潜む悪魔
第8話
キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』
シナリオ1 『潜む悪魔』 開始です
推奨技能は各種戦闘技能と〈クトゥルフ神話〉か〈オカルト〉、〈応急手当〉〈信用〉です。
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フィリップが巻き込まれた誘拐事件から数日後。奉公先の従業員たちともそれなりに交流を深め、それなりに仕事を任され、それなりの結果を出していたフィリップは丸一日の休日を貰えることになった。
「フィリップ、明日は一日休みなのよね?」
「うん、そうだよ」
あの一件があったからか、或いはもともとそういう気質なのか、モニカはフィリップによく懐いていた。いや、彼女の方が年上なので、その表現は少し正確ではないが。
たまにフィリップの部屋にふらりと現れては、買い物やサボりに付き合わせている。
「なら、一緒に少し遠出しない?」
「え……何処に行くか聞いてから返事してもいい?」
まぁ十中八九あそこだろうが、なるべくならあの二人には会いたくない。
「投石教会に決まってるじゃない! 神父さまに会いに行くわよ!」
千なる無貌ナイアーラトテップが化身、浅黒い肌に黒髪黒目のナイ神父と、豊穣神シュブ=ニグラスが化身、銀髪に銀の瞳、喪服姿のマザー。
白痴の魔王の意図なき命令により、フィリップを守護するというモノ。この世の何より悍ましく、強大なる邪神たち。
積極的に会いたくないどころか、叶うなら死ぬまで遭遇などしたくなかった。
まぁ、もう遅いが。
少なくともあの二柱はフィリップの個人名を訊ねる程度には興味を持っているし、その上でその手から逃れられるはずもない。
現に今も窓の外に、黒い触手で編まれた、カラスを模したと思しき醜悪な使い魔が見える。仮にあれの目の届かない奥まった部屋や地下に行ったとしても、全にして一なる者からは何人たりとも逃れることは出来ない。彼はフィリップで、フィリップは彼がフィリップであることを知っている。逃げようとも思わなかった。
少し考え、行っても行かなくても変わらないかと思い直す。
それに、モニカ一人で行かせるのは不安だと、あの日にそう確信している。あの神父に惚れているらしいモニカを、一人で行かせるのは。
「分かった、いいよ。一緒に行こう」
そう言うと、モニカは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、今日は早めに寝ましょ。おやすみ、フィリップ!」
たたた、と小走りに出て行ったモニカ。あぁ、あれは──
察して、フィリップは耳を塞いだ。
「こら、モニカ! お客様がいるんだから、廊下を走らない!」
「わ、ごめんなさい!」
◇
二等地の奥まったところに、家に囲まれるようにひっそりと建っている小さな教会。
知る人ぞ知る、というわけではなく、近所の人はみんな知っている。
規模こそ小さいが、小汚いわけでもみすぼらしい訳でもなく、過度な装飾や異常な清潔さがあるわけでもない。
年季を感じさせる傷や汚れと、それなりの手入れが見受けられる、至って普通のバシリカ型教会だ。
ただ、もっと新しく、綺麗で、大きな教会が近くに幾つかあり、さらには住宅街のど真ん中ということもあって、「何かのついでに」とか、逆に「ミサの帰りに買い物しよう」といったことが無く、人気が無かった。
最近になって「あそこの神父と大修道女はとんでもなく美形だ」という噂が立つようになり、それに釣られた者がちらほら足を運んでいるが。
「こんにちは! ……あれ?」
元気よく入っていったモニカだが、噂の美形二人が何処にもいない。
しょんぼりするモニカを適当に慰めつつ、フィリップは最奥に据えられた大きな聖女像を見上げた。
(一神教の聖女、マリア。700年前に魔王を封印した、始原の聖女……だったっけ)
もともと熱心な信者という訳では無かったフィリップは、そんなおとぎ話を思い出していた。
だが。
(なんで頭が欠けてるんだろう。いや、それで二人がいないのかな? 直すための職人を呼びに行ったとか?)
ありそうと言えばありそうだが、ナイ神父が頭部の欠けた像を見て愉快そうに笑っているところの方がもっと簡単に想像できた。
頭部が欠けたといっても首が丸ごと無いわけではなく、被害を受けているのは顔の左半分だけだ。
その程度なら、あの無駄に器用な邪神は片手間に修繕できそうだが。
「この聖女像は、ずっと昔からこの状態なんですよ」
「神父さま!」
急に背後に現れたナイ神父。フィリップは飛び退くが、モニカは嬉しそうに挨拶をしていた。
「100年前、魔王がこの国に攻め込んだとき、魔王軍の投石によって聖女像の頭部は欠損しました。しかし、この教会に避難していた民には石の一片、瓦礫の一かけらさえ当たらなかったのです。人々はこれを聖女様の加護と喜び、崇め、感謝しました。そして当時無名であったこの教会に、『投石教会』の名を付けたのです」
「そのお話、知っています! 本で読みました!」
モニカが夜な夜なこの教会について調べていたのは知っているが、まさか成果があったとは。
いや、二等地の教会だし、歴史あるものなら調べれば出るのは当然か。
「ほう、きちんと勉強しているのですね。感心です。折角ですから、お祈りしていかれませんか?」
「はい、神父さま!」
二人は連れ立って奥の祭壇へと歩いて行った。意外にも優し気に対応しているナイ神父を見て、放っておいても大丈夫そうだと判断する。
幼子に向ける優しさではなく、殺す必要のない虫を窓の外に放るような、そんな優しさだが。
「ちなみに、あの頭部はきちんと修繕されていたわ」
「うわぁっ!?」
急に背後に現れたマザーがそう囁き、フィリップは飛び上がった。
叫び声に反応して振り向いた二人だが、モニカはすぐに祈る姿勢に戻り、ナイ神父は嘲笑を浮かべていた。
「ここに着いた翌日に、暇を持て余した彼が「歴史を再現しましょう」とか言って、石を投げて壊したのよ」
「ははは……本当に暇だったんでしょうね」
フィリップの中に在る常識の残滓が、罰が当たりそう、という感想を抱く。
同時に、彼らに罰を下せる者など存在しないとも、唯一神など存在しないとも知っているが。
「この教会ごと燃えればいいのに」
そう願わずにはいられなかった。
◇
少し経って、二人が祈りを終えた頃。
モニカとナイ神父が身廊に並ぶ信者用の長椅子に掛け、少し離れた椅子にはフィリップとマザーが座って話していると、少しの軋みを上げて扉が開いた。
来客か、という意識に反応して、仕事で染みついた習慣がフィリップの腰を上げる。すぐに仕事場では無かったと思い返して座り直すと、既に立ち上がっていたナイ神父が嘲笑交じりの一瞥をくれた。
すぐに来客と向き直り、ゆっくりと向かっていく。
その仕草や所作の一つ一つが洗練されており、彼が信仰に捧げてきた時間と信念の深さを感じさせる見事な作法だった。
まぁ、模倣だが。
信仰どころかその正反対に位置する邪神は穏やかな笑みを浮かべ、やってきた男へと声をかける。
「こんにちは。礼拝であれば、このままお進みください。その他の御用でしたら、私がお伺いします」
「こ、こんにちは。えっと……」
そっと振り返って客を見てみると、簡素な平民風の服装の男に、何故か見覚えがあった。
片眉に傷跡の刻まれた強面に、少し困ったような表情。どうにも記憶と一致しないが、フィリップは一応声を掛けてみることにした。
「ジェイコブさん?」
「え、あ、フィリップ君!」
正解だった。だが、やはり違和感が拭えない。
思い返してみれば確かに彼の声だし、顔も同じに見える。服装一つでこうまで印象が変わるのかと感心もするが、鎧と平服では体格すら違って見える。仕方のないことだと自分を納得させていると、隣でマザーが首を傾げていた。
「貴方のお知合い?」
「……あの日いた鎧を着た人ですよ」
「あぁ! 二人居たうちの片割れね?」
こそこそとそんな話をしているマザーとは違い、ナイ神父は自力で名前から個体を特定したようだった。
流石は千なる無貌、経験値が違う。
「あぁ、あの時の衛士さんですか。お久しぶりです」
「は、はい! お久しぶりです!」
握手など交わしつつ、ナイ神父はジェイコブを手近な長椅子へ誘導した。
放っておかれたモニカが頬を膨らませるが、神父は気付かないふりをしている。
フィリップがどうやってモニカの気を紛らわせるか考えている隙に、ジェイコブはナイ神父へ相談を始めていた。
「ふむ。この数日ずっと、ですか。いくら王都衛士団が精強とはいえ、流石に心配になりますね」
「はい。あいつもヤワな奴じゃありませんが、捜索の網にかからないとなると……」
「隠れているか、隠されているか、ですか」
「……はい」
厄介ごとの気配を感じ、フィリップの耳に神経が集中する。
魔王こそ100年前に封印されたものの、未だ魔物の跋扈するこの世界では、自分の身は自分で守るのが鉄則だ。
それが難しい一般市民を守るための衛士は精強無比とはいえ、所詮は人間だ。先代の衛士団長は王都を襲撃したドラゴンを一人で討伐した変態──もとい、超人らしいが、外神に比べれば蟻にも劣るゴミみたいなもの。
だが、そんなゴミでさえ正規の手順を正しく踏めば、外神との交信も可能なのだ。
あの時神なんたらというカルト集団の残党や、或いは全く別のカルトが王都に残っていないという保証は無い。
最大神格の庇護を受けるフィリップが死ぬことはないだろうが、王都は──というか、この星は別である。何かの手違いで外神と旧支配者が戦争状態にでも突入すれば、辺境の小さな星の一つや二つ、簡単に滅びることだろう。
「それで、その……勝手なお願いとは理解しているのですが、お二人にもヨハンを探すのに協力して頂きたいのです」
「ヨハンさんが居なくなったんですか!?」
「えっ!? あ、あぁ、実は、あの日からずっと……」
反応したのはフィリップではなく、モニカだった。
あの宿屋をずっと拠点として使っているらしいし、付き合いで言えばフィリップよりもずっと長く、親しいのだろう。
「わ、私も探します!」
マジか。
そんな顔をしているフィリップに、二つの視線が向けられる。言うまでもなく、彼の守護を任じられた邪神の二柱である。
フィリップの自由意志を縛るつもりはないのか、或いは何かしらのトラブルに巻き込まれた方が面白いからか──ナイ神父に限っては後者の可能性が高い──、二人はフィリップの行動を制限するつもりはないようだった。どころか、フィリップに合わせる様子を見せている。
「……僕も、微力ながらお手伝いします」
これで満足か、愉快そうな神父。
そんな視線を返すが、完全に無視された。まぁ完全にフィリップの意志で動いているわけではないので、それも当然だが。
「子供たちだけで動かれても心配ですし、衛士団には普段お世話になっていますからね。そのご恩を、少しでも返させて頂きましょう」
よくもまぁ思ってもいないことを、あれだけの笑顔で口に出せるものだ。
フィリップはそんな的外れな感心を抱いた。
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