第19話

 教会の片隅に、半ば瓦礫に埋もれるように打ち捨てられた死骸。

 身体の半分が潰れ、反対側から内容物を零れさせた、馬車に轢かれた犬猫より幾分凄惨な死に様だ。


 その傍にしゃがみ込み、元は長椅子の一部だった木片でつつき回すという、およそ聖職者にあるまじき行為に及ぶナイ神父。


 身体の中身が少なくとも半分はズレている状態に在って、その死骸が未だのも、彼の魔術によるものだ。……生きているのであれば、死骸ではなく残骸と表現すべきか?


 「何してるんです、神父?」


 気色悪いという感想となるべく離れたいという思いを呑み込んで、フィリップは最も悍ましい形で死者を現世に留め、あまつさえ弄んでいる神父に問い掛けた。


 「なに、ちょっとハッキングをね」

 「はっきんぐ……?」

 「彼のボスと、その目的を探っていたんですよ。それにしても……君はモテますね、フィリップ君」


 いきなりなんの話だと面食らうフィリップを他所に、ナイ神父は嘲りを隠すこともなく笑う。


 「我々の弱点──勿論、君の事ですよ。それが露見しました」


 それは不味い……のだろうか。

 正直なところ、露見して、狙われるからどうしたという気持ちが大きい。


 ナイ神父は無数の化身を持ち、マザーもその気になれば常にフィリップを見ていることくらいできるだろう。最強の監視役たるヨグ=ソトースの耳目は世界の全てを網羅しているし、フィリップを害せる者などいない。

 魔王が復活しようが、天使が硫黄と炎の裁きを下そうが、天空神が雷を降らそうが、フィリップの血の一滴さえ零すことは出来ないだろう。


 どこの誰が、何の目的でフィリップを──というより、教会を狙っているのかは知らないが、無意味なことだ。


 フィリップを守護する者を害するため、その守護対象であるフィリップを狙うとは。

 竜を殺したいなら寝込みを襲うべきだ。逆鱗を撫でる必要はどこにもない。


 「今日明日どうこうという話でもありませんし、今日は帰って休むことをお勧めしますよ。見たところ、魔力欠乏気味ですし」


 珍しく気遣う様子のナイ神父に、フィリップは思ったよりも悪い状態なのかと心配になる。

 ここまで走ってくるくらいの体力はあったし、そう眠いわけでもない。だが確かに言われてみれば自分でも分かる程度にはネガティブな思考が目立ったし、危ないと言われれば危ないのかもしれない。


 「そうします」


 フィリップは素直に気を失ったままのモニカを背負い、教会を後にした。


 その背後で世界に空間に陽炎のような揺らぎが生じ、ナイ神父は笑顔ながら慌てた様子で両手を挙げる。


 「きちんと説明しますから、もう少しお待ちを。副王」


 扉がしっかりと閉じ、フィリップに声が届かないのを確認する。

 そうしている間にも空間の揺らぎは激しさを増し、いつしか玉虫色の力場に変わりかけていた。


 『聞こう。寵児を危険に晒す判断を下した、その故を』


 声ではなく、意思が伝わる。

 無理やり声に当て嵌めるなら、重厚で威厳ある、と表現できる響きだった。


 「彼の成長のためですよ。危険に際して危機回避本能を励起させ、魔術の行き詰まりを解決して差し上げようかと」


 いけしゃあしゃあと宣うナイ神父に、マザーの訝しむような目が向けられる。

 それに肩を竦めて応じると、また極彩色の力場へと向き直った。


 「今回の“危険”は精神的なものではなく、物理的なものでしょう? 本当に危ないと判断したら、貴方が介入すればいいだけのことではありませんか? 副王よ」

 『元より、そのつもりだ。そして──ふむ。彼の成長は、我々としても喜ばしい。貴様の判断を赦そう』


 慇懃に一礼したナイ神父は無視して、副王は意思の向ける先をマザーに変えた。


 『そういうことだ。過度の干渉は控えろ』

 「命令しないで頂けるかしら? あの子の成長の機会を奪うつもりなんて無いから」


 フィリップがいれば瞠目するであろう、普段の態度からはかけ離れた険の籠った声。

 だが、母神としての側面を抜いたシュブ=ニグラスなどそんなものだ。自分以外の全てが些事。冷笑を以て万物を睥睨する、地属性最強最大の神格。


 その神威が嫌悪と共に発散され、ナイ神父が放置していたビフロンスの生きた死体が一瞬で朽ち果てて崩れ去った。ついでに人の身体を保てなくなったナイ神父が無数の触手の集合体になるが、彼はすぐに化身の強度を高めることで姿を取り戻す。


 『……ならば、よい』


 心底のものではないが、言葉として納得を示し、ヨグ=ソトースの気配が消える。

 とはいえこの空間における存在そのものが無くなったのではなく、世界の表面に顕出するのを辞めただけだ。彼は世界のどこにでもいるし、世界そのものが彼だ。


 「相変わらず、夫婦仲のよろしいことで」


 ぽっかりと空いた顔をうねうねと蠢く触手で埋め、元の顔の形に成形しながら、ナイ神父が皮肉を隠さずに嘲る。


 殺してしまおうか。

 そんな内心が透けて見える一瞥を投げ、マザーはその殺意を溜息で晴らした。


 「さておき、悪魔共は明日の正午にことを起こすようです。どうします? 次もマザーが対処しますか?」

 「次も?」

 「えぇ。そこに……転がっていた、さっき貴女が叩き殺したのが例の悪魔の尖兵ですよ」

 「叩き……? あぁ、え? 何を言っているのか分からないのだけど……?」


 大きな羽虫とでも思っていたのだろうが、が人質を取り、自分と敵対する光景が想像できないらしい。

 悪魔如きが烏滸がましい、と、フィリップであればそういうのだろうが、その認識もまだ甘い。


 「今から蚊が二匹ほど敵対して、人質を取ろうとしてきます」と。そう言われた時に感じる全ての感想が、今のマザーの内心に当てはまるだろう。


 これは思ったより重傷だと、ナイ神父は初めて笑顔に含ませる苦笑の割合を嘲笑より大きくした。


 「人間の個体認識は後にしましょう。まずは人間大の危機認識を身に付けましょうね」


 マザーとて、人間の尺度で物を見ることの重要性は理解している。だからこそ人の似姿を取り、何よりうじゃうじゃいて気色の悪いヒトの群れを、退屈しのぎや戯れといった道理無き理由で薙ぎ払ったりしていないではないか。


 それに。


 「貴方に言われると、どうにもやる気が失せるのよね……」


 大きなため息をついて。

 マザーは結局、フィリップのためと自分に言い聞かせることにした。




 ◇




 翌朝。

 夜更かしのツケを払わされるように寝坊したフィリップは、いつもより一時間も遅い朝食にありついていた。厨房の本格始動は既に始まっており、片隅でひっそりと食事を摂っているフィリップに構う余裕は無さそうだ。


 しかし、勤務態度は良好で、職務能力もそれなりに高い、最近は魔術の勉強まで始めた丁稚だ。ちょっと冗談じみた存在が珍しく寝坊していれば、目も引くし話しかけてみたくなるもの。


 「君が寝坊って、珍しいね。やっぱり魔術の訓練は大変かい?」


 いつぞや調味料をこぼしたという料理人見習いの青年がこそこそと話しかけてくる。

 ちょうどパンを頬張ったタイミングだったフィリップは、しばらく咀嚼と嚥下を急ぎ、そして口を開いた。


 「いえ、昨日は特別疲れていただけです。ご迷惑をおかけしてすみません」


 魔力欠乏による精神疲労と、教会からの帰路を気絶したモニカを背負って歩いた肉体疲労。

 深い睡眠を提供するには十分な要素だった。同じ町に特級の邪神が二柱いて、窓の外にはその耳目たる異形のカラス、さらにはヨグ=ソトースの存在を知り、この世界の脆さまで知っていてよく眠れるものだと自分でも思うが。

 ヒトという弱すぎる存在に与えられた大いなる智慧は、諦めという最適解をフィリップに与えていた。


 「いや、謝る必要はないさ。むしろ、君はもっと我儘になるべきじゃないか? 仕事を減らすとかさ」


 違うのだ、と。フィリップは口走りそうになるのを自制した。


 確かに朝仕事、昼勉強、夜仕事のハードスケジュールをこなす勤勉な少年に見えるだろう。主人も女将も「それは無茶だ」と言っていたし、魔術の訓練が終わるまでは丁稚奉公を中断、あるいはもう中止してもいいと言ってくれた。

 だが、宿の仕事はいわば心の休憩時間。癒しなのだ。


 三等地の宿は、稀に王都外から常識を知らないという意味のアホがやってくる。

 一等地の宿は、人間の分際でどうしてそんなに偉そうなんだ? という連中が来ることがある。


 だが二等地は、いい感じに自分の分を弁えた人間が多い。特にこのタベールナは、衛士団と提携していることもあって、客の質が著しく高い。

 たまに使用後のベッドシーツや布団をきっちり畳んでいたりして、清掃担当がぼやいていたりするが、それも善意や習慣による行動だろう。


 「ありがとうございます。本当につらくなったら、旦那様に相談してみますね」


 へらっと笑って誤魔化すと、ふらふらと副料理長が近寄ってきた。


 「カーター君。寝坊なんて珍しいじゃないか。夜更かしでもしたのか?」


 がはは、と、周りの視線を無視した声量の笑い声からは、責めるような印象は感じない。

 まぁ、さっき衆人環視のなか、滾々と「できないのならそう言え。出来ると言うのなら、やってみせろ」といった旨の説教を料理長──宿の主人から受けているので、これ以上は不要と思われているだけだろうが。


 ちなみに寝坊は30分。説教は20分ほどだった。


 「あはは、ちょっと寝付けなくて。疲れてはいたんですけど」

 「あー、あるよな。疲れてるのに寝れないの。疲れすぎるのも良くないって聞くが」


 ベッドに入ってから数分で眠りの世界に入ったフィリップはすこぶる健康的に疲労していたのだが、ベッドに入った時間がいつもより遅かった。

 身体は疲労回復に十分な睡眠時間を確保し、結果、起床時刻が遅くなった。


 「そうらしいですね。あまり根を詰め過ぎないようにします」


 閉じられた状態とはいえ、迂闊にも机の上に置きっぱなしだったノートを鞄に突っ込む。

 会話の流れからしてそう不自然な動きではないはずだが、フィリップは冷や汗が止まらなかった。勝手に覗き見るような育ちの悪い従業員はいないだろうが、万が一ということもある。誰かがフィリップの迂闊さの責任を取るような事態は避けなくては。


 「ごちそうさまでした。行ってきます」

 「おう、頑張れよ!」


 そのまま宿を出ようとしたフィリップの背中に、快活な声が掛けられる。


 「おはよう、フィリップ君。久し振りだね」


 聞き覚えのある声に振り返ると、ひらひらと手を振っているジェイコブと目が合った。

 両手に酷い火傷を負ったと聞いていたが、そんな痕跡は微塵もない。知己の無事を喜ぶだけの人間性までは捨て去っていないフィリップは、素直に笑顔を浮かべた。


 「ジェイコブさん。おはようございます」

 「聞いたよ。魔術の練習を始めたんだって? すごいじゃないか」


 言葉をそのまま表情に張り付けたような、素直な称賛と感心の見て取れる笑顔を浮かべて、ジェイコブは腰より少し高い位置にあるフィリップの頭を撫でる。


 「……ありがとうございます。でも、あんまりセンスはないみたいで」


 あはは、という空虚な笑いは、その言葉に含まれているのが謙遜ばかりではないことを顕著に表していた。

 声色にネガティブなものを感じ、ジェイコブは多少慌てながら話を進める。


 「あー……まぁ、魔術は適性の有無とか、その方向性も大きく関わってくるからね。なにか一分野でも適性があるのなら、魔術学院にだって行けるかも。フィリップ君の適性は何だったんだい?」

 「て、適性ですか? えっと……」


 そういえば、と、想起する。

 現代魔術には様々な系統の区分がある。攻撃魔術と補助魔術の役割区分、火・水・地・風・光・闇の自然6属性に無属性を加えた7属性に分ける属性区分。この二つが主に指標となるだろう。


 攻撃魔術に高い適性を持っていれば攻撃魔術師として。逆に補助魔術、中でも回復魔術に適性があればヒーラー、付与魔術に適性があればエンチャンターとして、求められる役割も必要な技術も大きく異なる。


 一般に強力な魔術師とされるのは、多くの分野に高い適性があるか、一点特化でも他の追随を許さないレベルの適性があるかだ。魔術師の二つ名持ちといえば、自然6属性全ての攻撃魔法を高度に使いこなすという、帝国最高の魔術師『魔術軍団ワンマンアーミー』。大陸最強の聖属性魔術師にして、王国でも有名な公爵家の令嬢である『明けの明星』。王国第一王女にして大陸最強の火属性魔術師『恒星』。

 他にもいるのだろうが、魔術の世界に詳しくないフィリップがぱっと思いつくのはこの辺りだった。


 フィリップの魔術適性は不明だ。

 魔術学院志望だったり、或いは学院生であれば真っ先に調べるのだが、現代魔術ではなく領域外魔術を専門に学んでいるフィリップには必要のない情報だった。ナイ神父も調べようとはしなかったし、フィリップも邪神に通用しない魔術体系に興味は無かった。

 

 「召喚魔術……ですかね?」


 咄嗟に口をついて出たのは、未だ成功したことのないその魔術分野だった。

 現代魔術体系に詳しくないフィリップでは適性区分に『召喚魔術』のカテゴリがあるのかさえ知らないが、ジェイコブが浮かべたのは微妙な表情だった。


 「あぁ……なるほど。確かに、召喚魔術は死霊術ほどじゃないけど、結構冷遇されてるからね……」


 召喚魔術は、一般に通常の魔術を扱えない者の術だと言われている。

 術者本人よりも召喚物の方が強くなければ召喚する意味が薄いが、それゆえ自分より強いものに頼る弱者の魔術と蔑まれることもあるのだ。


 なお、その言説についてフィリップは全面的に同意するところである。


 

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