第18話 解き放たれた怪物

「な、何だ……!? まるで私が悪いかのような言い方だな! 生物の脳を刺激して知能を向上させる研究は、生化学者として極めて崇高な研究なのだ! ましてやオーストラリア政府の意向にも沿うのだから、むしろやらん方が科学への冒涜であろうが!」


「……どうやってあの怪物の知能を向上させたのかの詳細は、専門的な話になるのでここでは割愛する。だが結果としてその実験は成功・・した。成功してしまったんだ。俺達は……制御不能の悪魔を作り出してしまったんだ」


 開き直ったようなタイロンを無視してバージルは罪悪感から顔を歪める。やはり彼は最初から全て知っていたのだ。その上でレベッカ達にはその情報を隠していた。


「その件については幾重にも謝るさ。まさか俺も奴があれ程の怪物に成長しているなんて予想していなかったんだ。もっと簡単に捕獲回収できるはずだったんだ」


「そこも疑問だな。悪魔を作り出してしまったという自覚があるなら、何故もっと厳重に管理しておかなかったんだ? 研究所がどういう環境だったか知らんが脱走・・に対する措置を何も講じていなかったのか?」


 鋭く詰問するのはやはりウィレムだ。バージルはかぶりを振った。


「それを言われると耳が痛いな。奴の知能が向上しているという話はしたな? 俺達は……あいつに一杯食わされたのさ」


 彼は思い出したくもないといった様子で眉根を寄せる。


「元々は研究所の巨大水槽の中で飼育されていたんだ。そこは陸の上だから、万が一の事態があっても最悪あいつが海に逃げてしまうという心配はなかった。だがあいつはある日を境に、目に見えて急速に弱っていったんだ。勿論様々な原因が話し合われたが、やはり水槽飼育によるストレスが原因ではないかという結論に至ったのさ」


「……!」


 世界中のあらゆる水族館で、未だにホオジロザメの長期飼育に成功した例はないという。体の大きさや、回遊魚である事、他にも様々な要因が挙げられているが、はっきりした原因は解っていない。ましてやホオジロザメによく似た・・・・未知の生命体なら全てが手探りと言って良いだろう。


「そして……モーニントン島にあるエンバイロン社の海洋研究施設で、実際に海に入れて回復するか様子を観察しようという結論になったんだ」


 モーニントン島とはオーストラリア北部にある同国最大の湾であるカーペンタリア湾の中に浮かぶ島の一つである。そんな所にエンバイロン社の研究施設があるとは初耳であった。


「だが弱っていたというのは奴の演技・・だったんだ。奴は海に入るや否や、それまでの衰弱ぶりが嘘のように復活して、まだ完全に完成していなかった囲いの封鎖をすり抜けて、まんまと外洋に脱出してしまったんだ」


「……っ!」


 会社側は怪物が死にかけているという前提があったから、そこまで厳重に周囲を隔離していなかったのだろう。その油断を突かれたのだ。


「そこから先は大体以前に説明した通りだ。奴は北東に向かって進み、このフィジー近海を棲息地に選んだらしい」


 そしてそれを追ってきたバージル達は、現地ガイドの替わりとしてレベッカ達を雇ったというのが事の顛末だ。



「……なるほど、経緯は大体解った。だが、あの化け物が執拗に人間を襲う理由は何なんだ? こんな船を襲撃してまで人間を殺そうとするのは、野生動物としては明らかに不条理だ。どう考えても割に合わん・・・・・


「そうね……。あいつからは人間に対する憎しみのような物さえ感じたわ。実験動物として酷い扱いを受けて、それを根に持っていたって事?」


 それにしても常軌を逸している気がする。まるで人間そのものを根絶やしにせずにはおかない、という程の狂気じみた憎悪を感じたのだ。問われたバージルは苦々しい目つきで再びタイロンを睨む。



「部長、私は反対しましたよ。だがあなたは強行した。奴の……子供・・を実験材料に使う事をね」



「……っ!? こ、子供、ですって!?」


 レベッカは目を剥いた。あの化け物はメガロドンの死体から採取したサンプルを元に培養されたと言っていなかったか。


「ああ、言いたいことは分かるよ。だが事実だ。どうやら元々サンプルとなったメガロドン自体が妊娠・・していたようなんだが、まさか妊娠という後天的な要素が培養した個体にまで引き継がれているなんて考えられない事だ。だがそれだけにその奇跡・・は、科学者にとっては詳しく調べずにはいられない研究材料でもあったんだ」


「そ、そうだ! 私は悪くない! いったいどのような要因が重なってあのような奇跡が起こり得たのか、それを研究して解明する義務・・が私にはあったんだ!」


 ここぞとばかりにタイロンが自己弁護に走るが、バージルはそれに同意はしなかった。


「研究の必要性があった事は否定しません! だがあなたは逸りすぎた! 私はもっと慎重に、そして奴の心情・・に配慮しながら取り組むべきだと何度も進言しました! でもあなたはそれを一笑に付した! そして奴の子供を……。その結果が、今のこの状況です!」


 レベッカ達には勿論詳細は分からないが、彼等の会話から察するにタイロンがあの化け物の子供に無理な実験でも強いて殺してしまったという所か。奴はそれで人間全体を憎んでいるのだ。


 レベッカ達が奴に何をした訳でもないが、そんな理屈が通じる相手ではなさそうだ。いや、こうして捕獲や殺害の片棒・・を担いでいる時点で、奴にとっては同じ穴の狢というものか。どのみち人間という存在そのものを憎んでいるようなので意味はない。


 大方の事情を聞き終えたウィレムが盛大に溜息ついてかぶりを振った。


「まあ奴が俺達を殺し尽くすまで、諦めてどこかに行く事がないと解ったのは『朗報』だな。船は航行不能で連絡手段もないという最高の状況だが、俺は大人しく奴の餌になるつもりはない。とりあえず俺達に何ができるか考えるべきじゃないか」


「何がって……今の私達に何ができるのよ?」


 『船長』を始めとした武装した男達が束になって掛かっても返り討ちにあったのだ。今生き残っているレベッカ達に何ができるとも思えなかった。ウィレムは肩をすくめた。



「それは勿論これから考えるのさ。俺はとりあえず睡眠・・を提案したいね。今はまだ真夜中だし、正直もうクタクタだ。こんな状態じゃいい考えも浮かんでこないってのは保証できる」


 言われてレベッカもその事実に思いが行った。あの最初の揺れを感じて目が覚めて以来、矢継ぎ早に事態が展開した為にもっと何時間も経っているような心持ちであったが、実際にはまだ真夜中であった。色々あって心底疲れているのは彼女も同じであった。


「そう、ね。今の所あいつが襲ってくる気配がないんなら、確かに一度休んでおきたいわね。今のままじゃ逃げるにしろ戦うにしろまともに出来る気がしないし」


 バージルに目線で問いかけると彼も同意するように頷いた。


「正直賛成だ。疲れた頭じゃまともに物を考えられないしな。最低限の哨戒は残しつつ、朝までは出来る限り眠って休息しよう」



「あいつに関してはどうするの? 正直野放しにされたら私達が安心して眠れないけど」


 レベッカがタイロンの処遇を確認する。彼女やナリーニにとっては現状に限って言えば、化け物鮫よりもタイロンの方が身近な危険である。


「ああ、その心配は尤もだ。大丈夫、彼は朝までどこかの船室に閉じ込めておくさ。君達に怖い思いはさせない。保証するよ」


「な、何だと!? ホプソン、貴様……!」


 自身の処遇を聞いたタイロンが目を剥くが、バージルは平然と肩をすくめた。


「当然でしょう? 自分のやった事を顧みて下さい。ああ、脅しても無駄ですよ。今回の件が終わって無事に戻れたら会社は辞めさせて頂きますので。あなたのお陰でようやく決心が付きましたよ」


 そう宣言する彼の顔はどことなく晴れやかでさえあった。


「あら、ようやく環境保護の精神に目覚めてくれたのかしら?」


 レベッカが揶揄すると彼は苦笑してかぶりを振った。


「それはどうかな。ただエンバイロン社のやり方には賛同できないってだけさ。俺の信念自体は変わってないよ。科学は本来素晴らしい物なんだ。もっと自然と調和した発展のさせ方が必ずあるはずだ。俺はこれからもそれを模索するよ」


「それは残念ね。でも……応援してるわ」


 そんなやり取りを経て一同はとりあえずの休息を取る事になった。タイロンを閉じ込めてその見張りを乗組員たちに任せ、寝る前にと医務室にいるアンディを見舞った。ナリーニが付きっきりで看病してくれており、幸いにして命に別状はなさそうでレベッカも一安心した。そしてバージルから聞いた話を掻い摘んで彼等にも説明し、適宜休息を取るように促すのだった。

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