第12話
王都の地下には、魔法によって成形され、錬金術由来の浄水装置が据えられた、広大な下水道が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
その内壁は錬金術によって造られた強度と耐久性に優れた建材で舗装されており、汚れの付着だけでなく魔物の発生を防ぐ効果もある。しかし、犯罪者などの「地下に潜らなければいけない」輩にとっては残念なことに、そこは立ち入り禁止区域であり、定期的に衛士や冒険者による『掃除』が行われていた。
しかし──住人が全くいないというわけではない。
掃除役である戦闘特化の衛士や、下水掃除を割り振られるCランク以下の低級な冒険者では発見できない、高度な隠蔽魔術を使える者。
闇商人。カルト。禁呪研究者。
そういった才あるはぐれ者たちは、互いに接触しないように──接点があると、誰かが捕まった時に売られるリスクが発生するから──暮らしていたのだが、それも数週間前までの話だ。
彼らは完全に掌握されていた。
自らの棲みかにかけていた魔術を容易く暴かれ、必死の抵抗を嘲笑われて、生きるために傅いた。
地下空間を一掃し、手駒として掌握した偉大なる者。
同じ名を冠するだけで不愉快と嫌っていた魔物としての悪魔を支配下に置き、72柱に総裁として列席したハーゲンティにさえ隷属の術式を刻めるほどの超大物。
それが──二人。
二つ並んだ玉座の右手に座るのは、騎士のような全身甲冑に身を包んだ端正な顔立ちの悪魔。男性とも女性ともつかない中性的な美を湛えた顔を晒しているが、その双眸は最高位悪魔であることを示す金色に輝いている。
72柱の悪魔に数えられ、公爵位を戴くエリゴス。
左手の玉座に座るのは、人と犬と鷲の頭を持ち、竜の身体を窮屈そうに玉座に据えた悪魔。すべての頭部には一対の金色の瞳が輝き、エリゴスに並ぶ最高位悪魔であることを示している。
72柱の悪魔に数えられ、エリゴスと同じ公爵位を戴くブネ。
「ハーゲンティが殺された」
口を開かない悪魔特有の発声で、エリゴスが愉快そうに言う。
玉座の下に跪く中位・高位の悪魔たちが慄くように身動ぎするが、口を開くことは無い。エリゴスたちにしてみれば高位悪魔など木っ端、中位悪魔など虫けら同然である。許可なく口を開けば苛烈な粛清が待っていた。
「どこぞの神父が、ワタシの隷属術式を書き換えて、な」
ククク、と、喉を鳴らすようにして笑うエリゴス。
同調するような笑いが配下の悪魔たちからもちらほらと零れ──全ての悪魔が内側から爆発して死んだ。
「人の失敗を笑うなよ。嫌な奴らだな」
飛び散った血液を何滴か浴びて、不愉快そうなブネが犬の首を向ける。
口を開かないのは、他の悪魔と同じだ。
「それで、どうするのだ? その神父とやら、明確な障害となろうが?」
「どこの教会に属する者かもわからないからね。ワタシが教会を端から潰す計画だろう? その時にでもついでに殺しておくさ」
人型のエリゴスとは違い、竜の身体に人、犬、鷲の首を持つ明らかな異形のブネは、人前で活動するのに向いていない。
表舞台に出るのは最後の時とあらかじめ決めてあった。
「貴様の魔術は既に破られているのであろう? まず斥候を出すべきではないか?」
侮りとも取れる言葉に柳眉を逆立てるが、エリゴスは同格相手には激発しなかった。
より正確には、その言葉の正しさを理解して、納得していた。
悪魔は残忍だが、馬鹿ではない。むしろ狡猾だ。卑怯上等、勝てば善し。プライドは高いが、それを押し通せるだけの相手かどうかは見分けなければいけない。
「……確かに、その通りだ。行けるな、ビフロンス」
「お任せを」
呼ばれた悪魔は、この地下空間の扉を守っていた、同じく72柱の悪魔だ。
頭の前後に顔を持つ、双頭のケンタウロスと言えば分かりやすいか。砥上げられた槍を持っているが、それは床に置かれ、二人に跪いている。
「よし、行け。72柱に伯爵位を戴き列席するお前の力、ワタシに見せてくれるな?」
「はっ。この王都より、全ての教会を抹消してご覧に入れましょう」
玉座に掛ける二人は、その士気の高い返答に満足そうに頷いた。
「よろしい。では行け」
「全ては──魔王サタン様の復活のために」
◇
ヨハンが見つかりました!! と。
何日も消息を絶っていた団員の無事が声高に叫ばれ、鬱屈としていた衛士団本部が沸き立った日から数日。
同所、医務室にて、いくつか埋まっているベッドのうちの一つに衛士たちが集まっていた。
「結構顔色戻ってきたなー」
「手もミトンじゃなくなってるな! ……ま、まぁ、包帯はまだ取れてないけど」
わいわいがやがや騒ぐこと数分。
パンパン、と手が叩かれ、医務担当官──ではなく、尋問官のクワイリーが人だかりを散らしに来た。
「ほら、お昼休みは終わりですよ」
ちぇ、とか、昼飯忘れてた、とか言いながら医務室を後にする団員たちを見送って、クワイリーは横になっているジェイコブに向き直った。
「それにしても、驚きましたよ。瀕死の貴方が、失踪していたはずのヨハンに担がれて帰ってきたんですから」
「はは……」
回復魔法としては最高位、教会の秘術の中では蘇生の大儀式に次いで二番目の、
対して、適性のない魔術を繰り返し行使し、生命力を用いた代償詠唱まで行い、魔力と生命力を殆ど空にして帰ってきたジェイコブ。
生命力はそのまま、生きるための力のことだ。ゼロになれば死ぬ。
魔力は時に生きる意志とも言われ、ゼロになっても死にはしないが、傷の治りや体力の回復が著しく遅くなる。
その二つを大きく削られ、さらに両拳に酷い火傷を負って担ぎ込まれたジェイコブだったが、医務担当官は慌てず騒がずクワイリーを呼んだ。
体力を削り、生命力を削り、生きる意志を奪い、それでも生に執着させ、情報を吸い上げるのが仕事のクワイリーだ。
傷の治療こそ本職に劣るものの、瀕死に留めておくことに関して彼の右に出る者はいない。
「そういえば、また少し増えたか?」
医務室をぐるりと見回してジェイコブが言うと、クワイリーもそれに倣い、頷いた。
「そうですね。連日の教会襲撃──いえ、破壊、という方が正しいですね」
「何か分かったんですか?」
クワイリーは隣のベッドで寝息を立てている男をちらりと確認すると、少し声のトーンを下げた。
「現場から上がってきた推測ですが、襲撃者の目標は教会の破壊です。司祭や牧師、居合わせた信徒の死傷者は全て、直接の攻撃を受けていません」
「巻き込まれただけ、ということですか」
ヨハンが発見された日から今日にかけて、一等地から三等地まで区画を問わず、教会が襲われている。
襲撃される教会の位置や規模に規則性は無く、無人の教会から地区統括の立場にある大教会まで、分け隔てなく破壊されていた。
目撃者の証言に拠ると、襲撃は信徒に化けた魔物によって行われたものだという。この情報は教会関係者の間で瞬く間に拡散され、今では幾つもの教会が定期ミサを中止している。
神の家たる教会を閉鎖することは出来ないが、せめて無関係な信徒は守ろうということだろう。
「それにしても……この期に及んで、本気装備の解禁がまだとは」
怒りも露わにジェイコブが吐き捨てる。
クワイリーは苦笑するだけで何も言わない。
本気装備や戦争用など色々な呼ばれ方をする、衛士たちの一張羅。
普段は王城の兵器庫で眠っている、個人用に一から制作され、退団時に鋳潰される武器防具。
普段使いの巡視用装備とは一線を画す品質とエンチャントが施された準国宝級のそれらは、滅多なことでは装備許可が下りない。
理由はまぁ、色々だ。
軍隊に常に最上位装備をさせておくということは、常に戦争の用意が出来ているということだ。それでは他国との間に要らぬ摩擦を生んでしまう。
衛士団は攻撃戦では一番槍であり、防衛では最前線となる盾であると同時に、警察組織や治安維持部隊の役目も持っている。彼らが常に本気の武装をしていては、民衆も落ち着いて生活できないというものだ。適度な威圧感を与えるために鎧を纏い帯剣しているが、本気装備とは格が違い過ぎる。
そして最も大きな理由は、彼らこそが王国最強であることだ。
所属条件に軍学校か魔術学院の成績上位卒業者かAランクの冒険者であることと三年以上の実戦経験を課す組織など、衛士団以外には存在しない。数こそ王国最後の盾を自称する近衛騎士団に劣るものの、二つの軍が衝突すれば鎧袖一触に屠られるのは近衛の方だ。
そんな連中に最上位装備をそう易々と持たせられるか、というのが、王宮警備を担当する近衛たちの総意である。
万が一クーデターでも起こされれば、その成功が確実なものになってしまう。
「国王陛下は、なんと?」
「いえ……恐らく、陛下はこの現状をご存知ありません」
「は? ……クソ、騎士団長か?」
近衛騎士団長が王都衛士団に対して狂信にも近い憧れを抱いているのは、衛士団に属する者であれば周知の事実だった。
彼は決して無能でも愚かでもない。騎士団において、軍学校卒業者の割合は3割程度。残りは家督を継ぐ見込みのない貴族の次男・三男辺りが大半を占める。そんな組織に在って異色な、軍学校次席卒業者という輝かしい経歴。しかも、衛士団の先代団長と同期──ドラゴンを単騎で落とす変態の次席である。「奴が衛士になるのなら、私には騎士が似合いだろうさ」と騎士になった辺りから諦めが見えるが、騎士団長にまで昇り詰めた辺り、優秀であることは間違いない。
悲しむべきは──彼の知る「衛士」が、衛士たちをして「変態」「超人」「人外」と言われ放題だった先代団長と、「超人」の名を受け継ぎ、新たに「脳筋」の称号を得た現衛士団長だけだということ。そして、そんな彼らに次席として喰らい付ける程度には、彼自身が強いこと。
問題が起こり、手に負えないと判断し本気装備の解禁を申請してから許可に時間がかかるのは、騎士団長の認識に原因の一端がある。すなわち──「この程度の問題であいつらが屈する訳が無い」と。
騎士団長のそれが悪意ではなく好意ゆえに衛士たちも心の底から嫌うことはできなかったが、好かれてもいなかった。積極的に暗殺しようとは思わないけど、一日一回、クローゼットに足の小指をぶつければいいのにな。くらいである。
「分かりません。報告が途中で握り潰されている可能性も」
そしてさらに残念なことに、近衛騎士団は無能の掃き溜めにも近かった。
トップは優秀だ。近眼ではあるが、衛士たちが認めるだけの強さはあるし、貴族が幅を利かせる近衛騎士団で平民ながらトップに立った傑物だ。……本当に、色眼鏡を外しさえすれば手放しで尊敬できるのだが。
だが配下は、率直に言ってヘドロだった。
実家の権力で地位を得るのは当たり前。賄賂、恐喝、平民出身者や低位貴族への身分差別が横行している。
もはや騎士団長個人がどうこう出来るレベルではないし、だからこそ清廉な衛士団への憧れが加速しているのだろうが、それはこうなるまで放っておいた先代以前に問題がある。
「……団長が何も言わないってことは、まだ何とかなるってこと……なんですかね?」
途中で不安そうになったジェイコブに、クワイリーは肩を竦めて返した。
「さぁ? あの人も脳筋ですからね」
王都衛士団──駄目そうだった。
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