第25話 海中の死闘

 ヘイウッドがスピアガンを捨ててナイフを抜くと、こちらに真っ直ぐ近づいてくる。ナイフで直接彼女を殺すつもりだ。


(……ふざけんじゃないわよ! あんた達になんか絶対に殺されてたまるもんか!)


 元々環境保護のためなら危険な連中とも渡り合う仕事をしているだけあって、強気な性格だ。そこに命を狙われた怒りも加わってより大胆になった彼女は、迫ってくるヘイウッドにスピアガンを向けた。そして躊躇う事なく引き金を引いた。


 スピアガンから発射された細い銛は正確にヘイウッドの腹の当たりに突き刺さった。


「……!? ……っ!!」


 ヘイウッドが一瞬何が起きたか分からないというように、自分の腹に刺さった銛を見やる。そしてその直後狂乱したように悶え苦しみだした。大量の赤い血液が海中に撒き散らされて、赤い泡となって上昇していく。


 レベッカは自分の行動の結果に内心でたじろいだが、今更後には引けない。それにこの連中は彼女の事を殺そうと襲いかかってきているのだ。自業自得であった。



 ヘイウッドは自分の血泡にまみれて動かなくなった。同僚が死んだ事を見て取ったクリーヴズがケースを一旦手放して、自らもナイフを抜いた。レベッカもスピアガンの一発限りの弾丸を撃ってしまったので、銃身を捨てて脚に装着していたナイフを抜いた。


 こんな場面を想定していた訳では無かったが、ナイフを携行していて本当に良かった。だがこれで互いにナイフ一本の格闘戦になってしまった。水中という条件下ではあるが、果たして荒くれ者の男相手に勝てるのだろうか。レベッカは激しく緊張した。


(いや、勝てるかじゃない。勝つのよ!)


 弱気になる心を叱咤する。クリーヴズは女相手と見て自分が負けるはずがないと判断したらしく、ナイフを構えて大胆に接近してきた。レベッカもナイフをしっかり握りしめてそれを迎え撃つ。逃げたところで確実に追いつかれるだろう。ならば生き残るためには戦うしかない。


(さあ、かかってきなさい!)


 レベッカが心の中で自分を鼓舞するように叫ぶのと同時に、接近してきたクリーヴズがナイフを煌めかせる。海中の事なのでその速度は遅いが、こちらも思うように動けないので条件はさして変わらない。必死に体を泳がせてクリーヴズのナイフを避ける。


 奴が連続してナイフを振るってくるが、やはりレベッカは遠のくようにようして辛うじて切っ先を躱す。すると焦れたのかクリーヴズが掴みかかってくる。密着して捕まえてからナイフで刺す気だ。


 完全に捕まってしまうと女であるレベッカが不利だ。彼女はそこで初めて反撃のためにナイフを突き出した。


「……!」


 クリーヴズが一瞬驚いたように目を瞠る。こちらに掴みかかろうと迫ってきている最中だった事もあって、レベッカのナイフを完全には躱せずに、その胴体に裂傷が走り血が噴き出した。


 クリーヴズの目が苦痛と、そして憎悪に歪む。奴は怒りに燃えてナイフを突き立てようとしてくる。レベッカは必死に後退しながら自身もナイフで牽制する。しかしやはり男で、かつ前に進んでくるクリーヴズの方が有利だ。


 必死の後退も虚しく捕捉されてしまったレベッカは、クリーヴズに腕を掴まれる。マズいと思ったときには物凄い力で引っ張られた。そして抵抗する余裕もなくクリーヴズと密着してしまう。


 奴は抱き寄せたレベッカをナイフで突き刺そうとしてくる。レベッカの方は奴に引っ張られたときの衝撃でナイフを取り落としてしまい、完全に丸腰だ。しかし何とか刺されまいと抵抗し、海中で激しい揉み合いになる。


(う……ぐ……! クソ、こんな奴に……!)


 揉み合いになると女のレベッカは圧倒的に不利だ。必死に抵抗するがクリーヴズの膂力に抑え込まれてしまう。そして奴がナイフを振りかぶる。


「……っ!」


 レベッカは思わず身を固くする。もう駄目だと諦めかけるが……



 ――何か大きな影が彼女の眼前を横切り、クリーヴズに激突した。そしてそのまま彼に食らいついた。



「……っ!! っ!?」


 クリーヴズが激しく動揺する。唐突に揉み合いから解放されたレベッカも目を瞠った。それは……鮫であった。ただしあの化け物鮫ではない。体長が3~4メートル程度の普通・・サイズの鮫だ。レベッカの見る限りそれはイタチザメの成体だと思われた。


 イタチザメはクリーヴズの胴体に食らいついたまま激しく頭を揺する。それに合わせて大量の血液が海中を赤く染める。


(ただの鮫が何故あの男だけを……?)


 一瞬混乱したレベッカだが、すぐにその疑問は氷解した。だ。クリーヴズは最初にレベッカが切りつけたナイフで胴体を切られていた。その傷自体は浅く、彼の行動を制限するほどでは無かった。だが派手な出血によって血の臭いが充満し、野生の鮫の嗅覚と本能を刺激したのだ。


 野生の鮫は一般人が思うほど凶暴ではなく、余程空腹でない限り無闇に人間や他の生き物を襲ったりしない。もみ合っている2人のうちクリーヴズだけに食らいついたのは彼が出血していたからだ。


「……っ!!!」


 クリーヴズは必死にもがくが、成体の鮫の膂力に人間が敵うはずもない。むしろ抵抗した事で鮫の狩猟本能を刺激したらしく、鮫はますます激しく頭を振った。夥しい量の血液が海中に泡となって漏れ出る。


 出血多量によるものか、噛まれた直接の傷によるものか、やがてクリーヴズは動かなくなった。死んだようだ。イタチザメは一心不乱に彼の身体を貪っている。凄惨な光景だが今のレベッカには天からの助けに思えた。



 彼女はクリーヴズの手放した爆弾のケースを探す。あった。丁度沈没船の甲板部分に落ちていた。言われていた通り相当に頑丈らしく、目立った破損もない。レベッカは極力イタチザメの注意を引かないように静かに潜行してそのケースを手に取る。


 少し重さは感じるが、浮力が働いており案の定自分でも運べる程度だ。貪り食われているクリーヴズを尻目にレベッカはケースを抱えながら、極力急いで浮上していった。


 後はこの爆弾を船に届けるだけだが、クリーヴズ達が戻ってこずにレベッカだけが単身でケースを運んできた時、マサイアス達がどのような反応をするかが気がかりではある。向こうはもうレベッカへの殺意が露見している状態なので、そう判断したマサイアスが強硬手段に出てくる可能性もある。


 懸念事項を挙げたらキリがないが、さりとてこの爆弾を持っていかなければ何も始まらない。


(……こうなったら出たとこ勝負よ!)


 開き直ったレベッカは覚悟を決めて、ひたすら自分たちが乗ってきたボートを目指して浮上していくのだった……

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