第16話 暴発

「……とりあえずあの死体をそのままにはしておけん。せめて甲板に引き揚げるぞ。誰か手伝ってくれ」


 時は数時間前に遡る。海の怪物による殺戮劇に気を呑まれて硬直していた一同だが、一早く気を取り直したウィレムが立ち上がり、『船長』の遺体の引き揚げを促す。


「あ、ああ、そうだな。彼の素性もよく解らなかったが、そんな事は関係ない」


 バージルもそれに賛同して、他にも乗組員の何人かが名乗りを上げて、一緒に『船長』の上半身・・・を甲板に引き揚げた。レベッカはその無残な遺体を直視できずに目を逸らした。


 とりあえずあの化け物は先程散々暴れ回った事で気が済んだのか、それともたらふく・・・・食べた事で満腹になったのか、それ以上船を揺らす事も無くどこかへ泳ぎ去ったようだ。だがそれであの怪物が満足していなくなったなどと思う楽観的な者は最早いなかった。


 奴はまだこの近辺に潜んでいる。そしてこの船を……レベッカ達を監視・・している。この場の全員がそれを確信していた。


「『船長』じゃないけど、これはもう完全に非常事態よね? 無線で助けを呼ぶべきじゃない?」


 レベッカはバージルに提案する。既に事態は生きるか死ぬかという極限状況になっている。捕獲だの何だの以前の問題だ。


 この辺りは電波が届かず携帯電話は使えない海域だが、流石に船の無線なら届くはずだ。それでフィジーの警察なり軍隊なりに助けを求めるのだ。勿論本当の事を言っても信じてもらえない可能性が高いので、何かそれっぽい理由を考えなければならないだろうが。


 バージルは難しい顔で眉根を寄せたが、やがて溜息を吐いて頷いた。


「そう……だな。どっちみち船も航行不能で『船長』も死んだとなれば、助けを求める以外にない。残念だが奴の捕獲は一旦諦めるしかないな」


 バージルも渋々ながら解ってくれたようだ。他の面々は勿論反対しなかった。ウィレムが手を叩いた。


「そうと決まれば、これ以上ここにいるのは危険だ。とりあえず船内に戻って、後はアンタが無線でSOSを出してくれ」


「ああ、そうさせてもらうよ」


 水を向けられたバージルが頷く。この船の正規・・の乗組員である彼が連絡した方が信用されやすいという判断だ。方針を決めたレベッカ達は足早に船内へと戻る。しかし出入り口のドアを開けた途端……



 ――乾いた銃声・・。そして人の呻く声に、女性の悲鳴が重なる。



「……!!」


 ウィレムや乗組員の男達が視線を鋭くして警戒する。一方でレベッカも驚愕に目を見開いた。この船には自分以外に女性は1人しか乗っていない。その女性が悲鳴を上げ、そして今の呻き声は……


「ナリ―ニ!? アンディッ!!」


「……! おい待て、レベッカ!」


 バージルが慌てて呼び止めるが、その前に彼女の足は今しがたの銃声が響いた方に走り出していた。勿論ウィレム達もその後を追う。


 銃声は操舵室のある方向から聞こえてきたようだ。レベッカの中で嫌な予感が膨れ上がる。彼女は操舵室に勢いよく飛び込んだ。そこには……



「――う、動くな! この女を殺すぞ!」



「っ!?」


 レベッカは硬直した。そこではあのタイロンが何故かナリーニを後ろから抱きかかえて、その頭に拳銃を突きつけていたのだ。そして少し離れたところでは、脇腹から血を流して蹲っているアンディの姿も。


「ア、アンディ!?」


「ね、姉さん、ごめん……。僕は大丈夫……でも、ナリーニが……」


 弟が血を流している姿を見て一瞬青ざめるレベッカだが、そのアンディが呻きながらもナリーニを心配して侘びてくる。どうやら見た目より深い傷ではないらしい事が解って胸を撫で下ろすレベッカだが、そうなると今度はナリーニ達の方に目が行く。


「あんた、一体何のつもりよ!? 今すぐに彼女を離しなさい!」


「うるさい! お前達は実験体の回収を諦めてそそくさと逃げ帰ろうとしてるんだろうが、そうはいかんぞ!」


「な、なんですって……?」


 レベッカは呆気に取られた。まさかこの男はそれを妨害しようとでも言うのだろうか。


「あなた、正気!? あの化け物は私達の手に負える代物じゃない! とりあえず助けを呼んで、その後はフィジーの軍隊にでも任せるべきよ!」


「まさにそれだ! 奴の事を公にする訳には絶対にいかん! そんな事をすれば私もエンバイロン社も終わりだ! 何としてもここでケリを付ける! どうしても捕獲が無理なら最悪殺すでも構わん! それを完了するまでどこへも行かせんぞ!」


「……!!」


 レベッカは絶句してしまう。タイロンは明らかに正気とは思えなかった。あの化け物を殺すのは軍隊でないと不可能だと言っているのに、奴を殺すまで助けは呼ばせないと言っているのだ。支離滅裂で矛盾している。



「部長!? これは一体何のつもりですか! すぐに彼女を離して下さい!!」


 そこにバージルやウィレム達も飛び込んできた。そして一様に目の前の光景に唖然としている。バージルが目を吊り上げて怒鳴る。


「ホプソン! お前には失望したぞ! 奴の回収を諦めて無線で助けを呼ぼうとしたな!? 所詮ニュージランド人のお前にはこの研究の偉大さが分からんか!」


「重々解っていますよ! しかし現実を見て下さい! 今の我々には奴を捕らえる事はおろか、殺す事さえ不可能です。私は冷静に判断したまでです!」


「それを何とかするのがお前の仕事だろうが、役立たずめ!」


 タイロンはこちらが何を言っても現実に向き合う気がないようだ。これ以上説得しても無駄だろう。



「もううんざりだ。俺達は馬鹿の自殺に付き合う気はない。今すぐナリーニを離せ。そうすれば五体満足・・・・でいさせてやる」


「……!」


 ウィレムが静かな怒りを発散させながらタイロンに警告する。百戦錬磨の巨漢から放たれる威圧感と怒気にタイロンが顔を青ざめさせる。だがそれでもナリーニを離す気はないようだ。


 するとウィレムが目線だけでレベッカに合図・・を送ってきた。他の人間には分からない……『ザ・クリアランス』のメンバーにだけ通じるアイコンタクトだ。レベッカだけでなくナリーニもそれに気付いた。


「いいか。あと一度しか言わんぞ? 今すぐ彼女を離せ。これは最終警告だ」


 ウィレムが殊更高圧的な口調と態度でタイロンを威圧する。その迫力は相当なもので、タイロンの意識は完全にウィレムに釘付けになる。


「ふ、ふん! 脅しても無駄だぞ、卑しいマオリ人め! この女の命が惜しかったら私の言う事を聞け!」


 タイロンが強がって、これみよがしにナリーニの頭に銃を突きつける。そんな彼の目を盗むようにしてレベッカは徐々にタイロンの視界から外れる位置に移動する。ウィレムに注意を引き付けられているタイロンは気付かない。 


そして……この場にウィレムの合図に気付いた『ザ・クリアランス』のメンバーはもう1人いた。


「あ……ぐぅぅぅ……!!」


「……!」


 銃で脇腹を撃たれていたアンディが、大仰に痛がって(もしかしたら演技ではないかも知れないが)苦鳴を漏らす。タイロンは勿論、バージルなど『ザ・クリアランス』のメンバー以外の全員の注意が一瞬だけアンディに向けられる。 


(今……!!)



 レベッカと……そしてナリーニも同じ判断を下した。まずナリーニがタイロンの注意が逸れた僅かな隙を付いて、奴の腕に思い切り噛み付いた! 

 


「いぎゃっ!?」


 特に鍛えている訳でもないタイロンは、女性の遠慮会釈ない噛みつきを突然受けた事で反射的に悲鳴を上げて身体を硬直させる。そのままなら怒り狂ってナリーニに暴力を振るったかも知れないが、それを待っているレベッカではない。


「てぃっ!」


 タイロンの死角に移動する際に拾っておいた何かのパイプのような部品を手に、思い切って踏み込む。そしてナリーニに改めて銃口を向けかけていたタイロンの腕を強打する。


「痛っ!!」


 レベッカの攻撃は狙い過たずタイロンの前腕部に命中し、彼は情けなく呻いて銃を取り落した。レベッカはそのまま動き止めずにナリーニにタックルする勢いで抱きついて押し倒す。


「よくやったっ!」


 ウィレムが労いつつ、怯んだタイロンに向けて突進する。その巨体からは考えられないようなスピードで踏み込んだウィレムは、タイロンにショルダータックルをぶちかます。 


「――――っ!!」


 当然ながらタイロンは一溜まりもなく吹き飛んで部屋の壁に背中から衝突した。その間にバージルが急いでタイロンの落とした銃を拾い上げていた。

 

 タイロンは気絶こそしていなかったが、痛みから動けないようで無様に蹲ったまま呻いていた。どうにか無事にナリーニを救出して事を収められたようだ。 


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