第21話

 フィリップの眼前で繰り広げられる攻防戦は、意外にも拮抗する場面が多くあった。


 衛士たちは個々の技量が高く、さらに連携が高度に噛み合っていた。エリゴスの防御を掻い潜った斬撃が鎧を傷付け、回避しても追尾する魔術は的確にエリゴスの隙を突く。

 このままいけば勝てるのではないか。そんな期待すら抱かせる戦いはしかし、エリゴスの浮かべた嘲笑が薄れず、衛士たちの顔に疲れが見え始めて戦局を変える。


 「中々に練り上げられているではないか。良い肉体、良い魂だ!」


 剣は当たる。魔術も当たる。

 エリゴスの攻撃は確実に回避され、或いは魔術によって防がれている。


 だが──衛士たちの攻撃は全くと言っていいほど効いていなかった。


 「だが武装が悪いな。ワタシの鎧に、ワタシの魔力に、まるで通じていないぞ? そして──!!」


 エリゴスが衛士の一人に肉薄し、黒炎に包まれた曲刀を振るう。

 剛腕による一閃は空気を切り、燃え盛る炎が空気を喰らう。独特な音を上げるその一撃は、防御姿勢を取る衛士の寸前で半透明の障壁によって防がれた。


 「気付いているか。ワタシの一撃は、その程度の鎧など一撃で破壊するぞ。肉体諸共に、な!」


 炎がひときわ大きく膨れ上がり、魔術障壁に罅が入る。

 不味いと思った時には既に遅く、その衛士は大きく吹き飛び、急所を庇った剣と腕を滅茶苦茶に破壊されて気を失った。即死ではないだろうが、かなりの深手だ。


 後衛の一人が後を追い、治療魔術をかける。とはいえ、何の儀式もないただの治癒魔術では、複雑骨折などの重傷は治せない。剣が折れ、無用となった鞘を添え木代わりに物理的な応急処置を進める。


 戦線に残ったのは8人。

 10人いればなんとかなっていたが、少し厳しい数字だと、衛士たちの表情が物語っている。


 苦々しく歪む顔を順繰りに眺め、エリゴスは愉悦の笑みを浮かべた。


 「さぁ、次は誰だ? ワタシに剣を向けたのだ、惨たらしく死ぬ覚悟は出来ているのだろう?」


 圧倒的な力の差など無く。ただ衛士たちの武装が貧弱であるが故に、この戦場はエリゴスのものだった。


 ヒーラーらしき衛士と共に、フィリップも応急処置を手伝っていた。

 とはいえ、一般的な知識しかないフィリップでは、刃物で深々と切り裂かれたり、凄まじい熱で焼き溶かされたりした傷の手当には手間取る。


 一人の傷をどうにかすれば、新に一人が傷付き、倒れる。誰一人として死んではいないが、それも「今は」と頭に付く。


 戦線を支える衛士が減るごとに負傷者の出るスピードは増える。

 幸いにもと言うべきか、或いは不幸にもと言うべきか──このペースなら治療体制が決壊する前に、衛士たちが全滅する。


 一人癒し、一人倒れ、それを癒し、次が倒れ。最後の一人が倒れ──エリゴスが哄笑する。

 ことここに至るまで誰も逃げ出さなかったのはフィリップにとっても意外だったが、それ故に彼らはここで死に瀕している。


 「クク、さぁ、終わりだよ。そちらの治療術師君、君も戦ってみるかね?」


 舌打ちし、その衛士も長剣を抜いてフィリップの前に立つ。

 それを見て、エリゴスは酷薄な笑みを浮かべた。


 「この衛士たちを診ていたからか? 死ぬことは無いと思っているな? だがワタシは貴様を殺し、その後でこいつらも殺すぞ」


 衛士は言葉を無視して一歩だけ下がる。

 そのまま振り向くことなく、フィリップに告げた。


 「逃げろ、少年。なるべく王城側にな」

 「高潔な判断のつもりか? そうだな……では、その少年を差し出せば、貴様ら全員を見逃してやろう。9人か、1人か。どうするね?」


 は、と。衛士はその提案を一瞬の迷いも無く鼻で笑い、中指を立てた。


 「そんなことしたら、俺がこいつらに殺されるね。俺だって、そんなクソ無様を晒す奴は団長でも殺す。……行け、少年」


 戦闘型ではない彼では数秒と保たないだろう。

 フィリップがその数舜で逃げ延びる可能性は、投げたコインが直立する確率より低いに違いない。


 そのコンマ数パーセントの為に、彼は仲間と共にここで死ぬ。


 矮小なヒトにありきたりな無為な死だ。

 だが──フィリップの人格にこびりついた人間性が喝采する、勇敢な死だ。


 最期の衛士が突撃し──数合の剣戟の果てに倒れる。


 無価値なものを見る目をしたフィリップを庇い、弱き者を嘲るエリゴスに切り伏せられた衛士たち。

 フィリップが走ったそのほんの数歩が、彼らの抵抗の結果だ。


 何たる無為。何たる無価値。

 フィリップの価値観はそう判断する。一切の買い被り無く、一切の侮りなく、正確にヒトの命の価値を見定める。


 「ハハハハ! 無様な!」


 エリゴスのその嘲りにすら、フィリップの価値観は同意する。


 「さて、待たせたね少年。君は有効な手札なのだ。私と共に来てもらうよ」


 勝ち誇った顔で近付いてくるエリゴスに、フィリップは初めて感情の籠った目を向けた。


 あぁ。人間は無価値だ。

 彼の者たちにしてみれば、その姿を目にするだけで狂って壊れる生物など、認知する価値も無い矮小な存在だ。認めるとも。フィリップを含めたあらゆる人類は無価値だ。


 だが──


 「それはお前も同じだよ、悪魔」

 「何?」


 呟きを耳にして、エリゴスの歩みが止まる。


 人間は無価値だ。だが──それは悪魔もそうだ。

 ヒトも、悪魔も、天使も。魔王も、神も! 世界の中心で眠る魔王に、かの宮殿を守る副王に、幾千の落とし子を孕む地母神に、千なる無貌に。この宇宙に犇めく強大で偉大なるものどもに比べれば、塵芥にも劣る!


 「無価値なお前が、勇敢な彼らを侮辱するな」


 彼らが死んだところで、あぁそうか程度の感傷しか抱かないだろう。

 人は死ぬ。その達観した価値観は揺るがない。しかしそれでも、美しいまでに勇敢な彼らが侮辱されるというのは、フィリップにとって酷くなことだった。


 「生意気なガキだな。神父共を殺したら、痛めつけて殺してやる」


 歯を剥き出しにして凄むエリゴスに対して、フィリップの睨み付ける視線はちっぽけなものだ。その構図を客観視すれば、フィリップだって笑うことだろう。

 口角を吊り上げ──嗤うように、咳き込むように、泣き叫ぶように、嘲るように、綴る。


 「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ ほまるはうと うがあ ぐああ なふる たぐん」


 呪文が毒だ。名前が毒だ。

 存在そのものが神への冒涜に当たるようなモノへの呼びかけ。その名前。常人であれば耳にしただけで、神経に爪を立てるがごとき不快感に襲われるだろう。


 そして只人よりも智慧ある悪魔であれば。


 「な、んだ。それは、その魔術は……ワタシは、そんな魔術……『やめろ』! 『喋るな』!」


 エリゴスが口を開き、支配魔術がフィリップを縛る。そのはずだった。

 フィリップの耳に届いたのは、耳触りのいい穏やかな音だ。声ならざる音はしかし、明確にフィリップを包み、守護する意図を伝えていた。


 魔王の宮殿にて賛美と眠りの曲を奏でるもの。

 原初の外神が一柱。音そのもの。彼がフィリップの味方である限り──あらゆる音が、フィリップを害することは無い。 


 「いあ──」

 「ば、馬鹿な!? 『やめろ』! 『やめろ』!」


 フィリップの足元に巨大な魔法陣が展開され、魔術の成立を知らせる。

 あとはその名を讃え、呼び出すだけだ。


 エリゴスは今や耳を塞ぎ、頭を抱えて蹲っていた。

 フィリップは嗤う。


 あぁ──無価値なお前に相応しい、無様な姿だ。


 「──Cthugha」




 ◇





 衛士対悪魔の様子を使い魔の視界越しに観察しながら、マザーは退屈そうな溜息をついた。

 我関せずと聖女像の表面に微細な文字を刻む作業に没頭しているナイ神父に、信者用の椅子で虚空を見つめるマザー。いつも通りの光景だった。


 「ねぇ、退屈なのだけど。あの子のところに行っていいかしら?」


 心底退屈だと声に出ているマザーの問いに、彫刻刀の音が止まる。

 カソックの上に着たエプロンから石のクズを払い、振り返ったナイ神父の顔には色濃い嘲笑が浮かんでいた。


 「昨日の話を忘れたんですか? 悪魔には彼の踏み台になって貰わなければ」

 「……あんなので本当に成長できるの? ショゴスとか、ティンダロスの追跡者くらい用意してあげた方がいいんじゃない?」


 ほう、と、ナイ神父は珍しく感心の息を漏らす。


 「貴女にしてはいい案ですね。もう少し成長したらそうしましょうか」


 マザーが提示したのは、二人が個体を認識できる最低のラインだ。

 旧支配者が飼い慣らすこともある神話生物たちは、フィリップにとって善き訓練相手になることだろう。


 そしてフィリップが召喚魔術をマスターすれば、指の一弾きで消滅させられるレベルの雑魚となる。いい感じの踏み台だ。


 「そういえば、どういうプランなの? 今はクトゥグアの召喚と使役よね? 次は?」

 「次はハスターか、クトゥルフ辺りでしょうか。四属性を満遍なく習得させたいと思っています」

 「クトゥルフ……? クトゥグアもそうだけど、妙に弱いのを選ぶのね?」


 フィリップを強くするという目的に対して、その目標はマザーの視点からは低いものだった。

 召喚や使役は相手側の都合で結果が左右され、召喚対象が暴走することもある。それなら、マザー──シュブ=ニグラスが母神としての権能を使い、より強大な新たな外神として産み直すとか、魔術によって旧支配者を憑依させるとか、もっと確実でもっと強くなる方法は幾らでもある。


 外神、特にナイアーラトテップやシュブ=ニグラス辺りの上位存在からすると、旧支配者は十把一絡げの雑魚だ。

 四属性による区分では、彼らは同じく地属性最高位。ハスターは風属性最高位、クトゥルフは水属性最高位とされている。


 だが──弱すぎる。


 属性のトップ同士だからといって、彼らは決して同格などではない。


 本気になったシュブ=ニグラスであれば、他の三属性の旧支配者全てを相手取ることも可能だ。そんなシュブ=ニグラスでさえ副王たるヨグ=ソトースには一歩劣るというのが、外神のインフレ具合をよく表している。まぁ長がアレなので、今更ではあるが。


 「地球で生きていくなら、これでも過剰なくらいですよ?」

 「……そうかしら?」


 未だに尺度が地球の規模に合っていないマザーに嘲笑を向けるが、マザーはもうそれどころではなかった。


 「あ、あの子が詠唱を始めたわ! 今日こそ成功するといいのだけど……」


 目を輝かせて虚空を見つめるマザーの様子は狂気的だったが、ナイ神父としても興味のある内容だった。

 フィリップの強化・育成はアザトースの命に基づく必要事項だ。フィリップが今後、旧支配者対外神の邪神大戦に巻き込まれたとしても、何の影響も無く生きていける程度に強くなるのは決定している。


 これはその第一歩だ。


 「私にも見せてくれませんか? この辺りの壁に投影して頂けると──」


 ナイ神父が壁を示し──轟音と共に、ちょうどその場所に大穴が開いた。


 「……」

 「……」


 もうもうと立ち込める土煙のなか、三対の光源がゆらりと揺れる。


 ゆっくりと、威厳すら感じる足音を響かせながら、その姿が土煙を破る。竜の身体に犬と人と鷲の頭を持った異形の悪魔──


 「我が名はブネ。七十二柱の悪魔が一、ゴエティアにて公爵位を戴く者である。我が同胞が来るまでの間、しばし──」


 ぴたりと、言葉が止まる。


 蛇に睨まれた蛙。

 ブネの状態を表すのなら、いい感じに似合いの言葉だ。惜しむらくは──彼我の力の差が、蛇と蛙程度では到底足りないことか。


 マザーの瞳は美しい銀色に輝き、ナイ神父の瞳は吐き気を催す極彩色に輝く。

 二人からは神威にも似た強大な気配と、それを何百倍も上回る悍ましい気配、そして明確な怒りが感じ取れた。


 ブネが予想していた恐怖とも戦意とも違うもの。困惑は一歩の後退として表れる。


 「……!?」


 言葉が出ない。

 貼り付けたような笑顔の神父が怖い。能面のような無表情ながら明確な怒りを感じる女が怖い。


 たかだか人間に、などと思う余裕はなかった。


 ドパァン! と。擬音にすればそんな感じの、水の入った革袋が破裂するような音を聞いて、ブネの意識は消滅した。


 何を語るでもなく。何をするでもなく。

 何の怒りを買って、どうやって死ぬのかを知ることもなく。


 この場にフィリップがいれば笑うほど無為に、無価値に、ブネは死んだ。


 「……邪魔が入りましたね。あちらの壁にお願いできますか?」

 「……残念。山場は終わったわ」


 ナイ神父が落胆の声を上げ、背後で壁が逆再生のように修復されていく。

 膝を着いて本気で落ち込む神父の頭にも、それを愉快そうに見下ろすマザーの意識にも、最早悪魔のことなど一片も残っていなかった。


 教会の修復が完全に終了し──悪魔がいたという証は、綺麗さっぱり無くなった。



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