10万円を取り返せ

 騙されたのだと気が付いたのは、実際に詐欺にあってから半年後のことだった。いや、正確には気が付いたというのは正しくない。もし、警察から電話がかかってきて被害について知らされていなかったら、それからも当分の間私は浮かれた気持ちでいただろうから。

 小説を書き始めたのがいつだったのか、はっきりとは覚えていない。ただ小学校の卒業文集の将来なりたい職業に「小説家」と書いているところを見ると、それはひょっとしたら私にとって最初の趣味と呼べるものだったのかもしれない。

 年齢やその時の環境によって、作品の内容は変わった。だけど、五十歳目前となるこの歳まで、ものを書くという行為は、常に私の側にあった。

 自分なりに納得できる文章や物語が書けたときや、構成がうまくはまったときの純粋な快感に魅せられてきた。学生時代、あるいは社会人になってからもしばらくまでは、あわよくば小説家になれたらという下心もあった。とにかく私は書き続けてきた。

 ここ20年ほどは、ものを書くことで心のバランスをとってきたように思う。一人では決して完結することのない仕事のストレスを、自分の創作した世界の中では忘れることができた。自分は他の人とは違うんだという、結局のところは万人の共通認識と現実のギャップを埋める役割も担ってきたのだろう。

 とは言え、仕事やプライベートが忙しくなるにつれ、ものを書く頻度は次第に少なくなっていった。

 久しぶりにきちんと書いてみようかと思ったきっかけは、入社して25年、結婚して20年で初の単身赴任だった。自分で自由になる週末の時間ができた。そして、新しい生活を始めたことで、短編にまとめられそうなネタがいくつか思い浮かんだのだ。

 半ばほこりをかぶっていたとは言え数十年来使い込んできた思考の一部だ、少し油を差せば稼働させることは難しくなかった。ただ、さあ書こうというスイッチを入れてくれる、なにか外的な要因が欲しかった。昔で言えば、それは新人賞への応募だったのだけれど、小説家になる夢をあきらめている今、それは荷が重かった。

 どうしようかと悩んでいた、そんなときにネットの小説投稿サイトを知った。

 何か難しい手続きが必要なのかと思ったが、調べてみると簡単そうだった。早速、アカウントを作成して、自己紹介コメント欄には、自分にプレッシャーをかけるため、「日常生活の一場面のちょっとした面白いを、毎週、4,000文字以内の短編小説にします」と書いた。そして、先日自分が体験した出来事をアレンジして書き上げた短編小説をアップロードした。

 久しぶりに小説を書いたこと、それを初めてサイトに上げたことだけで満足した。ところがしばらくしてサイトを確認して驚いた。十三人の人が私の小説を読んでくれていたのだ。

 数十年間、自己表現であり自己顕示欲を満たすために小説を書いてきたのに、これまで誰の目にも止まったことがなかったことに今更ながら気づかされた。それがこのわずか2時間ほどの間に十人を超える人に読んでもらえた。そんな二つの衝撃があった。

 大げさでなく、胸が震えた。

 それからは、小説を書いて投稿することが日常生活の中心になった。家事のときも、通勤の最中も、常に何かネタになりそうなことがないか考えていた。ネタや、文章が思い浮かぶと、忘れないように、すぐに自分で自分にメールを入れた。

 そうして苦労して投稿を続けると、ペイビューは順調に伸びていった。人生で初めて、ものを書くことを実感できている気がした。

 小島からメッセージが届いたのは、そんな手ごたえを感じていた時だった。

『いつも横嶋さんの作品を楽しみに読ませていただいています。日常生活の一場面が、コミカルに描かれていますが、一つ一つの文章や構成がかなり練りこまれていて、感心させられます。特に今回の、百円ショップで買ったお風呂用の椅子が小さすぎた話の、冒頭の振りと最後の一文での伏線回収、最高です!!』

 またも、私の胸は震えた。

 読んでくれている人がいるという事実は、これまでにない書きごたえを私に与えてくれた。だが、読んでくれている人がどう感じているかを、知ることはできなかった。それが初めて、読んでくれた人からメッセージが届いたのだ。しかも嬉しいことに、私がまさに趣向を凝らして書き上げた部分を小島は褒めてくれていた。

 それからも、小島は時折メッセージをくれた。そして、それはいつも私を喜ばせた。気が付けば、小島のメッセージは、私の心の支えになっていた。

そして、あのメッセージが来た。

『横嶋さん。これまでのメッセージにも書かせていただきましたが、横嶋さんの感性や、文章力には他の人にはないユニークな才能があると私は確信しています。それは万人に受け入れられるものではないかもしれませんが、横嶋さんの作品を熱烈に求める読者層は必ずいるはずです。

ただそのためには、やはり作家として書籍を出版すべきです。ネットサイトに投稿するだけでなく、小説の賞に応募すべきだと思います。横嶋さんの第一号ファンとして、失礼とは思いつつ、コメントさせていただきます』

 少し踏み込んだ内容だとは思ったけれど、あまり気にせず返信した。

『小島さん。ありがとうございます。若かった頃は、新人賞にもよく応募していましたが、残念ながら落選常習犯でした。ユニーク過ぎて選考者も選ぶようです(笑)。』

 それで終わったつもりだった。ところが、また小島から返信が来た。

『そうなんですね。実は、選考に恵まれないケースっていうのは良くあるんです。でも、それでは、あまりにもったいない。特に、個人的には横嶋さんには、このまま終わって欲しくない。もし、小島さんに小説家になりたいというお気持ちがあるのであれば、特別にお話したいことがあります。ただ、内密な話なので、ご興味があれば、こちらの番号に電話ください』

 当然、小島の話は怪しいと思った。だが、一週間悩んで、私はメッセージの番号に電話した。結局のところ、私は下心を捨てきれていなかったのだ。そして、そのことが、全てにおいて私の目を曇らせた。

 初めて言葉を交わした小島が、抑制のきいた口調で私に説明した内容は次のようなものだった。

 小島には出版関係の知り合いが多く、そのうちの一人の男性が内職で作品の添削を行っているのだが、実は添削は表向きで、その男性は本職の方で新人賞の選考も行っており、自分が添削した作品を、最終候補にまで残すことができる。

「受賞をお約束するものではありません。ただ、私は横嶋さんに足りないのはチャンスだけだと思っています。最終候補に残り、きちんとした読み手が読めば、受賞の可能性はかなり高いと考えています」

 それから、小島は謝礼の説明をした。十万円だった。

 小島が巧妙だったのは、決して支払いを強制せず、払えないでもない金額を提示し、夢のような対価を提示するでもなく、チャンスさえあれば自分はモノになるのではないかという私の自惚れを見抜き、そこをついてきたことだった。

 翌日、私は十万円を振り込んだ。

 支払いの三日後、私が以前に投稿していた作品の修整ポイントと、応募すべき公募の情報がメールで届いた。修整ポイントは納得がいくものだったし、公募先は名が知れた新人賞だった。締め切りがだいぶ先だったのは、今から思えば、詐欺が発覚するまでの時間を稼ぐためだったのだろう。

 小島から指示された通りに、小説を推敲し賞に応募した。それからは受賞が発表される日のことを思い、わくわくした気持ちで日々を送った。警察からの電話があるまでは。

 警察によると被害者は私ではなく、私と同じように小説サイトに投稿するアマチュア物書きが何十人も被害にあっているということだった。

 現実を突きつけられた私の感情は複雑だった。

 当然、騙されたことに対する憤りはあった。だがその他に、こんな状況にあってもまだ、小島を、いや正確には小島の私に対する評価を信じたかった。真実味を出すためとはいえ応募作へのアドバイスも的確だった。この半年の時間を思えば十万円は安かったんじゃなかったかという、変なお買い得感まで。本当にごちゃまぜだった。

 一つだけはっきりしていたことは、詐欺で小島から奪われた十万円を、今度は私が詐欺で小島から奪い返してやろうという決意だった。

 復讐ではなかった。それは私が学生時代に大好きだった、ジェフリー・アーチャーの『百万ドルを取り返せ』に対する私なりのオマージュだった。のんきと言えばのんきな話だが、まあ金額も百万ドルと十万円では大違いだし、そもそも、小島に対してそれほどの恨みがなかった。

 それからは、頭の中で荒唐無稽な、コンゲームを考えるのが私の楽しみになった。奪い返すのだ、10万円を、巧妙かつ華麗な作戦で。小島に気付かれることさえなく。そう、『百万ドルを取り返せ』のように。

 まずは小島に近づく必要があった。とは言っても、複数の詐欺罪を立証された小島には実刑が課される可能性が高かった。私は、小島の裁判の日程、想定される罪状・刑期を調べ始めた。

 郵便受けに郵便が届いていたのは、私がそんな図書館での調査を終えてアパートに戻った時のことだった。

 単身赴任先に郵便物が届くことは珍しい。気になって玄関先で封を開いた。驚きで、思わず封筒を落とした。それは、出版社からの佳作入賞の知らせだった。副賞は20万円だった。

 喜びよりも先に頭に思い浮かんだのは、振り込んだ10万円と賞金の20万円の差額は小島に返さないといけないという思いだった。皮肉でもなんでもなく、本当にこの一年近く、小島のおかげで充実した単身赴任生活を送ることができた。夢だった新人賞での入賞まで果たした。

 この賞金で小島とゲームを続けたい。素直にそう思った。

 10万円を小島に返すのだ。巧妙かつ華麗な作戦で。小島に気付かれることさえなく。

 こうして私の新たな作戦が始まった。

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