも悪魔扱いには断固として抗議する所存である。
「何をしている? これはどういう状況だ?」
「あ、団長! それが……」
見覚えのある、他の衛士たちより少し装飾のある鎧を着た衛士が現れると、包囲していた衛士たちの雰囲気が和らぐ。
弛緩したというよりは、安心感を持ったという感じだ。
顔を寄せて会話している二人の話の内容は聞き取れないが、さて、どうなるのだろうか。
最善の結果は無罪放免、最悪の結果は……ここで衛士全員が敵に回ること? いや、捕縛され、フィリップが悪魔であると晒し上げられることが一番困るか。
衛士団長は王国最強の戦士らしいが、ヤマンソと接続した今なら分かる。
外神の前で、人間同士の強さなど誤差だ。
虫も殺せない貧弱な者。町一番の力自慢。軍隊の精鋭部隊員。国内最強の兵士。
どれも全く同じに見えるほど、ヒトと彼らの間には隔絶した差がある。知識として理解はしていたが、いまは体感し、納得した。
衛士団長を含む衛士全員の抹殺は、そう難しいことでは無い。
だが国内外にフィリップが悪魔だと吹聴された場合、この大陸での生活は難しくなる。敵対者全員を殺し、フィリップが王座に就く……というのは、フィリップにとっては避けたい展開だった。
「あの……僕、悪魔じゃないんですけど……?」
なるべく刺激を与えないように、もう一度呼び掛けてみる。
足元に転がっている負傷した衛士たちを示して、「ほら、この人たちの手当てをしていたんです」と付け加えてみるが、反応はあまり芳しくない。
どうせ、彼らが目覚めれば証明されることだ。急ぐこともない。
そんな諦めを抱いていると、衛士の一人が恐る恐るといった体で問いを発した。
「召喚魔術師……なのか?」
今以外のあらゆる場面ではNOと答えるところだが、フィリップは首肯した。
どこか安堵したような空気が流れ、同じ衛士が召喚物を帰還させるよう言ってきた。
フィリップは肩を竦め、右手に灯った炎を一瞥した。
さて──どうやって帰還させるのだろう。
この一週間、クトゥグアを召喚する魔術をずっと練習していた。餌となるナイ神父がいれば成功するが、その後は勝手に帰っていたので……帰還や追放といった召喚魔術と対になる魔術の練習はしていない。
困惑と放心の中間のような顔で突っ立っているフィリップに、同じ衛士が苦笑いで尋ねる。
「も、もしかして……制御できてない? それ」
フィリップが首肯すると、衛士たちに共通した雰囲気が流れる。「勘弁してくれよ」と、声に出さずとも伝わってくる。
そんな中からフィリップに近付いてくる者がいた。衛士たちの鎧より一段装飾の華美なものを纏った衛士団長だ。
歩調に恐れは見られないが、気乗りしないような雰囲気は感じ取れた。
やがてフィリップの前まで来ると、彼は頭を掻きながら説明を始める。
「魔力を制御できない魔術師と、召喚物を制御できない召喚魔術師、あと自分で何を作ってるか分からない錬金術師は『爆弾』だ。我々は捕縛、或いは処断しなくてはならない」
尤もだと思ったフィリップは即座に両手を挙げ、降参の意を示す。
物分かりのいい爆弾だと、誰かが呆れ声で呟いた。
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