第9話

 ヨハンの捜索について大まかな役割を決め、早速行きましょう! というモニカの声に従う形で、フィリップたちは教会を出た。

 大通りまで出てから散開することに決め、連れ添って歩く。その途中で、ジェイコブは何度もモニカとフィリップに念を押していた。


 「いいね? 無理はしないこと。暗くなってきたら切り上げて、家に帰ること。不審な人物を見かけても、後を追いかけないこと。理由は覚えているね?」

 「勿論! 大通りは人が多いから、暗くなったら全員の顔を判別するのには集中力がいる。だから、長丁場になることを見越して、早く寝て体力を温存するため!」

 「それと、あからさまに不審な人物は、それ以外の人から視線を逸らすための囮かもしれないから、ですね」


 それらしい理屈を並べてはいるが、要は、というか文字通り子供騙しだ。

 正義感に燃える子供たちを遠ざけて、もっと危ないところに首を突っ込まれるよりは、大通りを監視するという「任務」を与えて安全なところに置いておいた方がいい。

 

 フィリップも別にヨハンがどうなってもいいとまでは言わないが、衛士に任せる方が確実だと理解しているし、外神の加護を当てにして危険に首を突っ込むほど生き急いではいない。

 それに、フィリップが参加したところで、結局はあの邪神二人に頼ることになる。それなら、お荷物は分を弁えて大人しくして、彼らが勝手に成果を上げることを期待していた方が賢い。


 モニカと一緒に、ぼく、がんばります! そんな感じの態度を演じてはいるが、内面はもはや無垢な少年とは程遠いし、瞳もそれを反映して仄暗い。たぶん真剣に観察されれば一瞬でバレる演技だが、相棒を失った──まだ死んだと決まった訳ではないが──ジェイコブは、焦りからそれに気付かなかった。


 「あぁ、一緒に頑張ろう! じゃあ、俺は裏通りの方を見てくるから。服屋さんが閉じる頃には帰るんだよ!」


 大通りに着くとすぐに、ジェイコブはそう言い残して走り去った。

 この二等地でもまれな機械時計を所有している服屋は、いつも決まった時間に店を閉める。それを見て近所の店も仕舞い支度を始めるので、この辺りは午後6時だけは正確に把握できる。


 「さて、どうしますか? 私は手伝うと言ってしまいましたが」

 「私はパス。この子と一緒にお買い物でもしておくわ」


 この子と、の辺りで抱き寄せられそうになるが、フィリップは身を捩って脱出した。

 今のフィリップは失踪した衛士捜索に燃える少年なので、そう不自然ではないだろう。


 「では、そのフィリップ君に質問です。どうしますか?」


 どうしますか、とは、つまり「本気」で探すのか否かということか。

 勿論、否である。こんなところで眷属を召喚されれば大通りは地獄になるし、多数の触手を持つ化身でも象られたら王都が滅ぶ。


 「人間に出来る範囲で」


 人間と言ってもピンキリなのだが、フィリップの周囲には一般人しかいなかったので知る由もない。

 モニカのような吹けば飛ぶ人間もいれば、先代衛士団長のような変態もいる。


 ナイ神父は多少のレクチャーをしてフィリップを蒼褪めさせ、それを見て一頻り笑った。


 「では、私たちはあちらを──おや?」


 ナイ神父も移動しようとするが、その前に遠くの空で閃光が弾け、道行く人々も含めた全員の視線を集めた。


 「おい、今のって」

 「衛士の使う信号魔術か?」

 「何かあったの?」


 ちょうどジェイコブが向かった方角で打ち上げられた信号に嫌なものを感じ、フィリップはナイ神父に視線を向けた。

 おや、私に頼るのですか? とでも言いたげな嘲笑を黙殺すると、神父はつまらなそうに肩を竦めた。


 「様子を見てきます。マザーはこの子たちを」

 「えぇ、任せて」


 きちんとモニカも勘定に入れていたナイ神父とは違い、マザーはフィリップの両肩に手を置いた。

 隣人を愛せとまでは言わないから、せめて演技だけはしてくれと思う。


 「あ、あの、神父さま!」


 モニカが呼び止めるが、ナイ神父は一瞥すらせず歩き去る。

 特に気を悪くした様子もなく、モニカはその背中に手を振りながら叫んだ。


 「気を付けてくださいね、神父さま!」




 ◇




 ジェイコブが裏通りからも数本外れた、空きも多いがアクセスが悪く、人気のない倉庫街を捜索していた時だった。

 たまたま何かの作業をしていたのか、少し汚れた動き易そうな服装の男が二人、倉庫の一つから出てきた。


 ちょうどいいとジェイコブが近寄っていくと、男たちは近付いてくる屈強な見知らぬ男に警戒していた。


 「すまない、ちょっといいか? 人を探してるんだが」


 二人は顔を見合わせると、ジェイコブに向き直った。


 「別に構わないが、手短に頼むよ」

 「あっ! あんた、衛士の人だろ? 見たことあると思ったぜ。犯罪者でも探してるのか?」


 片方が言うと、もう一人もジェイコブの顔に見覚えがあったのか、あぁ! と納得の声を漏らした。


 強面は覚えやすいからな、とジェイコブは嬉しいような悲しいような微妙な気持ちになるが、それは自己評価が低すぎるというものだろう。彼らにしてみれば、ジェイコブは子供と話すときにはヘルムを取り、視線を合わせても一定確率で泣かれる、ちょっとかわいそうだが面白くて良い奴、程度の肯定的な認識だ。

 第一、人柄と戦闘力に高い評価が得られていないと入団許可が下りない衛士に、否定的な印象を抱いている者の方が少ない。気にしているのは本人ばかりである。


 それはともかく、彼らは報酬を求めたり、嘘を交えたりすることなく、非常に素直に話を聞かせてくれた。とはいえ──


 「すまねぇな、衛士さん」

 「一応、ウチの連中にも聞いてみるよ。何か分かったらあんたに……いや、詰所に知らせればいいか?」


 特に何の収穫も得られなかったが。

 この数日はずっとこんな調子だ。何者かが意図して隠しているか、或いはヨハン本人が全力で隠れているのなら、住人への聞き込み程度では見つからないだろう。


 「あぁ、助かるよ。時間を取らせて悪かった。ありがとう」


 礼を言って立ち去ろうとするジェイコブの目の前で、男の片割れが急に怒声を上げた。


 「おい、お前! そこは立ち入り禁止だぞ! 何やってる!」


 驚きつつも男の視線を追って振り返ると、建物の一つからふらふらと出てくる男の姿が目に入った。

 酷く衰弱しているのか、頑強そうな鎧の割りには足取りが弱弱しく──鎧?


 王都の中で鎧を着たまま出歩けるのは、衛士、冒険者、騎士、そして軍学校の生徒だけだ。


 王都衛士団の団員に支給される全身鎧は、人によって性能や細かな外見に差がある。

 よく斥候を担当する者の鎧には消音の工夫が、よく前衛を担当する者の鎧には防御系のエンチャントがされていたりと、衛士の強さを底上げする大切な装備だ。


 そして、ジェイコブはその鎧に見覚えがあった。

 その背中を幾度となく守り、幾度となく背中を預け、肩を並べて死線を潜り抜けてきた──


 「ヨハン! 大丈夫か! ヨハン!」


 ジェイコブは限界を迎えたように倒れ込んだ鎧の男に向かって走り出す。

 作業員の男の片割れが「詰所に伝えてくる!」と駆け出し、もう一人は倉庫の中から救急キットを取り出してジェイコブに続いた。


 「おい、ヨハ──ッ!?」


 ぐったりと倒れ伏したヨハンを助け起こすと、ジェイコブは右手にべったりと付着した血液と、その流出源であるヨハンの腹部に開いた傷跡に目を瞠った。

 ヨハンは主に前衛を担当しており、その鎧は機動性よりも防御力を重視した厚手のもので、付与されている魔術も防御に特化したものだ。それが抉るように破壊され、脇腹も内臓が零れそうなほど酷く損傷している。


 「ぁ……」


 か細い声が漏れる。

 掠れた小さな声を聞き逃さないように、なんて、繊細な配慮は王都衛士団には不要だ。


 「おい、起きろよ、ヨハン! 《ウォークライ》!」


 魔術の効果によってアドレナリンが分泌され、意識の鮮明化、戦意高揚や痛覚の軽減といったバフが付与される。


 あまり魔術の素養が無いジェイコブは魔力がごっそりと奪われる感覚に吐き気を催しながら、咳き込んでいるヨハンに懸命に笑いかけた。


 「起きたかよ、ヨハン」 

 「ジェイコブ……? モニカ嬢とフィリップ君はどうなった……?」

 「あぁ、無事だよ。二人とも、お前を探すのに協力してくれてるんだ。今度、礼を言わないとな」


 それを気休めと受け取ったのか、ヨハンは苦笑した。

 魔術によって話すことくらいはできるが、回復系の効果は一切ない。生死の境から引き上げることは出来ていない以上、そう捉えられても仕方ないのだが。


 「だ、大丈夫か、あんた! いま手当を──」

 「あぁ、いや、いい。ジェイコブ、お前も……逃げろ。あいつが……あの悪魔が来る前に!」

 「悪魔? ──ッ、下がれ!」


 作業服の男を突き飛ばし、ヨハンを抱えてその場から飛び退く。

 鎧を着た屈強な男を抱えての跳躍は、先ほどの補助魔術が無ければいくら衛士でも不可能なものだった。


 幸運に感謝しつつ、つい先ほどまで3人がいた位置に突き刺さっている槍を一瞥する。

 禍々しい気配を纏うその槍を投擲したと思しき人影が、ヨハンが出てきたのと同じ建物から姿を現した。


 「なるほど、悪魔……あいつのことか」


 現れたのは、みすぼらしい腰布だけを身に着けた、山羊のような顔と蝙蝠の羽、先端の尖った尻尾と蒼褪めた肌を持つ矮躯の悪魔だった。

 羽の数は4枚。中位悪魔の証だ。


 「外シタカ。良イ反応デハナイカ」


 悪魔は耳障りな声で、こちらを嘲るように言う。

 地面に突き刺さった槍を引き抜くと、二股に分かれた舌をべろりと出した。


 「貴様モ衛士トカイウ連中カ。精強ナ、美味ソウナ魂ダ」


 中位悪魔は一般に、人が使役できる最高位の悪魔であると言われている。

 その召喚には生贄と、優れた魔術師数人での大儀式が必要だが、裏を返せば、で使役できるということでもある。


 契約を遵守するその特性と、高い知能と戦闘力を併せ持つことから、召喚士と呼ばれる類の魔術師は一定以上の力を付けると必ず悪魔を使役するほどだ。


 「何処のどいつに使役されてるのか知らないが──!」


 ジェイコブはヨハンを置くより、男に逃げるよう指示するより先に、魔術によって生成した信号弾を打ち上げた。

 中位悪魔程度であれば、王都の衛士は一対一で問題なく対処できる。しかし、それはまともな武器や防具あっての話だ。平服で帯剣もしていないジェイコブと、満身創痍のヨハンではどうしようもない。


 「おい、こいつを連れて逃げろ!」

 「あ、あぁ! ……え? あんたはどうするんだよ!」


 ジェイコブは何も言わず、拳を握って構えを取った。

 興奮効果のあるウォークライはまだ効果時間中のはずだが、ヨハンがぐったりし始めている。


 「大通りへ行くんだ! 喪服を着た銀髪のご婦人を探せ!」


 ジェイコブの知る限り最高の回復魔術の使い手を頼り、男を行かせる。

 律儀にも二人が曲がり角に姿を消すまで、悪魔は何の行動も起こさなかった。


 「……実は、俺も見逃してくれたりするのか?」

 「何ヲ馬鹿ナ。最モ活キノイイ魂ヲ選ンダ、ソレダケノコト!」


 言葉通りジェイコブを生かすつもりは無いようで、悪魔は槍を構えて突撃してきた。

 軌道は見える。普段であれば問題なく弾くか、受け流せる攻撃だ。だが──剣も無く、鎧に付与された多種多様な補助魔術も無い。特に悪魔は、銀武器か魔法武器以外ではまともなダメージが通らない。


 分の悪い賭けだが──応援が来れば勝ちだ。


 「ギハハハ!」


 下品な笑い声を上げながら、無様に転がって回避したジェイコブを笑う。


 「中位悪魔風情がッ!」


 拳を振り上げて殴りかかると、悪魔は面白そうにその顔を差し出した。

 たかだか人間の拳程度で中位悪魔が傷付かないと知っているのだろう。実際、このまま拳がぶつかっても、ジェイコブの拳は大した手応えを得られず、逆に悪魔にカウンターを入れられるのが精々だろう。


 その判断は正しいが、それならば拳を受ける前にカウンターを入れればいいのだ。わざわざ顔で拳を受けるのは、無意味な行動を取った人間への嘲りか。


 だが──


 「それは慢心だ、馬鹿が!《エンチャント・フレイム》!」


 それは普段であれば、剣に炎を纏わせる魔法武器化の魔術。

 魔術型の衛士に、緊急用にと教わっていたものだ。前衛型で魔術の素養がないジェイコブでは発動するだけで精一杯、持続時間は短く、細かな制御も効かない。そのうえ二回も使えば魔力切れになる。


 切り札というには余りにも弱く、お粗末な代物だ。

 しかし、この場で悪魔のニヤケ面を殴り飛ばすには十分。


 驚愕の表情を拳によって強引に歪められ、炎でその表面を焼かれながら、悪魔はもんどりうって吹き飛んだ。



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