第17話 事の発端

「レベッカ、無事かい!? いきなり彼に飛びかかるなんて無茶するとは!」


 バージルが駆け寄ってくる。彼はレベッカ達のアイコンタクトに気付いていなかったので、いきなりという風に見えたのも当然だ。レベッカはかぶりを振る。


「ちゃんと勝算があっての事よ。それより私はいいから早くあいつを拘束して。それと弟に治療をお願い」


「……! そうだ、アンディさん!!」


 レベッカの言葉にバージルより先に反応したのはナリーニだ。レベッカに対する礼もそこそこにアンディの方に駆け寄る。


「アンディさん! 無事ですか!? ああ、こんなに血が……!」


 彼女はアンディの出血を見て顔を青ざめさせている。彼が自分のために傷ついたとなれば尚更だろう。


「う……ナリーニ……。良かった、無事だったんだね。僕なら大丈夫だよ。見た目より傷は軽いんだ」


「そ、それでもこんなに血が出てるんです! すぐに止血しなければ! 医務室に行きましょう! 誰か手伝って下さい!」


 ナリーニの訴えにバージルが乗組員の何人かに指示して、アンディを医務室へ運ばせる。ナリーニもそれに付き添って一緒に部屋から出ていってしまった。



 それを苦笑しつつ見送ってレベッカは室内を振り返った。そこでは既にウィレムやその他数人の乗組員がタイロンを拘束しているところだった。乗組員達も自らの命の危機と、タイロンの身勝手さに愛想を尽かしたらしく、一応は雇い主であるはずの彼を容赦なく拘束していた。もしくは『船長』が死んだ為に、その辺りの契約はどうでも良くなったのかも知れない。


 バージルも特に反対したり止めようとしたりする事はなかった。


「流石にあんな事をしでかしたら、もう彼を庇えないからね。無線で助けを呼ぶのは確定事項だ」


 バージルは肩をすくめてそう答えると、早速無線で救難信号を送ろうとする。だがそこで彼が愕然とした表情になった。


「……っ!? 無線機が……破壊されてる!」


「な、何ですって……!?」


 レベッカもギョッとして無線機を見やる。先程はタイロンが騒ぎを起こしていた為に確認している余裕がなかったが、よく見ると明らかに外力によって無線機が破壊されていた。ハンマーか何かで殴りつけて壊したらしい。


 ウィレム達も驚いて駆け寄ってきた。そこに後ろから耳障りな笑い声が響く。



「く……ひひ、無駄だ。『船長』が死んだ時点でお前らが絶対に捕獲作戦を諦めると思ったから、事前に私が破壊しておいたのだ。言っておくが他の無線機も全て破壊してあるから探しても無駄だぞ?」



「……っ!」


 タイロンだ。苦しげに顔を歪めながらも引きつったような笑いを上げている。ナリーニを人質に取るような暴挙だけでは飽き足らず、連絡手段を断つ事までしていたとは。最早この男は完全に狂っている。レベッカはそう判断した。


 あの怪物を回収できる見込みがないと悟り、避けられぬ身の破滅を悲観して狂乱したのだ。だが……


「……っこの! ふざけんじゃないわよ! あんたの自殺に私達を付き合わせないで頂戴! 自殺したけりゃあんた1人で勝手にあの化け物の餌にでもなりなさいよ!」


 怒り心頭に発したレベッカは、反射的にタイロンの胸ぐらを掴んで揺さぶった。奴が苦しげに呻くが知ったことではない。


「レベッカ、もういい。そこまでにしておけ」


 だがバージルが静かな声で彼女を止める。だが彼女は激しくかぶりを降った。


「バージル、止めないでよ! このイカレ野郎のせいで……!!」


「気持ちは分かるがやめるんだ。そんな事をしても事態の解決にはならない。これ以上下手に怪我させて君が何かの罪に問われるのも馬鹿げた話だ」


「……!」


 バージルの言葉に頭が冷えたレベッカはタイロンから手を離す。


「救命ボートは……まあこの状況で乗る度胸はないな」


 ウィレムがかぶりを振った。彼は豪胆だが無謀ではない。無線機を破壊したタイロンも流石に1人で救命ボートまでは手を付けられないはずなので、救命ボートは使用可能なはずだ。だが客船すら揺らすあの化け物が恐らくまだ近辺でこちらを窺っているだろう状況で、救命ボートで漕ぎ出すなど自殺行為以外の何物でもない。


 この海域は携帯電話も通じないので連絡手段もなく、現状は手詰まりと言えた。



「……そもそもあの化け物は一体何なのよ? あれが只の・・メガロドンなんて事はあり得ないでしょ? 私達にはあいつの正体を知る権利があるわ」



 レベッカはバージルに睨みつけるような視線を送る。彼の事前の説明にあんな人間離れした怪物の事はなかった。だから自分もナリーニ達も、珍しい古代生物を見れるならという軽い気持ちで参加したのだ。話が違う、というのが正直な気持ちだ。


 もうバージルに誤魔化しをさせるつもりはない。彼がこの期に及んではぐらかそうとするなら殴ってやるくらいの気持ちで拳を固める。


「……はぁ。解ったよ。全て話す。確かに君達にはそれを知る権利がある」


「……! ホプソン! 何を言う!? こいつらに――――グェッ!!」


 バージルが諦めたように溜息をつくと往生際悪くタイロンが目を剥くが、ウィレムがその腹を蹴って黙らせる。


「お前はもう喋るな。それじゃあ聞かせてもらおうか。あの化け物の正体を」


「ああ。……南極の氷晶で発見されたサンプルが古代のメガロドンだって話は以前にしたと思うが、あの話には続きがある。やはり数万年も経って、如何に冷凍保存されていたとはいえ、サンプルのDNA情報も実際にはかなり傷ついていたんだ。そのまま・・・・では純粋な培養は不可能といえるくらいにはね」


「培養できない? じゃああいつは……?」


 あの現実離れした化け物が実際にいる事は確かだ。ではあいつはどうやって誕生したのだろうか。


「そこでその……タイロン部長が、とある方法を提案したのさ。即ち既存の動物……それもメガロドンとよく似た動物であるホオジロザメのDNAを混ぜ合わせて・・・・・、欠損した遺伝子情報を補完するという方法をね」


「な……ま、混ぜ合わせる?」


 レベッカは眉をひそめた。DNAを混ぜ合わせるというのは専門的な知識がない人間からすると、何とも背徳的、冒涜的な響きに聞こえた。


「だが……近いと言ってもやはり別種の生物。ましてやDNAを混ぜ合わせるという前代未聞の実験が完全に成功なんてするはずがなかったんだ。その結果誕生したのは鮫によく似た・・・・奇怪で歪な生物だった」


「……!」


「その時点でオーストラリア政府はメガロドンの復元を諦めた。だが誕生したその異形の生物に別の可能性・・・・・を見出したらしい。そのままエンバイロン社に資金を提供して、海洋型生物兵器・・・・・・・の研究として続行させたのさ」


「生物兵器……!!」


 その結果誕生したのがあの怪物という事か。確かにその脅威を実際に体感したレベッカとしては、生物兵器という言葉はしっくり来るものであった。だがウィレムが疑問を呈する。


「生物兵器だと? 100年前ならいざ知らず、今のこの現代社会であんな化け物を作り出した所で運用の機会などあるまい。そんなものに多額の金を掛けるなど正気とは思えんな。オーストラリア政府は何を考えていたんだ?」


「確かにまともな兵器として運用しようとしたらはっきり言って使い勝手が悪すぎる。対外的なイメージも最悪だしね。だが……あくまだただの野生動物・・・・という扱いだったらどうだい?」


「野生動物? どういう事?」


 バージルが何を言いたいのか解らず戸惑うレベッカ。だがウィレムはそれだけである程度察したらしく、その厳つい顔を顰めた。


「なるほどな……。その野生動物が何をしても・・・・・オーストラリア政府は知らぬ存ぜぬ。あくまでただの野生動物の仕業、という訳か?」


「そういう事。その野生動物が貿易競合国の交易船を定期的・・・に襲って貿易に支障が出てもオーストラリアは関係ないし、誰か他の国の政府要人が乗っている船が襲われても、全部凶暴な野生動物による不幸な事故・・・・・って訳だ。他にも秘密裏に運用しようと思えばその用途は多岐に渡るだろうさ」


「……っ!」


 そこまで言われてレベッカにもようやく理解出来た。通常の兵器と違ってそれがオーストラリアのものだという証拠もないし、いくらでも言い逃れが可能だ。確かに上手く制御できるならこんな便利で使い勝手の良い兵器はないかも知れない。だが……



「で、この現状から察するに化け物を作り出したはいいが、その制御に失敗したという所か?」


 レベッカと同じ事を考えたらしいウィレムが皮肉げに鼻を鳴らす。怪物を制御できているなら、態々エンバイロン社が追跡や捕獲の為にこんな船までチャーターする必要はない。バージルは苦い顔をしつつも否定せず、代わりにタイロンに睨むような視線を送った。


「部長……あなたが『兵器の自律性を高めるため』なんてお題目で、奴の知能を向上させる・・・・・・・・などという愚を犯さなければ、今頃はとっくに捕獲に成功していたはずです。いえ、そもそも脱走される事もなかったでしょう」


「な……ち、知能を向上、ですって?」


 レベッカがまた唖然とした声を上げてしまう。だが今度はウィレムも近い表情をしていた。そして揃ってタイロンに向き直る。

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