第29話 生存競争

 そのまましばらく待っていると、船内からバージルとアンディが出てきた。2人で何か布にくるまれた大きな物体を抱えていた。


「お待たせ、レベッカ! そっちの準備は済んだかい!?」


「ええ、滞りなくね。後は起動コードを入力するだけよ」


 レベッカが視線を向けるとエステベスがサムズアップした。


「それで、そっちはどうなの? それがあなたが言っていた物?」


「ああ、こいつは1人じゃ運べないんでね」


 バージルは頷いてその物体を甲板に降ろす。アンディが腕を回して腰を伸ばした。


「ふぅ! 見た目以上に重かったなこいつ! 姉さんもこいつの正体・・を見たら驚くぞ!」


「何なのよ。勿体ぶらないで早く見せなさいよ」


 レベッカは屈み込んでその物体をくるむ布を剥がす。すると、あの化け物と同じ『目』が彼女を見返してきた。


「ひっ……!?」


 突然だったこともあり、彼女は腰を抜かしてへたり込んでしまう。その様子を見たアンディが笑う。


「ははは! ほら、言わんこっちゃない!」


「な、な……何なのよ、一体!? これは何なの!?」


 レベッカは取り繕う余裕もなく声を張り上げる。それくらい衝撃だったのだ。ナリーニやエステベスも布から覗いたソレの姿を見て目を丸くしていた。



「……奴の子供・・だよ。以前に話しただろう?」



「……! あのタイロンが殺したっていう?」


 遺伝子培養で生み出されたはずの怪物が、元のサンプル・・・・・・と同じように『妊娠』していたという奇跡。その奇跡を解明しようとタイロンやエンバイロン社は、奴から子供を取り上げて解剖してしまったらしい。


 あの怪物が人間に憎悪を抱くようになった切っ掛けといえる事象。彼等はその子供の死体を保存して持ち運んできていたのだ。


「奴が確実に興味を示す『餌』としてね。できれば使わずに済ませたかったが、生憎そうも言ってられない状況だからな」


「…………」


 レベッカもアンディも、そしてナリーニもエステベスも……何となく首の座りが悪いような感覚を覚えた。奴はそこまで人間を憎悪する程に子供への愛情が深かったとも言える。


 その子供の死体を囮に使って『母親』を爆殺する。倫理的な罪悪感を覚える作戦である事は間違いない。だが……



「……やるしかないわね。自分達が生き残るためよ。綺麗事を言う気はないわ」


 レベッカがいち早く決断する。当然だがあの怪物と『話し合い』をする余地はない。すでに殺るか殺られるかの状態だ。どちらかが相手を殺し切るまでこの戦いは終わらないのだ。


 そう。これは戦いだ。そして戦いには卑怯や可哀想という概念はない。そんな事を考えていては自分達が殺される。  


「そう……ですね。私達が大人しく殺されてやる義理はありません。ウィレムさんの仇を討ちましょう」


 ナリーニも賛同してくれる。あの怪物は彼女達の仲間であるウィレムを殺しているのだ。それだけでも同情の余地はない。


 アンディとエステベスも既に覚悟は決めているようだ。ならば後は実行あるのみだ。幸い奴は先程の大漁・・で今のところ大人しい。今のうちに準備を完了させてしまうのだ。


 ケースから取り出した爆弾は見るからに業務用という感じの無骨な見た目であった。しかしきちんと防水仕様になっているらしく、このまま海中に投下しても問題ないとの事。


 爆弾を『子供』の死体にロープで括り付ける。あとは爆弾を起動させてからこいつを海中に投下するだけだ。あの化け物の『子供』だけあって、通常のサメの成体くらいの大きさと重量があるのでバージル、アンディ、エステベスの男3人で抱えて船の縁まで運搬する。


 ナリーニは事前に縁まで行って、海面を覗いて奴が彷徨いていないか監視している。レベッカは相変わらず銃を手に周囲を警戒する役割だ。ナリーニがOKの合図を出したので、残りのメンバーは『子供』の死体を抱えて船の縁まで到達した。レベッカは頷いた。


「ここなら良さそうね。皆、ご苦労さま。あとは爆弾を起動して投下するだけよ」


「ああ、奴が飛んできてくれる事を願おう」


 バージルが心底疲れたような顔でそう呟く。エステベスが素早く爆弾の起動コードを入力した。爆弾に据え付けられていたモニターに赤い数字が表示されカウントダウンを始める。それほど猶予はなさそうだ。


「よし、それじゃ……」



 そこまで言いかけた時だった。突然船が大きく揺れた。それも最初から凄まじい揺れだ。



「っ!!」


 突然の事に誰も対処できず、全員バランスを崩して転倒してしまう。ナリーニの悲鳴と男達の怒号が響き渡るが、揺れによる物が散乱する騒音にかき消される。彼等は何とか手近な手すりや柵などに掴まって転落を免れる。ナリーニはアンディが咄嗟に抱えてくれていた。


「奴よ! こんなに早く攻撃を再開するなんて……!?」


「危ない!!」


 事態を悟ったレベッカだが、そこにバージルの絶叫が重なる。彼女自身必死に手すりを掴んで身体を支えながら彼の方に顔を向ける。


「……っ!?」


 そして驚愕した。あの『子供』の死体がものすごい勢いで彼女の方に迫ってきていた。船が揺れによって大きく傾き、レベッカは縁の手すりを掴んでいる状態だった。そこに放り出されていた『子供』の死体が傾きによって落下してきたのだ。そしてその落下の途上にレベッカがいた。



「あ――――」



 何をする暇もなかった。大きな質量に激突されたレベッカは、その衝撃で手すりから手が離れてしまった。


 身体に支えがなくなり空中を舞う感覚。世界が妙にゆっくりと感じられた。このまま海に落ちれば当然待っているのは確実な死だ。レベッカは自分はここで死ぬのだと悟った。だが……


「レベッカッ!!」


 バージルの声。そして腕が引っ張られる感触。


「っ! バ、バージル……!!」


 顔を上げたレベッカは目を瞠った。バージルが間一髪のところでレベッカの腕を掴んで落下を食い止めたのだ。だが彼は片手で手すりを掴んでいるのみで二人分の体重を支えている事になる。


「ぐ、ぬぬ……! 君、別れてる間に太ったか!? もうちょっとダイエットしろ!」


「……っ! し、失礼ね! 太ってなんかないわよ!」


 苦しげな表情ながらそんな軽口を叩くバージルにレベッカは一瞬状況も忘れて怒鳴る。だがすぐに下で凄まじい水音と共に飛沫が跳ね上がり、それが全身にかかって状況を思い出した。反射的に下を見た彼女はすぐにそれを後悔した。


 今彼女はバージルに腕を掴まれているだけの状態で船の手すりからぶら下がっている状態であった。バージルが手を離したら海に真っ逆さまだ。そしてそんな彼女の真下に……奴がいた。


 海面スレスレの位置で円を描くように泳ぎ回っている。まるで獲物が落ちてくるのを待っているかのように。いや、待っているだけではない。奴が大口を開けて水面から跳び上がってきた!


「――――っ!!」


 レベッカは思わず身を固くするが、奴の跳躍は彼女の足にギリギリ届かず再び海中に没した。顔から血の気が引くという感覚を彼女はリアルに味わった。


「レベッカ! くそ……!」


 バージルが顔を真赤にしてなんとか彼女を引き揚げようと踏ん張るが、ウィレムならともかくバージルでは文字通り荷が重いようで、レベッカが落ちないように支えるので精一杯のようだ。いや、それすらも危うくなってきている。アンディもナリーニを庇っていて、とてもこちらの救助に回れる余裕がない。船は現在進行形で激しく揺れているのだ。


 このままでは遠からずレベッカは奴の餌食になるだけだ。激しい恐怖と焦燥に苛まれる。だがその時……



「おい! ソイツ・・・を海に落とせ! もう時間がねぇ!!」



「……!!」


 エステベスが声を張り上げて警告してくる。レベッカはその時初めて、『子供』の死体が手すりに引っ掛かるような形で自分のすぐ近くにぶら下がっている事に気づいた。彼女が手を伸ばせば何とか届きそうな距離だ。


 もしかして下の怪物は、この『子供』の姿を見た事で狂乱したのではないかとレベッカは考えた。今も海面から執拗に跳び上がっているのはレベッカへの攻撃ではなく、この『子供』を取り返そうとしているのではないか。そう思ったのだ。


 そしてエステベスが言うように、括り付けられている爆弾のカウントダウンがかなり進んでいた。もう一刻の猶予もない。



「……! バージル、お願い! あともう少しだけ踏ん張って!」


「っ! わ、解った! 本当にあと少しだぞ!!」


 彼女の狙いを悟ったバージルが息も絶え絶えといった様子で、それでも何とか請け負った。レベッカは彼に礼を言うと、思い切り反動をつけて『子供』に向かって手を伸ばした。何度か失敗したが、やがて彼女の手が『子供』に届いた。


 船は大きく揺れ続け、下からは怒れる怪物が巨大な口を開けて脅かしてくる。そして爆弾のカウントダウンはもう後僅かしか無い。だが……


母親・・の所に……帰りなさい!!」


 尻尾の部分が絶妙に引っかかっていただけで、力を込めて引っ張ると『子供』の死体はすぐに手すりから抜けた。支える物がなくなった死体はそのまま海へ落下していく。すると即座に海面からあの化け物が跳び上がってきた。


 怪物はその口を大きく開いて『子供』の死体をキャッチしつつ、弧を描くようにして海面にダイブする。物凄い水しぶきが上がって、再びレベッカは水を被る。怪物は遂に自分の『子供』を取り返したのだ。しかし……



「アンタには同情もするけど……ちょっとやり過ぎたわね。……これで終わりよ!」



 レベッカの言葉が終わるかどうかというタイミングで……奴が潜っていった海の中から凄まじい轟音が響いた。そして海面に巨大なうねりと波紋が沸き立ち、それに混じって大量の鮮血と肉片が飛び散った。


 爆弾の衝撃によって船が再び揺れたが、バージルは顔を赤くしながらも何とかレベッカを支えきった。だが流石に限界らしく手が離れかける。


「姉さん! 大丈夫か!」「おい、落ちるなよ!?」


 そこにアンディとエステベスが慌てて駆けつけてきて、限界を迎えたバージルの代わりにレベッカの腕を掴んで支えた。レベッカはホッと息を吐いて、改めて海面に視線を向ける。


 今まで奴が喰らってきた犠牲者たちとほぼ同じ量があるのではと思うほどの大量の血液が海面を染め上げ、怪物の肉片が浮かび上がる。しかしやがてそれも海面のうねりに飲み込まれて消えていった。



「……やっと、終わったわね」


 奴の死を確信したレベッカが大きく息を吐いた。夜中に最初の襲撃を受けて以来、ようやく彼女達は海魔の脅威と呪縛から解放されたのであった。

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