第14話 暴虐の大海獣

「おい、ホプソン! 『船長』! 奴はまだ捕まらんのか!? この揺れをいい加減に何とかしろ!」


 その時耳障りな怒鳴り声を上げたタイロンがよろめきながら甲板に出てきた。危険な甲板に出たくなかったらしいが、いつまで経っても揺れが収まらないので仕方なく出てきたようだ。


「部長! あなたのせいですよ! アレはもう私達の手に負える存在じゃない! 奴を何とかするには軍隊・・が必要です!」


「な、何だと……?」


 バージルがなりふり構わなくなったようにタイロンに食って掛かる。彼が会社の上司・・に明確に反抗したのは初めてではないか。だがもうこれで確定的だ。アレはただ単に古代のメガロドンというだけではなく、それにバージルやタイロン……エンバイロン社が何らかの手を加えた・・・・・怪物だったのだ。


 その時再び船内の扉が開いて誰かが出てきた。レベッカは顔を知らなかったが、この船の機関士的な役割の乗組員のようだ。息せき切っており、その顔を青ざめていた。



「船長、大変です! 機関室が浸水・・しました! このままじゃ船が動かせなくなります!」



「何だと!? どういう事だ!?」


 『船長』は目を剥いた。いや、彼だけではなくレベッカ達も含めてその場にいた全員がだ。


「このずっと続いてる揺れですよ! 奴は闇雲に船を揺らしていたんじゃないんです! 明らかに狙って・・・やってたんです! 繰り返しの衝撃で壁の一部に僅かな隙間が開いてそこから浸水したみたいで、気付いた時にはもう……」


「……っ!!」


 全員が絶句していた。船の機関室がある場所に当たりを付けて、意図的にそこを攻撃していたという事か。しかしいくらあの化け物が規格外とはいえ、それだけでこの巨大な船の底や外壁に破損が生じるものだろうか。


「くそ……! やってくれたな、あの旅行会社。とんだ欠陥品を売り付けられたようだ。出発を急ぐあまりこちらのチェックがおざなりだったのも事実だがな」


 『船長』が悪態をつく。元々不備のある船だったようだ。だがそれを差し引いてもこの怪物は最早尋常な動物の範疇ではなかった。『船長』の目が据わる。



「……こうなっては最早捕獲などと悠長な事は言ってられん。残っている者は全員実弾・・に切り替えろ! 奴を殺すっ!」



「何だと……!?」


 『船長』が大声で部下達に指示を飛ばす。それに驚愕した視線を向けたのはタイロンだけで、レベッカ達はむしろ『船長』の方針転換に賛成であった。


「おい、『船長』! あれは私の研究成果の結晶だぞ! どれだけの金を掛けたと思っている!? 殺すなど論外だ!」


「黙れっ! 俺は雇われただけで、あんたらの部下じゃない。自分の命には替えられん。今は緊急事態と判断する。死体のサンプルで我慢するんだな」


 詰め寄るタイロンを一喝して黙らせた『船長』は、自らも弾丸を実弾に切り替えたライフル銃を構える。 


「いいか! 次に奴が姿を見せたら、一斉にありったけの鉛玉をプレゼントしてやれ!」


 『船長』の指示で船の縁から実弾に切り替えたライフルを海面に向ける乗組員達。あれだけの数のライフルによる一斉射撃を受けたら例えシロナガスクジラであろうと殺傷できるだろう。だが何故かレベッカは少しも楽観的になれなかった。緊急事態と言いながらも『船長』はまだ常識・・に囚われている。そんな気がした。



「……! 来たぞ! 撃て、撃てぇぇっ!!」


 船の照明に照らし出された海面に再び巨大な影が浮上してきた。『船長』は充分に引き付けた上で、銃弾が届くと判断した水深まで奴が上がってきたのを見計らって発砲の指示を出した。間髪入れず居並んだライフルの銃口から一斉に火が噴いた。


 ――凄まじい銃撃音とマズルフラッシュ。ナリ―ニが悲鳴を上げて甲板の床に蹲る。アンディが咄嗟にそれを庇うように覆い被さった。 


 間断ない銃撃が海面に向かって撃ち込まれる。ウィレムですら思わず目を逸らすほどの火花が瞬く。しかし……


「……っ!!」



 海面から巨大な尾鰭・・が突き出た……と思った次の瞬間にはその尾鰭が勢いよく横に動き、大量の水しぶきを巻き上げてきた!



 よく水族館のイルカやシャチのショーなどで、シャチが尾鰭を使って観客に水を掛けたりするパフォーマンスがある。勿論事故などが起きないように最小限に抑えられたものなのだが、それでさえ実際に飛沫を浴びた観客は、映像で見る印象とは違って思ったより大量の水を掛けられて驚いた、怖かったと証言する者も多い。


 それがシャチよりも遥かに巨大な生き物が遠慮会釈ない全力で……というよりも殺意・・さえ持って飛ばしてくる水しぶきが、どのような威力・・となるか。


「――――」


 誰が何を言う暇もなかった。海面から甲板までかなりの高さがあるにも関わらず、まるでそんな高低差など存在していないかのように一切威力を減じる事無く、それどころか距離を経る事でより広範囲に拡散した水の壁・・・が、船の縁に並んで銃撃していた乗組員達を直撃した。


 一瞬の出来事に悲鳴さえ上げる間もなく大量の水の塊を叩きつけられた乗組員達は一溜まりもなく吹き飛ばされて、その多くが甲板上に押し流された・・・・・・。巻き添えを食ったレベッカ達も同様に水を被って甲板上に転倒した。


 これは最早船の上で起きた津波・・であった。そして津波というものは押し波よりも引き波・・・こそが恐ろしいのだ。


 あの化け物が再び船を揺らしたらしく、甲板上に溢れた大量の水が再び海に引き寄せられていく。……その水に巻かれて甲板に転がっている人間ごと。


「き――――」


「「――レベッカッ!!」」


 ゾッとするような強い引き潮・・・に思わず悲鳴を上げそうになったレベッカだが、ウィレムとバージルがほぼ同時に叫んで、レベッカの腕をそれぞれ左右から掴んで波に浚われるのを防いだ。彼等自身はびしょ濡れになりながらも素早く手近な手すり等を掴んで身体を支えていた。


「あ、ありがとう、二人とも」


 ウィレムだけでなくバージルにも助けられた事で、若干複雑な表情で礼を言うレベッカ。だがすぐにそんな場合ではないと周囲の状況を見渡す。


「ナリ―ニッ!」


 一方でアンディも同じく波に浚われかけていたナリ―ニの腕を掴んで支えていた。彼も甲板上にある杭のようなものにしがみついている。アンディもああ見えて意外と体力があるので、彼に任せておけばとりあえずナリ―ニも大丈夫だろう。


 他の乗組員達も何人かは・・・・手近にあった手すりや重量物に掴まったりして無事だった。だが運の悪い者達は何かに掴まる暇もなく引き波に浚われて、そのまま悲鳴とともに海上に放り出された。そしてその中には『船長』も混じっていた。



「……!! くそ、何て事だ! 早くロープを降ろせ! 彼等を助けるんだ!」


 バージルが毒づいて、緊急用の太いロープを何本も海面に降ろしていく。勿論レベッカとウィレムも立ち上がって彼を手伝う。無事だった他の乗組員達もそれに続く。


「アンディ!! 今の内にナリ―ニを安全な所へ連れて行きなさい!」


「わ、解った! 姉さんたちも無茶するなよ!」


 レベッカが怒鳴ると、アンディは未だに震えて立てないでいるナリ―ニを半ば強引に抱えるようにして船内へと避難していく。いつの間にかタイロンの姿が見当たらなくなっていたが正直どうでもいい。気にしている余裕もなかった。


 海面では『船長』やその他不運な乗組員達が、レベッカ達の投下したロープに向かって必死で泳いでいた。しかし無情にもその下から浮上してくる不気味で巨大な死神の影。


 奴が海面に頭を突き出すと、その冗談のようなサイズの大口で2、3人の人間を丸ごと呑み込んで噛み砕いてしまう。大量の赤い泡が海面を一瞬だけ染め上げ、すぐに消えていった。


 だが彼等の犠牲によって『船長』やその他何人かの乗組員がロープに取りつく時間を稼ぐ事ができた。



「よし、皆で引き揚げろ! 急げっ!」


 バージルの音頭でウィレムも含めた船上の男達が力の限りロープを引っ張り上げる。女であるレベッカは単純な膂力ではそれほど役に立てない為、船の縁から引き揚げの様子を見守る。


「あ……!」


 そして思わず声を上げた。


 怪物が再び海面から頭を突き出して、ロープの一本に飛びついたのだ。ロープにしがみついていた救難者達は一溜まりもなく、ロープごと食いちぎられて海に沈んでいった。同じ事が何度か繰り返されて、その度にロープの数が減っていく。


 怪物の動きに対してロープを引き揚げる速度は余りにも遅い。勿論ウィレム達は全力で牽引しているのだが、ロープにも複数の人間がしがみついているので相当な重さなのだ。


 やがてロープが『船長』がしがみついている一本だけになった。しかし他のロープが犠牲になった事で『船長』は何とか船の縁に取りつく事に成功した。この高さまで上がればとりあえずは大丈夫だろう。皆がそう安心しかけた時だった。


「……っ!?」


 やはり最初にソレ・・が目に付いたのはレベッカであった。あの怪物の影が海中深くに潜っていくのが見えた。どうやら諦めてくれたようだ。レベッカも最初は・・・そう思って息を吐いた。だが、違った。


 あの怪物は海中深くから凄まじい速度で海面に向かって上昇してきた。それはまるで……陸上でいう助走・・のように感じられた。そして、奴が海面から跳び上がった・・・・・・



「――――」


 船上にいた誰もが息を呑んで、その現実離れした光景に目を瞠る。レベッカは初めて視界の確保された照明の下で、奴のはっきりした全容・・を目の当たりにした。


 古代生物のメガロドンはどんなに巨大でも10~15メートルほどと言われている。勿論それとて現代の常識からすれば途轍もないサイズではあるが、今レベッカが目にしている怪物は明らかにそんなサイズでは効かなかった。彼女の目にはその倍・・・はあるように見えた。世界最大級のクジラ並みのサイズだ。


 そしてその体表は通常のサメに比べてごつごつしていて、まるで岩のような質感の見た目で、恐ろしさと悍ましさを倍増させている。大きく開いた口に生え並んだ牙は一つ一つが巨大なシャベルのようなサイズであった。


 そして何よりも……その『目』。感情など感じさせないようなサメ類特有の無機質な目でありながら、まるで全ての人間を根絶やしにせずにはおかないような憎悪・・が滴っていた。レベッカにはそれが解った。



 30メートルはあるような馬鹿げた巨体が、尾鰭まで含めて海面から完全に跳び上がったのだ。誰もがその非現実的な光景に唖然として目を奪われ、しかし『船長』だけは振り向いたその顔を恐怖に歪めた。彼が初めて人間的な感情を露わにした瞬間であった。そして……最後・・の瞬間でもあった。


 冗談のような高さまで跳び上がった怪物は、船の縁の外側に掴まっていた『船長』の身体に食らい付いた。そして彼の胴体を一瞬にして噛み千切ると、その下半身・・を丸呑みにして再び海中に没していった。凄まじい轟音と水しぶきが上がる。


「…………」


 その殺戮劇に呆然とするレベッカ達の視線は……未だに船の縁にしがみついたまま、血を吐いた苦悶の表情で事切れている『船長』の上半身・・・に注がれていた……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る