第30話 生還

「終わったんだよね? 実は生きてたとか無いよね?」


 アンディが不吉極まりない確認をするが、すぐにナリーニに叩かれた。


「アンディさん、冗談でもやめて下さい! あいつは死にました!」


「わ、解ってるよ。ちょっと信じられなかっただけだって! 叩かないで!」


 アンディは情けなく悲鳴を上げて縮こまる。安心の裏返しだろうが、早速仲のよろしい事だ。だが弟の気持ちはレベッカにもよく解った。



「レベッカ、見事だったね。お陰で俺達の不始末を片付ける事ができた。礼を言うよ」


 バージルが近づいてきた。レベッカは彼を睨みつけた。


「ホントよ。とんでもない目に遭ったわ。事前の話には無かった事態だし、追加報酬を貰わないと到底割に合わないわよ」


「う……それを言われると痛いな。でも君の言う事も尤もだ。なんとか取り計らってみるよ」


「約束よ。あとさっき私に太ったとか言ったでしょ? 忘れてないわよ」


「おいおい、勘弁してくれよ! あれは咄嗟の無意識で口走っただけだって!」


 バージルが両手を上げて降参のポーズを取るがレベッカは目を吊り上げて詰め寄る。 


「咄嗟の時こそ本音が出るものよ! あなたこそそのデリカシーの無さに磨きがかかってるんじゃない!?」 


 レベッカは許さずに増々詰め寄った。こんな呑気なやり取りが出来るのも、奴を無事に倒したからだ。レベッカの態度にはその安心の裏返しも含まれていた。



「何でもいいけどよ。無事に終わったんなら、ここからスバまで帰るための算段を立てねぇか?」


 エステベスだ。若干呆れの含まれた口調だが、彼の言うことも尤もだ。とりあえず化け物鮫の脅威は去ったが、このままここで遭難している訳にもいかない。


「そうね。奴もいなくなった事だし、残ってるボートで最寄りのナイライ島まで向かいましょう。そこにある村からスバに連絡してもらえれば大丈夫じゃないかしら」


 怪物さえいなくなればそれで問題ないはずだ。ナイライ島。本来であればウィレムが到達していたかもしれないポイント。


「姉さん、ウィレムの為に祈ろう」


「……! ええ、そうね。せめて彼の魂に安らぎがあらん事を」


 レベッカは短く黙祷を捧げた。アンディやナリーニは勿論、バージルとエステベスもそれに倣った。



「……さあ、それじゃあそろそろ――」


 バージルがそう言って皆を促そうとした時だった。彼は何かを見てその目を大きく見開いた。そして半ば条件反射的な動きでレベッカに飛びついた。


「レベッカッ!!」


「っ!? な、何!?」


 レベッカは急にバージルに突き飛ばされて驚く。しかしその直後に銃声・・が鳴り響き、それにバージルの苦鳴が重なる。


「ぐッ!!」


「バージル……!?」


 レベッカやアンディ達が腕を押さえて膝をつくバージルに慌てて駆け寄ろうとする。だが……



「――おっと、動かないでもらおうかな諸君」



「あ、あなた……徐!?」


 レベッカ達が驚愕の表情で注目する先……船内へと続くドアの中から銃を持った3人ほどの男が現れていた。全員中国人だ。マサイアスを焚き付けた主犯とも言える徐文州とその部下2人だ。そういえばあの銃撃戦の最中から姿が見えなくなっていたが、どうやら騒ぎが収まるまで船内に隠れていたらしい。


「いや、君達の働きには感謝するよ。お陰であの化け物鮫に悩まされる事は無くなった。これで後は君達を始末すれば晴れてスバに戻れるという訳だ。無事に戻る方法も君達が教えてくれたしね」


「……!」


 こいつらは隠れて一部始終を見聞きしていたのだ。


「それにマサイアス君も用が済んだら始末するつもりだったが、それも君が代わりにやってくれて感謝に堪えないよ。私からの感謝の気持を是非受け取ってくれ給え」


 徐が合図すると、彼の部下2人が改めてこちらに銃を向ける。レベッカも船が揺られて転倒した際に銃を手放してしまっていて丸腰だ。他には誰も武装していない。この状況で徐達の凶行を止める事は不可能だ。



 ――大きな銃声が響き渡った。



 レベッカ達は自分が、もしくは他の誰かが撃たれたのだと身を固くした。だが……誰も撃たれてはいなかった。しかし今確かに銃声が轟いた。では今のは何だったのか。その答えはすぐに出た。


「な……ば、馬鹿な……。貴様……なぜ生きている!?」


 そして徐もまた驚愕していた。彼は銃弾に倒れた部下達・・・・・・・・・から、その銃撃を撃ち込んだ者に視線を移す。そこにはライフル銃を構えた巨漢・・が屹立していた。その姿を見たレベッカは信じられない思いで目を見開くが、やがてその表情が歓喜に彩られる。



ウィレム・・・・!!」



「……待たせてしまってすまんな、レベッカ。すぐに終わらせるからもう少しだけ待っていろ」


 聞こ覚えのある低い声。てっきり死んだと思っていた彼が何故か生きていた事にレベッカは涙を溢れさせる。


「き、貴様……この死に損ないがっ!!」


 一方で予期せぬ人物に部下を殺され単身になった徐は、それまでの仮面をかなぐり捨てた本性を露わにし、ウィレムに銃を向ける。だが既に彼に向けて銃を構えていたウィレムの方が遥かに速かった。


 彼のライフルから再び火花が散った。同時に身体に風穴を開けた徐が血を噴き出しながら吹っ飛んだ。


「ゴハッ……!! こ、こんな……事が……」


 甲板に倒れた徐は口からも血を吐きながら何かを呟くと、そのまま力尽き二度と動かなかった。だがレベッカもアンディ達も誰も奴の事など既に気にしていなかった。



「ウィレム! あなた……無事だったの!?」


「はは! 嘘みたいだ! 幽霊じゃないよな?」


「ア、アンディさん! いい加減にして下さい!」


 『ザ・クリアランス』のメンバーがウィレムの周りを囲う。ウィレムは苦笑しつつ頭を掻いた。


「いや、俺も危うく奴に食われる寸前だったんだが、何故か奴が急に何かを察知したように向きを変えて、この船の方に戻っていってしまったんだ。俺は結局アンディが海に入ってしまって、その血の臭い・・・・でも嗅ぎつけられたのかと思ったんだが」


「……!」


 レベッカは目を瞠った。血の臭い。それなら間違いなく彼女が海中で倒したヘイウッドとクリーヴズの事だろう。確かにあの時奴らは盛大に出血していた。普通の鮫でも凶暴になるくらいだ。あの化け物がそれを遠くから察知したとしても全く不思議はない。


 人間並みの知能を持つあの怪物は、それでレベッカ達の企みに気づいたのかも知れない。もう少しで殺せるウィレムを放って船に戻ってきたのはそれが理由か。


「なんにせよ本当に……良かったわ。おかえりなさい、ウィレム」


「ああ……ただいま、レベッカ」


 万感を込めたレベッカの言葉にウィレムは、滅多に見せない笑顔で頷いた。



「あんた、生きてたんだな。流石だな。殺しても死ななそうな感じはしてたけどよ。じゃああんたにも礼を言わせてくれ」


 レベッカ達が一通り再会を喜びあった所でエステベスが近づいてきた。


「ん? お前は……あの時引っ張り上げた男の1人か。状況からしてレベッカ達を助けてくれたようだな。俺の方こそ礼を言おう」


「……! 覚えててくれたのか。ああ、いや、大した事じゃねぇよ。もう社長にはついて行けなかったんでね」


 2人は互いに礼を言い合って握手を交わした。そこでバージルが何かを思い出したように嘆息した。幸いにも銃弾は掠っただけで、怪我は大した事なかったらしい。



「さて、じゃあそろそろ行くか……って言いたい所なんだけど、の事を忘れていた」


「彼? ……! まさか、タイロンの事?」


 レベッカが眉を上げるとバージルは首肯する。


「そう、彼の事。あの混乱の中で姿を見失ってしまったんだけど、このまま放っておく訳にも行かないからね。悪いが彼を連れてくるので少し待っていてくれないか?」


「連れてくるって言っても居場所は分かってるの?」


「いや、どうだろうね。一応部屋を覗いてみるつもりだけど」


「だったら全員で探したほうが早いんじゃない? また何か駄々こねられても面倒だし」


 ゴチャゴチャ言うようだったら強引に引きずってくるまでだ。今はこっちにもウィレムがいるし造作もない事だ。暗にそれを示唆するとバージルは若干顔を引きつらせながらも同意してくれた。


「まあ、確かにその方が手っ取り早いかもな。じゃあ頼めるか?」



 アンディとナリーニはボートの準備をする為にこの場に残り、他のメンバーでタイロンを探す事になった。しかし……エステベスも含めて4人で探したにも関わらずタイロンを発見できなかった。


「いないわね。全部の部屋を見て回ったと思うんだけど」


「物置や操舵室にもいなかったぞ」


「浸水した機関室も同じだ。そもそも大声で呼んでんだ。隠れてるだけなら聞こえるだろ」


 ウィレムやエステベスも成果なしのようだ。


「きっとあの混乱の中で船から落ちて化け物に喰われたんです。天罰が下ったんですよ」


 甲板に戻ってきてタイロンが見つからなかった旨を伝えると、ナリーニがそう言って鼻を鳴らした。よほど嫌いであったらしい。まあ無理もないが。


「正直僕もあいつに撃たれた身としては同情する気にはならないね。探しても呼んでも出てこないならきっと死んだのさ。生きてたってそれはもう自己責任だ」


 アンディもこれ以上の捜索をやめて(生きていたとしても)置き去りにする事を暗に示唆した。レベッカ達にしてもタイロンなどにこれ以上の時間と労力を割きたくないというのが共通の認識であった。


「まあ俺ももう会社を辞める身だしな。これ以上彼のお守りは御免だ。彼の生死に関わらずもう出発するとしよう」


 元同僚だったバージルがそう決断した事で、タイロンの捜索を切り上げて船を離れる事になった。必要な物資だけを持ってボートに乗り込むレベッカ達。ギリギリ全員が乗り込む事ができた。もうあの悪夢の化け物はいないので、脅威を気にする事なく航行できる。



 海に佇む『ブルー・パール号』が徐々に遠ざかっていく。あの船の上で過ごした時間は精々が数日であったが、体感的には何年もいたように感じた。それほど色々な意味で濃密な時間であった。それだけに自分も仲間たちも無事に生還できた事が信じられなかった。これは奇跡以外の何物でもない。


(……少なくともしばらくの間、海は勘弁願いたいわね)


 海洋環境活動家でありながら、レベッカは心の底からそんな事を考えるのだった……



*****



「……行ったか。馬鹿め。誰が貴様らなぞに捕まるか。私の使命・・はまだ果たされてもおらんというのに」


 レベッカ達が船からいなくなった事を確信したタイロンが、隠れていた冷蔵庫・・・の中から這い出してきた。連中と一緒にいたら必ず彼を司法に突き出そうとしたはずだ。隠れるのは当然であった。そしてそれだけではなく……


「ふふふ……コレ・・さえあれば研究を継続できる。私はこんな所では終わらんぞ……!」


 タイロンの手の中には切り取られた・・・・・『子供』の組織の一部があった。既にあの生物の遺伝子データなどは全て会社のサーバーに入っている。このくらいの量のサンプルがあれば再び培養・・を試みるには充分だ。


 まさか逃げ出した実験体があれほど凶悪に成長しているとは想定外であった。知っていれば最初からこの方法を選択していたというのに。



 そして彼は全ての無線装置を破壊したと奴等には言ったが、実際には一つだけ使える装置を残していた。エンバイロン社に直接信号を送れる小型発信機だ。これの存在はタイロンと『船長』のみが知っていた。これを使えばエンバイロン社に直接迎えに来てもらえる。


「ひ、ひひ……これからだ。今回の事故・・の原因を分析して、二度と同じ失敗を犯さないようにすればいい。これから私の偉業が始まるのだ。世界の科学会に私の名前は永遠に刻まれるだろう! ひはははは……!!」


 発信機を操作しながらタイロンは狂ったような哄笑をいつまでも上げ続けていた……

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