第20話 脱出計画

「きょ、巨大ザメだとぉ……? ふざけてんのか? 付くならもうちょっとマシな嘘を付きやがれ!」


 マサイアス達と現状についての情報を交換し合う。彼等は性懲りもなくあの旧日本軍の沈没船のサルベージを狙ってここまで来ていたらしく、徐が一緒にいる理由についてはカレニック社の新たなスポンサーになったからとの事であった。 


 そこで不審な船(ブルー・パール号)が停泊しているのを見つけて、様子を探りにきたという事らしい。


 それでレベッカの方も現在の状況を掻い摘んで彼等に説明した所であった。それを聞いたマサイアスが呆れたような表情になって怒鳴った。まあ気持ちは分かる。誰だってこんな荒唐無稽な話をすぐには信じられないだろう。だが……


「落ち着き給え、マサイアス君。確かに荒唐無稽な話ではあるが……表の甲板に転がっていた上半身だけの死体は現実だろう? 彼等の話はあながち作り話とも言えないのでは?」


 徐が冷静に諭す。そう。『船長』の異様な死体は、ある意味でこれ以上ない状況証拠と言えた。


「おいおい、徐の旦那。それじゃアンタはそんな化け物が本当にいるって信じるのか?」


「勿論実際に見るまでは信じられないが、とりあえずいるという前提で動いた方が間違いがないのは確かだね」


 マサイアスの呆れたような様子に徐は肩をすくめて答える。まあ徐の反応が理想的ではあるだろう。アレは実際にその目で見なければとても信じられない。



「合意が出来てなによりね。それじゃ化け物がいるっていう前提で、アンタ達の船の無線で救助を呼んで欲しいのだけど?」


 レベッカが促すとマサイアスが不快そうに顔をしかめる。


「ああ? ふざけんな。何で俺の船の無線をてめぇらの為に使わせなきゃならねぇんだ?」


「……お前の頭では『協力関係』という言葉の意味すら理解できんか? ただ救助を呼ぶだけならお前のような馬鹿でも出来るだろう?」


「んだと、このマオリ野郎が!」


 ウィレムが苛立たしげに唸ると、マサイアスは眉を吊り上げて詰め寄る。同じくらいの体格の大男2人が剣呑に睨み合う。


「まあまあ、落ち着きたまえ2人とも。別に無線を使わせるくらいは構わないだろうが……何なら君達もとりあえずこの船を置いて、私達の船に移らないか? それで『ディープ・ポセイドン号』で一緒にスバまで帰ればいい。それから警察なり軍隊なりに通報してこの船を回収してもらうというのはどうかね?」


「……!」


 徐の提案にレベッカは目を瞠った。確かにその手もある。いや、その方がこちらの安全を考えたらいいかも知れない。彼女はウィレムとバージルの方に視線を向けてその意向を確認する。


「……まあ俺は構わんぞ。どのみちこっちの船が動かん以上はそうするしかないだろうしな」


「この船をチャーターした会社の人間としては複雑だけど、まあどうせもう辞めるしな。君達の意向に従うよ」


 2人の同意を得られたレベッカは頷いた。


「という訳よ、ミスター・徐。申し出はありがたく受けさせてもらうわ」


「賢明な判断に感謝するよ」


 徐が満足そうに頷く。しかしそこでマサイアスが割り込んできた。

 

「おい、船長の俺様を無視して勝手に決めてんじゃねぇぞ。何で俺の船にてめぇらなんぞを乗せなきゃならねぇんだ。てめぇらはこのオンボロ船で勝手に救助を待ってやがれ」


 案の定ゴネ出した。またウィレムの機嫌が悪くなる前に何とかこの単細胞を説得しようとレベッカは考えるが……



「……マサイアス君。彼女・・達を君の船に乗せるんだ。そう……君が船長・・を務める船の上に、ね」



「……!!」


 徐の言葉に何故かマサイアスが反応して目を見開いた。それから一転して人の悪そうな笑みを浮かべる。


「あ、ああーー……そうだな。確かにそれが一番確実・・な方法かも知れねぇな。だったら俺にも文句はねぇぜ。お前らも俺の船に乗せてやるよ」


「……ありがとう、と言うべきかしら?」


 徐の言葉の何がマサイアスを変心させたのか分からないが、とりあえずこれでスバまで帰れる可能性が出てきたので喜ぶべき所だろう。


「いやいや、構わねぇよ。困った時はお互い様ってやつだ」


 胡散臭いくらいに爽やかな笑みを浮かべるマサイアス。ウィレムがそれに露骨な疑いの目を向ける。だがまるでマサイアスから意識を逸らせるかのように徐が大きく咳払いした。


「おほん! さて、合意が取れたなら早速行動に移すべきだと思うがね。君達の話を信じるならこの近辺を未だに凶暴な化け物鮫が彷徨っているという事らしいからね。私としてもいつまでもそんな場所にいるのはゾッとしない」


 彼の言う事も尤もだ。レベッカ達は頷いて、早速移動の準備に取り掛かる。



「なあ、姉さん。あのタイロンの奴はどうするんだ? 僕としてはこの船に置き去りでも一向に構わないけどね」


 アンディに言われてレベッカもあの男の事を思い出した。心情的には弟に同意したいレベッカだが、流石にそういう訳にも行かないだろう。あとで面倒な事になっても困る。


「そう……ですね。解りました。でもあいつを絶対私の半径2メートル以内に近寄らせないで下さい」


 ナリーニも消極的に了解してくれたので、バージルにタイロンの事を伝える。彼はしっかりと頷いた。


「任せてくれ。君達に絶対不埒な真似はさせない。君達の寛大な心に敬意を表するよ」


 そして乗組員を2人ほどタイロンの護送に向かわせる。その間にも『ディープ・ポセイドン号』に移る準備を進める一同。



「しかし実際問題としてどうやって向こうの船に移るんだ? 言っておくがお前達が乗ってきたボートで行く気はないぞ」


 ウィレムが問題点を指摘する。確かにマサイアス達が襲われなかった事は奇跡に近い。レベッカはあの人間を憎悪する悪魔がどこかへ行ってしまったなどと楽観する気は一切なかった。マサイアス達を襲わなかったのには何か理由・・がある。そんな気がした。


「それなら多分何とかなると思う。この船は一応元は客船だからね。観光客が乗り降りする為のタラップがある。向こうの船に横付けしてもらって間にタラップを通せば、それで海面に接する事なく渡れるはずだ」


 バージルが請け負う。確かにそれならハシゴなどを使ったりするよりは安全か。だがあの化け物の跳躍力を考えるとそれでも完全に安心は出来なかったが。



 バージルが何人かの乗組員達とタラップを用意している間に、タイロンが連れられてやってきた。たった一晩で大分やつれた印象になっていた。そして落ち窪んだ目で周囲の人間に呪詛を撒き散らす。


「……お前達が何をしようと無駄だ。私たちはここで奴に全員殺されて終わるのだ。お前達も例外ではない! 全員死ね! 奴に食われて死ぬがいい!」


「何だ、このイカれ野郎は? 俺に喧嘩売ってんのか、ああ!?」


 マサイアスが凄んで威嚇するが、タイロンは開き直っているのか怯む様子がない。


「お前達もだ! 悪徳と退廃の象徴め! 全員奴に食われてしまえ! はははは!」


「てめぇっ!」


 激昂したマサイアスがタイロンを殴りつけようとするが、ウィレムに止められる。


「やめておけ、時間と労力の無駄だ。それよりお前も体力が有り余ってるなら移動の準備を手伝え。再び化け物鮫が彷徨く海をボートで漕ぎ出したいなら話は別だがな」


「……っ! けっ……俺はまだお前らの与太話を信じた訳じゃねぇからな。お前らがやるっつーから手伝ってやるだけだ。ありがたく思え!」


 ウィレムの手を振り払って、肩を怒らせて甲板に歩いていくマサイアス。どうやら言葉とは裏腹に急に不安を感じ始めたらしい。その意味ではタイロンに感謝すべきか。

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