第11話

 ハーゲンティの心臓の残骸を手から払いながら、ナイ神父は塵となった死体を一瞥した。

 その直後に、二人を追ってきた衛士たちが倉庫に突入してくる。


 「ご無事ですか、神父様!」

 「まさか、あの悪魔を祓われたのですか!?」


 何の感情も宿さない、ただ目の前を飛んでいた羽虫を叩き潰したような気楽さで、ナイ神父はにっこりと笑った。


 「いえ、殺しました」


 悪魔への対処の難易度は、その方法によって大きく変わる。


 首を刎ね、心臓を貫き、頭を砕き、その他のあらゆる方法で息の根を止める……難易度、低。

 対抗魔術によって悪魔を地獄へ送還する……難易度、中。

 神聖属性の魔術によって悪魔を祓う……難易度、高。


 この法則に照らせば、神父が取った手段はそう非現実的なものではない。

 だが、それは一般的な悪魔の話だ。


 「え? ジェイコブを倒すほどの悪魔を、ですか……?」


 白兵戦に長けた衛士を倒すほどの──ジェイコブが倒れているのは外傷ではなく魔力欠乏と自傷にも近い手の火傷が原因だが──悪魔ともなれば、話は別。

 アウトレンジから確実に効く悪魔祓いの奇跡か退散魔術を撃ちまくるのが安全策だ。尤も、そんなことをすれば宮廷魔術師でも一瞬で魔力欠乏に陥ることだろう。だからこそ、戦闘能力の高い高位悪魔は脅威なのだ。


 高位の聖職者であれば、もしかしたら悪魔祓いの奇跡で72柱の悪魔も退散させられるのかもしれない。そんな予想を立てていた衛士たちは、無傷で悪魔を殺したと言う神父に不審そうな目を向けた。


 儀式は彼らの領分だが、戦闘は衛士の領分。

 相手がどの程度の戦士かを見切る観察眼は一朝一夕で身に付くものでは無いが、彼らは歴戦と呼ばれる部類。その目に狂いが無ければ、眼前の神父に悪魔を一方的に下すだけの技量はない。

 と、いうことは。


 「なるほど! では、そういう事で報告しておきます!」


 部外者には秘密の魔術か何か。

 そうアタリを付け、衛士は神父の言葉に乗っかることにした。


 「えぇ、そうしてください」


 それを厭う理由も無い神父は、そう笑顔で返した。



 ◇



 見知らぬ男がヒィヒィ言いながら、それでもしっかりと支えて連れている男に見覚えがあった。

 男は誰かを探しているのか、しきりに周囲を見回している。顔を見るのではなく服を見ているようで、おそらく探し人の特徴を誰かから教わっただけで、面識は無いのだろう。


 「あれ、ヨハンさんじゃない?」


 フィリップが見つめる先に誰が居るのか気付いたモニカが駆け出すが、すぐに足を止めて小さく悲鳴を漏らした。

 少し近付けば、フィリップにもその理由が分かる。


 脇腹は鎧ごと抉るように消失しており、応急処置こそされているようだが、あまりにも不足だ。


 「マザー……?」


 彼を治してくれと言ったらどういう反応をされるだろうか。

 どうして? とか、貴方に得があるの? とか聞かれるのはまだマシな方か。殺す方が楽じゃない、とか言い出したら弁解の余地が無い。


 「どうしたの?」


 深い慈愛を湛えた、絵画や聖典に描かれた聖母をも凌ぐ美しい微笑。

 その慈悲と愛情が人類すべてに向けられていれば、彼女は聖女の生まれ変わりとして崇められることだろう。


 「彼の治療をお願いできますか?」


 フィリップがダメ元でヨハンを示して言うと、マザーは意外にもにっこりと微笑んだ。


 「えぇ、いいわよ。えっと、呪文は確か……《エンジェル・カドル》」


 魔術が効果を発揮した瞬間、ヨハンの身体が光り輝く。

 欠損部位は直ちに修復され、失った血液が補充され血色が戻り、体力や疲労まで回復したのか、支えていた男から離れている。


 「い、今のは……?」


 致命傷からの完全復活。

 神官一人ではまず不可能、高位神官数名での大儀式による天使の降臨とその補助が大前提となる最高位魔術だ。当然ながら蘇生の大儀式などと同様、教会の秘術に分類されるものであり、ヨハンのような衛士であっても知らない術法だった。


 ヨハンは何が起こったのか分からず困惑しているようだが、それはフィリップも同じだった。


 まさか二つ返事で治してくれるとは、どういう風の吹き回しか。そう思ってマザーの様子を伺うと、嬉しそうにフィリップを見つめるマザーと目が合った。


 (……なるほど)


 これは、あれだ。

 フィリップがそうから治しただけで、それ以外に意図なんてない。

 子供が露店で売っているお菓子を欲しがったとき、買い与えた所で何も問題が無いから買ってあげた。それで喜んでくれるなら自分も嬉しい。それだけのこと。


 ヨハンの命を救うことにコストが無く、デメリットが無く、突っぱねてフィリップの機嫌を損ねるのを厭ったから。ただそれだけの理由で命を救ったということは、つまり、ヨハンの命が乗った天秤のもう片側には、フィリップの機嫌が乗っていたということだ。

 フィリップの機嫌を損ねた所で、彼女たちには何のデメリットも齎さないだろう。フィリップが本気で彼女たちを殺そうとしたところで、適当に可愛がられて、適当に嘲笑われて、それで終わりだ。彼女たちにさせることすら出来はしない。


 だから──それほどまでに無価値なものと同じ天秤に命を乗せ、あまつさえフィリップの機嫌に重きを置くなど。


 絶対的な価値観の相違と言い切れてしまえたら、どれだけ楽だっただろうか。

 フィリップに与えられた知識は、その価値感を理解してしまった。そういうものだから仕方ない、という諦めと共に。


 「ありがとうございます、マザー」 

 「どういたしまして。このくらい、なんてことないわ」


 おねだりに応えてお礼を言われた。

 それは世間一般で言うお菓子を買い与えたような感覚なのだろう。慈しみに溢れた微笑は深い慈愛を感じさせ、フィリップにさえ心地よさと安心感を与えてくれる。


 「おぉ、フィリップ君も。本当に無事だったのか」


 心中に溜まったもやもやとした感情を溜息で追い払っていると、心なしか嬉しそうなヨハンが近付いて来た。

 ヨハンが失踪したのはフィリップ捜索の途中だったということもあり、責任感と罪悪感が良心をつついてくる。


 「はい。ヨハンさんたち……と、こちらのマザーと、もう一人の神父様のおかげです。二人とも投石教会の方なんですよ」


 後頭部に視線を感じて慌てて付け足す。

 機嫌を損ねられると、フィリップなどより余程不味いことになる。自分で助けた命だからと殺すことを躊躇うような、そんな生温い思考はしていないだろう。


 焦りのあまり余計なことを付け足してしまうのは、経験値の不足だ。そもそも幼少時から実家の手伝いをしていたフィリップは、嘘や誤魔化しに慣れていない。ミスは隠さず報告すれば、ベテランの従業員が何とかしてくれるからだ。隠し慣れていない動揺はすぐに表情に出るし、視線も泳ぐ。

 まさか眼前の少年が必死に天秤の均衡を保っているとは思わず、ヨハンは不器用そうな笑顔を浮かべた。


 「良かったよ。ジェイコブの気休めじゃないかと思ってたんだが」

 「ジェイコブさんにお会いしたんですね。実は、ジェイコブさんと、例の神父様やモニカと一緒にヨハンさんを探していたんです」

 「あぁ、聞いたよ。本当にありがとう。……ところで、さっきの回復魔術は、あの方が?」


 フィリップは「大修道女マザー」と呼んでいたか。

 だが、教会は意外と縦社会だ。王国が信仰している正統派は特に年功序列が顕著で、ぱっと見──喪服のヴェールで顔立ちをはっきりと判別することは難しいが──20歳そこそこで指導者の地位に就くのは不可能にも思える。


 結局、あれほどの回復魔術を使えるのなら、特例も通るだろうと自分を納得させた。


 「この若さで、凄まじい魔術でした。命を救って頂いたご恩は、決して──」


 籠手を取って握手を求める動作の途中で、ヨハンは魅入られたように硬直した。

 いや、事実、魅入られてしまったのだろう。


 マザーの顔を隠すヴェールは、そう厚いものでは無い。 レース装飾の施された精緻な薄絹は、3歩ほどの距離まで近付けば表情まで容易に見て取れる。

 流れるような銀髪、妖しく輝く銀の瞳、透き通るような白い肌。神が作り上げたような──というか、神が作った──美しさの化身。具体的な指標APPで表すのなら21。ちなみに一般人は10、人間の限界は18である。


 人外の美を目の当たりにしたヨハンは、その理由が驚愕か魅了かは定かではないが、一時的に思考を停止しているようだ。


 「……ヨハンさん?」


 外見が美しいものはその性質までも美しい……と、必ずしも言い切れないことは常識だ。

 美しい花畑が食人植物や肉食昆虫の狩場なんてことはザラにあるし、名剣や妖刀と呼ばれる部類のものは幾万の命を斬り捨てて輝く。勇壮と威厳の象徴とされるドラゴンも、半面、災害の化身でもある。


 だが──そんな常識に囚われないほどに、美しかった。


 「壊したんですか?」


 咎めるような声を向けられて、マザーは首を傾げた。


 「そんなつもりは無いけれど、ヒトって簡単に壊れるものでしょう?」


 確かに。

 そんな軽い納得を覚えてしまったフィリップは、微かに自己嫌悪しながらヨハンの身体を揺すった。


 「ヨハンさん? 大丈夫ですか?」

 「ヨハンさん、どうしたの?」


 ただ突っ立っているヨハンを不審に思ったのか、モニカも戻ってくる。

 少し続けて揺すっていると、ヨハンは弾かれたように意識を取り戻した。


 「はっ! す、すまん、大丈夫だ。投石教会でしたか、今度お礼に伺います」


 握手を求めていたことも忘れて、ヨハンはそそくさと立ち去ってしまった。

 何だったんだろう、と首を傾げたフィリップとは裏腹に、モニカはニヤリと悪そうな笑みを浮かべた。


 「あれは……たわね!」

 「……なるほどね?」


 それは本当に勘弁してほしかった。

 別に好意を抱くなとは言わない。モニカだってナイ神父にぞっこんだし、個人の感情に口を出す気はない。彼らは人外の美を纏い、さらに強大な力を持っている。惹かれるなという方が難しい要素だ。フィリップのようにその性質や本性までも知っていれば話は別だろうが、それを知った時点で発狂するので意味のない仮定である。


 恐れるべきは、外神たちの方だ。

 人間の扱いに慣れたナイ神父──ナイアーラトテップであれば、幼気な少女の向ける好意も、目的の為にうまく活用してみせるだろう。或いは愉悦のためにかもしれないが、とにかく衝動的に殺したりはしないはずだ。

 問題はマザー──シュブ=ニグラスだ。ヒトの肉体に、延いては湧き上がる感情に不慣れな彼女は、少し気分を害しただけで国を滅ぼしかねない危うさがある。


 気色悪い虫を一匹殺して、周囲を見回せば同じ虫がうじゃうじゃいる。

 腕の一振りでその巣を壊す力があるのなら──どうするかは想像に難くない。


 マザーが人間のことを「取るに足らないもの」と認識し続ける限りにおいて、この星の安寧は保たれる。故に、なるべく無関心に、無関係でいて欲しいというのが偽らざる本音であり、その安寧を保ち続ける最も簡単な手段だ。


 「ねぇ、マザー。ヨハンさん、どうですか?」


 興味津々といった風情で──事実、他人の色恋沙汰に敏感なお年頃なのだが──無邪気に訊ねるモニカに、フィリップは慌てふためいた。

 

 「も、モニカ? 本人の居ない所でそういうのは良くないよ」

 「本人がいないから聞いてるのよ!」


 幸いにして、マザーは片手を耳元に添え、囁くように口元を動かしていて、モニカの話を全く聞いていなかった。視線だけはフィリップに向けられているが、何を話しているかには興味が無いらしい。最低限の安全監視といったところか。


 「通信魔術? 神父さまとかしら?」

 「……たぶん、そうだね」


 わざわざ地球由来の魔術を使うということは、そうだろう。

 他の外神との交信という可能性もあるが、これ以上地球に外神が増えるのはよろしくないはず。地球に眠っているクトゥルフが目覚める程度であれば何ら問題はないが、その目覚めに他の旧支配者が反応し、外神・旧支配者対旧神の大戦争とか、外神対旧支配者対旧神の三陣営による邪神大戦にでもなれば──


 「フィリップ!」

 「うわっ!? な、なに、モニカ?」


 フィリップが想像するだに悍ましい未来予想図に瞳をどろどろに溶かしていると、それに気付いたモニカが慌てたように両肩を掴んで揺さぶった。

 悪夢から引き戻されたフィリップが焦ったような笑顔を浮かべると、モニカは安堵と呆れを混ぜた溜息を零した。


 ちょうど同じくらいのタイミングで、通信を終えたマザーが近付いてくる。


 「あちらもひと段落付いたみたい。一度、教会へ戻りましょう」


 これ幸いと了承を返し、フィリップはこれ以上モニカに余計なことを言わせないように、必死にマザーと話し続けた。

 その背中に向けられるモニカの生温かい視線と、本当に嬉しそうなマザーの微笑には気付かないまま。



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