第24話 裏切り

「よし、それじゃあのマオリ野郎がクソ化け物を引き付けてる間にさっさと潜るぞ。早くしないとあいつが食われて化け物が戻って来ちまうからな!」


 マサイアスが自分が潜る訳でもないのに偉そうに指示してくる。その言い草に言いたい事はあったが、今はそんな問答している時間も惜しい。文字通り1分1秒を争うというやつだ。折角ウィレムが自身の身を危険に晒してまで作ってくれた時間を無駄にする訳にはいかない。


「それじゃ行ってくるわね。アンディ、ナリーニをちゃんと守るのよ?」


 レベッカは手早くセパレートの水着に着替えてアクアラングを装着しながら、見送りに来ているアンディに釘を刺す。弟は胸を叩いて頷いた。


「任せといてよ。姉さんこそホントに気をつけろよ? なんたって海に潜るんだからさ。あいつがいつ戻ってくるか分からないんだし」


「アンディさん、縁起でもない事を言わないで下さい! ウィレムさんは必ずやり遂げてくれますし、社長だって必ず無事に戻ってきます」


 無意識に不吉な事を言うアンディを嗜めるナリーニ。そんな彼等を尻目にやはり見送りに来ていたバージルも声をかけてくる。


「レベッカ……君は本当に昔から変わらないな。無鉄砲だけど……その勇敢さは敬服に値するよ。君の無事を心から祈っている」


「バージル、ありがとう……。あなたも気をつけてね。正直マサイアスや徐は信用できないし、タイロンの奴もいるから。あなたがちゃんと目を光らせていてよ?」


「確かにそうだね。こちらはこちらで大変だ。解った。俺も重々気をつけておくよ」


 そう言ってバージルも請け負ってくれたのでとりあえず良しとする。あまり話している時間もない。最後に脚にベルトを巻いて、そこに護身用のナイフを装着する。



「よし、こっちも準備できたぜ。いつでも行けるぞ」


 マサイアスの声が聞こえたので振り向くと、彼の他に黒いウェットスーツに身を包んでアクアラングを装着したクリーヴズとヘイウッドの姿もある。マサイアスは水着姿のレベッカを見て口笛を吹いた。


「ヒュウ! へへ、こんな場合じゃなきゃもっとじっくり鑑賞したい所なんだがなぁ」


 マサイアスだけでなくクリーヴズ達も好色な視線を向けてくる。あからさまな彼等の態度に不快感を覚えるレベッカだが、今は彼等と喧嘩している時間さえ惜しい。


「相変わらず下品で盛りの付いた犬みたいな奴等ね。まあそれだけ呑気で余裕があるって事にしといてあげるわ」


「……! けっ、言ってくれやがるぜ。だが確かに今は余計なお喋りしてる時間も惜しいな。お前ら、解ってるな? ケースを無事に持ち帰ったら明日から副社長だ。気張って行って来いよ!」


 マサイアスは部下たちにそう言って発破を掛ける。どうやらそれ・・を報酬代わりにして彼等に回収任務を納得させたらしい。



 レベッカ達はタラップを降りて素早くボートの一台に乗り込む。これで沈没した『ディープ・ポセイドン号』の真上まで行って、そこから潜るという訳だ。今ならあの化け物もいないので安全に潜る事が出来るはずだった。


 だがそれも時間が経てばどうなるか分からない。海に潜っている最中に奴と遭遇する事を考えると今すぐに逃げ出したくなるが、ここで尻込みしてもどのみち奴に兵糧攻めされて緩慢な死を迎えるだけだ。


 ボートはすぐに沈没した船の真上付近に到着した。レベッカは覚悟を決めると最後にゴーグルとグラブを装着し、気休め程度ではあるがスピアガンを手に持ち、ボートの縁に座って背中から倒れるように海にダイブした。


 気泡が立ち昇り海水の冷たさが一気に身体を覆う。とはいえスキューバダイビングは何度も経験しているので、この辺りは慣れた作業のようなものだ。クリーヴズ達も順次海中にダイブしてきた。マサイアスが選抜しただけあって、潜水は手慣れたもののようで動きに無駄がない。彼等もヘイウッドがスピアガンを所持していた。


 この辺りの海は自然保護区なだけあってサンゴ礁が連なっており水の透明度が高く、かなり先まで見通せる。海中で周囲を見渡すが、当然と言うかあの化け物の姿は見当たらない。無害な亜熱帯海洋生物ばかりが、こちらの苦労も知らずに優雅に泳ぎ回っている。


 一応の安全を確認した上で沈没した船を目指す。こんな場合でなければゆっくりと堪能したいような美しい海底の景色に不釣り合いな、無骨な鉄の塊がすぐに視認できた。沈没した『ディープ・ポセイドン号』だ。


 幸いにして深さはそこまでではないので、レベッカ達は海中に身体を慣らしつつ可能な限り急いで船を目指して、より深く潜っていく。


 千トンを越える鉄の塊は海中で見ると尚更巨大に見えて、人間の根源的な畏怖や恐怖を喚起する。幸いにしてレベッカ達は全員ダイビングに慣れていたのでそこまでの感情を覚える事はなかったが。それに実際にこの巨大な船を沈めた化け物がいつ戻ってくるとも知れないのだ。他の事に気を取られている余裕はない。



 ヘイウッド達は当然爆弾の入ったケースの位置がわかるようで、迷いなく船の後方部分に泳いでいく。レベッカはその後を付いていくだけだ。勿論周囲を警戒しつつだが。


 彼等は二人がかりで水没したドアのコックを捻って、船内への扉を開ける。レベッカは彼等が作業している間、スピアガンを構えて周囲を警戒する係だ。


 ヘイウッド達は扉を開けるとそのまま船内へと侵入していく。レベッカはここでついて行っても仕方ないので、そのまま周囲への警戒を続ける。この辺りの海は比較的透明度が高く澄んでいる。とても幻想的で綺麗な海中の景色の中を種々の生物が気ままに泳いでいる。普段であれば目を奪われて楽しくなる光景だが、今は海の向こうから今にも奴が姿を現すのではないかと気が気ではなく、とても景色を楽しんでいる余裕はなかった。


 実際の時間は精々5分くらいだろうか。レベッカにとっては永遠にも感じられる時間が経過した後、船からクリーヴズ達が出てきた。クリーヴズの手には頑丈そうなケースが握られていた。あれに件の爆弾とやらが入っているのか。これで本当にあの怪物を殺せるなら良いのだが。


 ケースは見た目にはかなり重そうだが、浮力を利用する何らかの機構が働いているらしくクリーヴズの泳ぐ速度にそこまでの停滞はなかった。


 無事回収できたなら後は急いで戻るだけだ。レベッカはホッと胸を撫で下ろした。あの化け物が現れる気配はない。ウィレムが上手く引き付けてくれているようだ。この分なら討伐作戦も上手く行きそうだ。


 彼女がそう思って安心しかけた時、丁度下から1匹のウミガメが近寄ってきた。若干心に余裕が出来ていた事もあって、彼女はそのウミガメの頭を撫でようと身を屈めた。


 ――シュオッ!!


 その直後、丁度今まで彼女の頭があった場所を何かが高速で通り抜けた。驚いたレベッカは思わずクリーヴズ達の方を振り向き……さらなる驚愕に目を見開いた。



 ヘイウッドがこちらにスピアガンを向けていた。そして銃の先端部分がなくなっていた。先程彼女の頭の上を通り過ぎたのはヘイウッドが撃った銛であったのだ。もし彼女がウミガメに気を取られて身を屈めなければ、細長い弾丸は彼女の頭を貫いていただろう。



 偶然によって銛が外れた事にヘイウッドがゴーグルの下の目を歪めた。それでレベッカは確信した。これは事故・・ではないと。彼は故意にレベッカを狙ったのだ。


(まさか……マサイアスの奴!)


 そこで初めてレベッカは、マサイアスと徐の2人が揃って『ブルー・パール号』に乗り込んできた本当の理由・・・・・を悟った。


 そもそも偶然にしては出来すぎていた。レベッカを邪魔に思う2人が揃っていて、この広い海でたまたまレベッカが乗っている船を発見して、2人揃って部下を引き連れて乗り込んでくるなど偶然のはずがなかったのだ。


 彼等は最初からレベッカを殺すつもり・・・・・で後を尾けていたのだ。船に乗り込んできたのもそれが目的だったのだ。しかしこちらがウィレムの指揮の元、予想以上に戦力を揃えていたので作戦を変更・・・・・したのだろう。


 恐らくこの2人は事前にマサイアスから、海中でレベッカを殺すように指示を受けているのだろう。海中でなら何があっても船上にいるアンディやバージル達に知られる事はない。


(だからってこんな時に……!? 嘘でしょ!?)


 いつ化け物鮫が戻ってくるかも知れず、しかも無事に爆弾を持ち帰らなければ結局は緩慢な死を迎えるだけという極限状況下で尚、レベッカを殺すという目的を遂げようとする彼等の思考が理解できなかった。


(私はあの化け物よりも優先すべき排除対象って訳?)


 まあレベッカが偶然身を屈めなければ彼等の目的は一瞬で達成していたはずなので、ついで・・・でも十分できる仕事だと踏んでいたのだろうが。



 しかしこうなった以上、彼女としては何としてもこいつらに殺されてやる訳にはいかなかった。理不尽な理由で状況も考えずに自分の命を狙ってきた連中に対する怒りは、彼女に一瞬だけ今の状況と恐怖を忘れさせた。

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