第15話 悪党の誤算

 フィジーの内海を東に向かって進む一隻の船があった。武骨な外見の船体には凶悪そうなイラストのペイントが所狭しと施され、甲板上をうろつく船員・・はまるで犯罪者と見紛うような面構えの剣呑な雰囲気の男達ばかり。それはさながら現代の海賊船ででもあるかのようだった。


 『ディープ・ポセイドン号』。それがこの船の名前だ。カレニック社というサルベージ会社の所有する船である。



「……あいつら、ナイライ島の付近から動かねぇな。てかあの辺はこの前の仕事のブツが埋まってる辺りじゃねぇか?」


 そのカレニック社の社長にして『ディープ・ポセイドン号』の船長でもあるマサイアスは、気付かれない距離を保って尾行を続けていた『ブルー・パール号』が昨夜から同じ位置で全く動いていない事に眉を顰めた。


「一体何の用事であんな所にまた出張ってやがるんだ? レベッカの奴、まさか同業他社にあのブツを渡そうってんじゃねぇだろうな?」


 あの沈没船を狙っているサルベージ会社は他にもあったはずだ。他の連中に先んじる為にあのように強引な引き揚げ作業を敢行しようとしていた側面もあった。


 レベッカ達が乗り込んだあの船はもしかしたらレベッカに『破格の条件』を提示して買収し、妨害なく沈没船を引き揚げようとしている業者かも知れなかった。



「いや、どうだろうねぇ。金で釣れるような手合いなら私がとっくに買収していたよ。世の中には金では動かない輩もいる。理解しがたいが、だからこそ厄介なのだ」


 そんなマサイアスに後ろから声を掛ける男は、彼に今回の話を持ち掛けた『南海水産公司』の社長である徐文州だ。


 今回の案件はかなりデリケート・・・・・な内容を含んでいる為、マサイアス達だけに任せておいて万が一ドジを踏んだ挙句に口を割ったりしたら、自分の所にまで捜査や追及の手が及びかねない。なので万全を期すために徐自身と、彼が信頼できる何人かの腕利き・・・が同乗していた。もしマサイアスがしくじった時は彼等の出番だ。


 勿論自分達が直接手を下さなければならない事態となったら、マサイアス達にも死んでもらう事になるだろうが。そして全ての罪を彼等に被せるのだ。多少不自然な点があったとしても、それだけならバックに中国という国家がある彼等を、フィジーの司法は逮捕できないはずだ。



「徐の旦那。じゃあアンタは奴等が何をしているのか見当がつくのか?」


 自分が利用されているだけなどとは知る由もないマサイアスが徐に向き直る。徐は肩を竦めた。


「勿論詳細は解らんよ。だがあの船はサルベージ船という感じじゃない。もしかすると……ユネスコか、その辺りの関係者という線もあり得るね」


「……! ユネスコだと?」


 マサイアスは目を瞠った。国連の機関の1つで、主に教育や文化の振興や保護を司る活動を行っている。その活動内容は多岐に渡るが、一般に最もよく知られているのは所謂『世界遺産』の認定・登録業務だろう。


「あの女……まさかこの辺りのサンゴ礁を世界遺産に登録させるつもりか!? そんな事になったらこの辺りじゃ何も出来なくなるぜ! そもそもあいつ、ユネスコなんぞと繋がりがあったのか!?」


 マサイアスの貌が憤怒に染まる。流石に世界遺産に登録されてしまったら、今とは比較にならないくらい管理や監視が厳しくなるはずだし、ましてやそこでサルベージ作業など出来るはずがない。あの沈没船は完全に諦めなくてはならなくなる。


 短絡的な反応を示すマサイアスに徐が苦笑する。


「まあ落ち着き給え。あくまで可能性というだけだよ。仮にユネスコだとしても、世界遺産に登録となれば数年越しになる事も普通だ。今すぐどうこうという話じゃない。それに……どっちみち私達のやる事は変わらない。そうだろう?」


「……! ああ、そうだな……へへへ」


 徐の言葉にマサイアスも昏い笑いを浮かべる。この話に乗った時点で既に一般的な倫理観など捨て去っている。自分達の邪魔をするなら同業他社だろうがユネスコだろうが関係ない。レベッカ達ともども海の藻屑になってもらうだけだ。



「しかし……それはそれとして、確かに昨夜から動きが無いのは気になるね。船を夜通し見張っていた部下によると、深夜に煌々とライトを照らして何かをしていたらしく、船が何度も大きく揺れたのを確認している。しかしその後は全く動かなくなり、夜が明けてもご覧の通りだ」


 徐も思案顔になる。レベッカ達が何を目的として何故動かないのか知る由もないが、自分達とて彼等に付き合っていつまでも海の上で待ち惚けている訳にもいかない。これ以上彼等が動かないようであれば……ぼちぼちこちらから仕掛ける頃合いだろう。


 マサイアスもそれには賛成のようで頷いた。


「よし。じゃあ向こうの反応を見る意味も含めて、ゆっくり近づいていくぜ。で、もし何も反応がないようだったら乗り込むぞ・・・・・。それでいいな?」


「勿論だ。やるなら迅速に、そして徹底的に、だ」


 もう待つのも飽き飽きだ。向こうが動かないでいてくれるならむしろ都合が良かった。さっさとケリを着けるべきだ。



 『ディープ・ポセイドン号』が再び動き出した。低速でゆっくりとレベッカ達が乗っているであろう船に近付いていく。船員たちは既に銃火器で武装しており準備は万端だ。


 かなりの距離まで近付いてみるが、『ブルー・パール号』は不自然なほど静まり返っており、全く反応がない。甲板上に乗組員などが出ている様子もない。マサイアス達も流石に違和感を抱く。


「おい、どうなってんだこりゃ? あの船、もぬけの殻って事は無いだろうな?」


「さて、そんなはずはないが……。船を見張っていた部下からも、特にボートなどが離脱したという報告は受けていないしね。間違いなく彼女らはこの船にいるはずだが」


「だが誰も居ないように見えるぜ。神隠しにでもあったのか? バミューダトライアングルじゃあるまいし」


「私に解るはずもあるまい。あるいは昨夜のライト点灯と激しい揺れが何か関係しているのかも知れないが……。とりあえずこうなったら直接・・調べてみるしかなさそうだね」


 どのみちこの状況では他に選択肢はないだろう。マサイアスの指示で船から小型のボートが何隻も降ろされる。徐やマサイアス、そしてそれぞれの部下達がボートに乗り込んで『ブルー・パール号』に近付いていく。


 船からはやはり何の反応もなく不気味に静まり返っている。当然タラップや梯子の類いは降りていないので、こちらから射出式の鍵縄を船の縁に取りつけていく。


 まず部下達が登って甲板の様子を確認する。そして誰も居ない事を確認すると下に合図を出して、自分達はそのまま周囲を警戒する。徐やマサイアスも含めて全員が甲板に降り立ったものの、結局『ブルー・パール号』からは誰も出てこなかった。



「何だ、こりゃ? 一体ここで何があったんだ?」


 マサイアスが唖然とした様子で甲板を見渡す。甲板上はそこら中に色んな機材やコンテナなどが転がって散乱しており、反対側の縁には大きな重機が取れて柵をぶち破って海に落ちたような形跡があった。


「……! しゃ、社長、あれを……」


「あん? ……っ!」


 部下の1人が指差した方向を見たマサイアスは目を瞠って驚愕した。いや、彼だけでなく徐も含めた全員がだ。


 彼等の視線の先には……人間の死体・・・・・が転がっていた。それも下半身がそっくり消失した上半身のみの無残な死体であった。見た所黒人の死体のようだ。


 こんな異常な死体が甲板に転がっている事自体、明らかな異常事態だ。ずっと静まり返った船といい、やはり何かがあったのだ。


「おいおいおい……何だかきな臭くなってきやがったぞ? 事情はさっぱり分からねぇが、もしかすると俺達の手間が省けたんじゃねぇかこりゃ?」


「……いや、まだそうとも言い切れないな。とりあえず船内も調べてみようか。結論を出すのはそれからでいい」


 犯罪者とほぼ変わりないような彼等は、人の死体を見て動揺するような精神は持ち合わせていなかった。しかしそれだけに警戒心は高まる。ここで確実に自分達が想像もしないような事態が起きた。それが何なのか分からない内は気を抜かない方がいいのは確かだ。レベッカ達の安否も確認する必要がある。



 マサイアスと徐はそれぞれの部下達に合図して船内に通じる扉を開ける。彼等の心の中には先程の黒人男性の死体を見て、無意識のうちにレベッカ達や他に誰かがいても全員死んでいるのではないかという思い込みが出来上がっていた。


 そのため未知の脅威に対する警戒はあっても、それ以外・・・・の状況に対する警戒が若干疎かになっていた。その為……



「――動くなっ!!」



「「っ!?」」


 広めのロビーのようなスペースで、銃を構えてこちらに向けて並んでいる連中と真正面から向き合う羽目になった。マサイアス達も反射的に銃口を向けて、お互いに膠着状態となる。そして、双方が相手の顔ぶれを見て目を見開いた。


「てめぇ……レベッカか! それにマオリ人も……! そいつらは何者だ!?」


「っ!? マサイアス!? それに確か『南海水産公司』の……? アンタ達こそこんな所まで一体なにしに来たのよ!?」


 レベッカが当然の疑問を呈する。こちらに向けて銃を構えている男達の中心にいるのは、見覚えのあるマオリ人の大男であった。あと、レベッカの弟の姿もある。レベッカはもう1人、フィジー人の女と一緒に男達の後ろから顔を覗かせていた。


 そして当然ながら向こうも、マサイアス達の顔ぶれを見て目を丸くしていた。マサイアスは舌打ちした。この状況は想定外であった。ウィレムが率いているような形の男達も何者か知らないが荒事慣れしているらしく、銃を構える姿は付け焼き刃ではなさそうだ。


 この状況で正面から撃ち合ったらこちらも只では済みそうにない。マサイアスは判断を求めるように徐に視線を向けた。徐が解っているとばかりに頷いて前に出てきた。



「やあやあ、久しぶりだね、レベッカ。私達がここまで来たのには事情があるんだよ。警戒するのは当然だが、まずは話を聞いてくれないかな。君達が撃たないと約束してくれれば、こちらが先に銃を降ろすよ。そしたら君達も銃を降ろしてくれないかな」


 どうやらとりあえずこの場は収める方向でいくようだ。まさか本当の『事情』を話すとは思えないので、その場のでっち上げで煙に巻く気だろう。


「……ふん、いいだろう。妙な真似はするなよ?」


 レベッカではなくウィレムが答えた。


「賢明な判断に感謝するよ。表に酷い状態の死体があったが、良ければ君達の事情も教えてくれないかな。私達なら力になれるかもしれない」


 マサイアスや部下達に銃を降ろすように指示しながら、徐はそんな風にのたまった。レベッカ達も何らかの非常事態に巻き込まれていると見抜いて、そこに即座に付け込む手腕にマサイアスは舌を巻いた。


 レベッカとウィレムが顔を見合わせた。それからレベッカの方が渋々という感じで頷いた。


「……いいけど、まずはアンタ達の事情を話すのが先よ」


「勿論だ。信用してくれていいよ」


 いけしゃあしゃあと笑顔で頷く徐。こうして思わぬ成り行きで彼等はレベッカ達と『協力』する事になった。

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