戦略的体育遊戯

 世界はこんなに簡単に変わってしまうのか。新型コロナウイルスの感染拡大がニュースで取り上げられるようになってからの二年間、個々の無数の悲痛な出来事だけでなく、社会の在り方そのものが根本から変化していくのを、私はただ呆然と見守ってきた。

 そんな激動の時代の中で、私自身にとって最大の変化が何かと言えば、それは就職面談のリモート化だ。

 世界史にも刻まれるような出来事が進展しているというのに、最大の変化がそんな些細なことだなんて、あまりにものどか、もしくは程度・視点が低いんじゃないかという意見が出てくるだろうことは承知している。

 ただ、入社以来三十年間、人事畑一筋で採用と労政に人生を捧げてきた私からすれば、それが正直な感想だし、実は私のような一般市民の生活のそんなところにまで変化が及んでいることこそが、新型コロナウイルスが社会に与えた影響の甚大さを表しているんじゃないか、そんなことを考えながらリモート会議システムの設定をしていた。

 その日は来年度採用の最終面談だった。うちは従業員が1,000人を超える、それなりの規模の会社だが、最終面談には必ず社長も参加するというのが決まりがある。

 万が一にもシステムトラブルが発生するようなことがあってはならないし、最終面談に残った候補者にろくでもないやつがいたら、これまた人事部門の失態ということになりかねない。そんなわけで、候補者よりも人事担当者の方が緊張するというのが、うちの最終面談なのだ。

 ところで、こんのろくでもない候補者のパターンもリモート面談になって変わった。

 以前なら、さすがにそれはというような派手な身だしなみや、面接室に入ってきていきなり挨拶もせず着席して足を組むといったような社会人としての基本的なマナー違反がほとんどだったが、リモートになってその辺はやらかしの機会自体が減った。

 そしてその代わりに台頭してきたのが、リモート会議の設定に関するマナー違反だ。リモート会議の背景がハワイのビーチだったり、やたらとノイズが入る場所から参加したりというやつだ。

 ただ、ろくでもない候補者が人事担当者の胃を締め付けるということには面直だろうとリモートだろうと変わりはない。私は祈るような気持ちで面接を進行していった。

 彼女がその日最後の候補者として登場したのは、運営面でも候補者面でも大きな波乱はなく面接が進み、無事終えられそうだなと安心しかけたその時だった。

「明京大学4年、高梨さくら、です。よろしくお願いします」

 カメラがオンになり画面に現れた高梨さんは、清潔感のある身だしなみ、カメラをまっすぐに見つめる目には誠実さと強い意志のようなものが感じられ、はきはきとしたきちんとした挨拶も含め、第一印象からとても好感が持てた。

 だが、高梨さんのリモート会議マナーが軽く私の胃を掴んだ。

 まず背景が、緑のネットだった。場違いな合成背景ほど悪くはないにしても、就職面談に似つかわしいとは言えなかった。それともう一つ、面談を遮るほどではないのだけれど、どこかで聞き覚えがあるカコーンという音が断続的に聞こえてきたのだ。

 大したことじゃないのかもしれない。だけど、システム越しに山岸社長と人事の野口部長の微妙な雰囲気を感じたのは、決して気のせいではなかった。

 頼む、巻き返してくれ、高梨さん!

 思わず心の叫びが口から出かかった。

「それでは、まず弊社への志望動機を聞かせていただけますか?」

 まず部長が口火を切った。お決まりの質問だったが、その口調にはどこか、試してやろうというニュアンスが感じられた。

「はい。私が御社を志望する理由、それは御社の経営戦略に興味を持ったからです」

 私の胃に加わる圧力が少し増した。

 高梨さんの回答は決して悪くなかった。ただ、序盤のやり取りの質問に対する回答にしては、少し攻めすぎていた。

 こう答えると、間違いなく突っ込まれる。それにうまく対応できる自信があるんだったら、作戦として間違っていない。だけど、あの雰囲気で始まった面談で、しかもまだ場も温まっていないのに、対処するのは至難の業だ。私はそう思った。

「弊社の戦略。それはどんな戦略ですか?」

 案の定、面談官は食いついてきた。しかもよりによって、社長自ら。まあ、高梨さんが戦略を口にしたのだから、戦略責任者が声を出すのは当然と言えば、当然だった。

 どう答える、高梨さん。

「はい。御社の戦略は、業界の中で奇をてらっていると評価されることが多いように思います。でも、そこに競合する他の会社がマネをできず、マネをしたら逆にその会社の事業のベースの部分に支障が出てしまいような罠が含まれているところが素晴らしいと思います」

 高梨さんの回答に私は目を見張った。それは、まさにうちに会社の戦略の基本的な考え方だったからだ。社長の表情も変化したのが分かった。

「ほう、戦略には詳しいようですね」

「詳しいというほどではありませんが、戦略が必要とされるスポーツに長く打ち込んできたので、他の分野でも戦略に目が行くようになっている部分はあるかと思います」

「スポーツ?どんなスポーツですか?」

「ゴルフです」

「ここに書いてありますね。アマチュアの全国大会で三位、大学選手権では優勝もしている。これは、本格的だね」

 部長が、履歴書を確認しながら言った。

「あっ!」

 社長の突然の大声に、部長も私もびくっとした。

「どこかで見たことがある顔だと思ったら、君、先月のゴルフバトルロワイヤルに出てたよね」

 社長のゴルフ好きは有名だ。趣味を聞かれれば、必ずゴルフと答えている。ゴルフバトルロワイヤルというのも、若手のプロを目指す若手女子ゴルファーが十人で一番ホールからスタートし、ストロークプレイで毎ホール一人ずつ脱落者を決定、最後の十ホールまで生き残った一名が優勝するという番組だ。

 社長はこの番組を欠かさず見ている。毎回、推しの選手を作っては、まるで自分の孫のように応援するのだ。社長が放送の翌日は決まってこの話題をするから、話を合わせるため、取締役は全員この番組をチェックしていると言われているほどだ。先日、発売された経済誌のインタビューでも確かその話をしていたはずだった。

「はい。残念ながら、八ホール目で脱落してしまいましたが」

「覚えてるよ。飛距離も出てたし、アプローチも正確だった。あれだけの技術があれば、てっきりプロになるものだとばかり思ってたよ」

 憧れの番組の出場者の登場に社長はすっかり普通のおじさんと化していた。

「はい、そのつもりで、番組の撮影終了後のプロテストにも挑戦して、最終選考会までは進めたのですが、実力不足で合格を勝ち取ることができませんでした」

「いや、今の女子ゴルフのプロテストは本当に難関だ。最終選考会の結果は運もあるし、そもそも実力がないと、二回の予選は突破できない。もったいない、もう一度チャレンジしたらいいじゃないか」

 社長の言葉に高梨さんはうつむきかけ、そして意を決するように、画面を正面から見据えると語りだした。

「私の家は、ゴルフ練習場を経営しています。今日の面談も、失礼だとは思いながらこんな場所から参加させていただいているのは、家のWi-Fiよりもお客様用に提供しているWi-Fiの方が通信が安定しているからです。

 私がゴルフに興味を持つきっかけも、とても単純で、身近にゴルフがあったからです。合ってもいたんだと思います。始めてからゴルフを嫌いになったことは一度もありませんし、幸いなことに練習したいときにはいつでも好きなだけ練習できる環境がありました。おかげで、プロテストを受けるレベルまで上達することができました。来年受験することができれば、合格できるんじゃないかという思いもあります。

 だけど、ゴルフにはお金がかかります。私のように恵まれている環境であっても、練習ラウンドや試合に出場するための移動や宿泊、用具にかかる費用は一年で数百万円になります。両親は、それでも良いから、もう一年頑張ってみろと言ってくれました。

 正直言えば、私もそうしたいです。でも、うちは本当に小さな練習場です。どうなるか分からない私のゴルフのために、そんな大金を賭ける余裕なんてないことは私にも分かっています。というか、これまで両親にはそれだけの支援をしてもらいました。

 ゴルフでは恩返しができませんでしたが、御社に就職して立派な社会人になることで、別の形で親孝行をしたいと今は考えています」

 社長は目をそらすことなく、じっと高梨さんの言葉に耳を傾けていた。高梨さんの話が終わると、腕を組み、少し深く椅子に座り直し、そして言った。

「高梨さくらさん。残念だが、君は不合格だ」

 高梨さんの表情に失望が浮かぶよりも早く、社長は続けた。

「だが、一年間、スポンサーをさせて欲しい。もし万が一、来年のプロテストに落ちるようなことがあったら、その時はもう一度、うちの会社を受ければ良い」

「ありがとうございます!」

 一転して、高梨さんの顔に浮かんだ大輪の笑顔。だけどその眼には涙が浮かんでいた。そんな高梨さんを見つめる社長と部長の目にも。

 最後は、社長も部長も笑顔でシステムから退出していった。残ったのは、カメラをオフにして参加していた私と高梨さんだけ。ただし、高梨さんの姿は画面になく、緑のネットだけが映し出されていた。面談を終了させよう、そう思ったその時だった。

「見事にさくらの作戦通りに行ったね、良かったね、これでゴルフ続けられるね」

 高梨さんのお母さんらしき女性の声が聞こえてきた。お母さんの声は震えていた。そしてそれに応える、高梨さんの声は声になっていなかった。

 なるほど、ゴルフが戦略的なスポーツというのは本当なんだなと納得した。

 今の話は聞かなかったことにしよう。そして私はリモート会議システムの電源を切った。

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