第11話 真夜中の襲撃

「ご、ごめん、姉さん! ナリーニも……。つい頭に血が昇っちゃって……」


 レベッカ達が与えられている船室の一つに、『ザ・クリアランス』の面々が集っていた。ウィレムもいる。その彼がかぶりを振った。


「お前が人を殴るなど……ましてや曲がりなりにも雇い主・・・を殴るなど余程の事だったのだろう。むしろ居合わせたのが俺でなくて良かった。俺なら勢い余って殺していたかもしれん」


 冗談とも本気ともつかない口調のウィレムに、レベッカもナリーニもその様が想像できて頬を引きつらせた。


「おほん! ……それで、ナリーニ。実際の所はどんな状況だったの? 彼は本当にあなたにちょっかいを出してきたの?」


 話題を変えたレベッカが改めて確認すると、ナリーニはその時の事を思い出したのか顔をしかめて頷いた。


「は、はい。私がデッキで1人で海風に当たっていた時に、彼がいきなり声をかけてきたんです。私がフィジー人という事で最初から見下した感じで、凄く下品で卑猥な言葉を掛けてきました。そ、それから……金が欲しいならやらせろ・・・・と言ってきたんです」


「……っ!」


 レベッカ達は揃って絶句してしまう。まさかそこまで直接的なアプローチ・・・・・を掛けていたのは予想外であった。一体あの男の頭の中はどうなっているのか。


「それで当然というか私は、ふざけないで下さいと拒絶したんですが、そうしたら自分が馬鹿にされたとでも思ったのか、彼は急に目を吊り上げて私に詰め寄ってきたんです。そこに声を聞きつけたアンディさんが駆けつけてきてくれて……」


「オーケー、ナリーニ。もういいわ。とても不快で怖い思いをしたわね。船員たちじゃなくて、曲がりなりにもエンバイロン社の重役がクズとは思わなかったわ」


「傲慢なオーストラリア人の、しかもエリートとくればむしろ自然なのかも知れんな」


 ウィレムが不快げに鼻を鳴らした。


「ありがとうございます、社長。でも私ならもう大丈夫ですから、この任務は続けましょう。こんな事で降りるのは勿体ないですし。なんと言っても5万ドルですから」


 ナリーニはかぶりを振って、彼女らしい動機を述べる。それから表情を変えて僅かに頬を染める。


「それに悪い事ばかりじゃありませんでしたし。アンディさんが助けにきてくれて、私のためにあんなに怒ってくれたのは嬉しかったです」


「ナリーニ……」


 結果的にクライアントとの間に騒ぎを起こしてしまったアンディはやや複雑そうな表情ながら、彼女がそう思ってくれた事が嬉しかったらしく頭を掻いていた。

 


*****



 そういったトラブルを挟みつつも、航海自体は海が荒れる事もなく順調に進み、『ブルー・パール号』はその日の日中にはナイライ島のサンゴ礁付近のポイントに到達していた。以前にマサイアスらカレニック社と一悶着あった辺りだ。


「この辺りは大小様々なサメ類が棲息していて、メガロドンの生態が現代のサメと近いなら好みの環境ではあるはずよ」


 レベッカは断言する。ウィレムら他のメンバーとも相談しあってそのように結論づけたのだ。それを受けて頷いたバージルが『船長』の方を仰ぎ見る。


「どうだい? 探知機の方に反応はあるかい?」


「……いや、そこまで大型の生物の反応は今の所ないな」


 『船長』は40絡みの体格のいい黒人男性で、見るからに堅気ではない雰囲気を漂わせていた。名前も『船長』で仕事に差し支えはないと、結局本名を明かさなかった。バージルによるとどうやらアメリカ人らしいが、詳しい素性は彼も知らないとの事であった。


 『船長』の回答にバージルは肩をすくめた。


「まあ広い海だ。来ていきなり見つかるとも思えないし、今日はここに停まりかな」


 『ブルー・パール号』はスバの街で物資を補充した事もあって、レベッカ達も含めた乗組員全員が1週間は海上で生活できるくらいのゆとりがある。万が一捜索がそれ以上の長丁場になりそうな場合はまたスバに戻れば良いだけなので、その辺りの心配はなかった。


 レベッカ達もとりあえず他の仕事は全てキャンセルしてあり、数日掛かりになっても特に問題はなかった。『ブルー・パール号』はそのまま錨を降ろして、その場で夜を明かす事となった。本格的な捜索は明日からだ。


 昼間の件もあるので、レベッカもナリーニも極力1人にならないように気を使って、常にウィレムかアンディ、もしくはバージルと一緒にいるように心掛けた。尤もアンディが「ナリーニはともかく姉さんは1人になっても大丈夫でしょ。むしろ下手に襲ったりしたら、あいつの方に同情するね」と余計な事を言っていたので、思い切り肘鉄を食らわせてやったのは余談である。



 早めに夕食や何やを済ませて船室で床に入るレベッカ達。そして……最初の異変・・はその夜中に起きた。



「……!」


 浅い眠りに就いていたレベッカは、小さな揺れを感じて目を覚ました。揺れと言ってもここは海の上であり、穏やかとはいえ船は常に波に揺られている。だが違う・・


 今の仕事をするようになってから船の上にいる事が多いレベッカは、波による揺れとそれ以外の要因・・・・・・・による揺れの区別を無意識の内に感じ取れるようになっていた。


 同じ部屋で眠っているナリーニは何も気づいていないようで安眠を貪っている。


「…………」


 気にしすぎかも知れない。だが何となく胸騒ぎのようなものを覚えたレベッカは、ナリーニを起こさないように注意してそっと部屋を出た。するとほぼ同じタイミングで、隣の船室のドアが開いた。



「……! レベッカか。お前も感じたか?」


「ウィレム……!」


 どうやら彼も今の揺れを察知して、レベッカと同じ違和感を覚えたらしい。


「アンディは?」


「呑気に爆睡している。だがただの杞憂かも知れんし、起こさずにいた方がいいだろう」


 レベッカがナリーニを起こさなかったのと同じ理由で、彼もアンディを起こさなかったようだ。船内は最低限の照明以外は点いておらず、暗く静まり返っていた。勿論あの船員たちはシフトで夜番の者達は起きているのだろうが。


 レベッカとウィレムは慎重に、しかし足早に船内の廊下を進んでいき、やがて船内からデッキに出た。部屋から持ってきた救命胴衣を素早く身につける。


 空はすっかり夜の帳が落ちて、月明かりと船の哨戒用の照明以外には光源のない闇が広がっている。水平線や内海の島々も夜の闇に覆われて見えず、ただ波の音と船が僅かに揺れる音だけが響いている。


 海に慣れていない人間からすると不気味な情景だが、レベッカもウィレムも仕事柄船の上で夜を明かす事はこれまでに幾度もあったのでその辺りは慣れたものだった。


「…………」


 2人は縁に寄ると、持参していた懐中電灯で周囲の海面を照らし出す。しばらくライトを動かしてあちこち照らして回るが、特におかしな様子は見受けられなかった。


「うん、まあ……ちょっと上から見回って解るとも思えないけど」


「そうだな。だが違和感を感じたのにじっとしている事も出来んからな」


 言わば自分を納得させるための儀式のようなものだ。2人ともこれで何かが見つかるとは考えていない。だがそこに……



「おい、お前達。何をしている?」


「……!」


 デッキの向こうから男が2人程こちらに向かってきた。エンバイロン社に雇われているこの船の乗組員たちだ。


「こんな夜中に甲板を彷徨くんじゃない。落ちても知らんぞ」


「それとも逢い引きか何かか? 時と場所を選んでやってもらえるか?」


 男達の様子と台詞から、彼等は先程の不自然な揺れには気づいていないようだ。レベッカ達は顔を見合わせた。確かな証拠もない話をして彼等がまともに取り合うとも思えず、話すだけ時間の無駄だろう。


「別に逢い引きなんかじゃないけど……確かに夜のデッキは危ないわね。もう戻るわ。ご苦労さま」


 彼女達自身もとりあえず何も異常がない事を確認して納得出来た事もあり、素直に船内に戻ろうとする。だが何歩も進まないうちに……


「……っ!?」


 船が明らかに大きく揺れた。海のうねりによる揺れとは違う。これは先程違和感を覚えた揺れと同じ種類のものだ。レベッカは再びウィレムと顔を見合わせた。彼も少し緊迫した表情になっていた。



「んん? なんか少し揺れたな。海は静かだって――」


 男達の1人がそう言いかけた時、船が再び不自然に揺れた。今度は彼等も不審を抱いたようだ。


「おい、一体何だ!? 海が荒れてる訳でも無いってのに!」


 苛立った男の1人が船の縁に近寄って海面をライトで照らす。と、その時、再び一際大きな揺れが船を襲った。


「うわぁぁぁっ!!?」


「あ……!!」


 船の縁に寄って身を乗り出していた男がその揺れに抗いきれずに海に転落してしまう。男の姿が闇に吸い込まれて消える。


「……っ! くそ、なんてこった!」


 もう1人の相方の男が毒づいて、急いで駆け寄ってライトで男が落ちたと思しき海面をライトで照らし出す。レベッカとウィレムも彼に付いていって海面を自分の持っているライトで照らす。


 幸いな事に男はすぐに見つかった。救命胴衣を着ていたので海に沈む事もなく、また波も穏やかなので浚われてしまう事も免れたようだ。レベッカ達はホッと息を吐いた。



「おい、大丈夫か!? すぐにロープを用意するから待ってろ!」


 相方の声に、海に落ちた男は手を上げて答えていた。だが……


「……! おい、今何か大きな影が映ったぞ! あそこだ!」


「え……!?」


 ウィレムの緊迫した声にレベッカは眉を寄せて、彼が指差す方向にライトを向ける。落ちた男のすぐ横あたりだ。だがそこには何も映っていない。


「ただの波を見間違えたんじゃないの、ウィレム? いいから私達も彼を引き揚げるのを手伝い――」


 レベッカがそこまで言いかけた時だった。



 ――ライトに照らされた海面が風も無いのに大きくうねった。そして……レベッカにも見えた・・・



「……っ!?」


 海の下から恐ろしく大きな影のような物が浮上してきたのだ。ソレはライトに照らされた範囲を一瞬にして真っ黒く染め上げてしまう程に巨大であった。


 直後に凄まじい水音。そして船上にいるレベッカ達にまで降りかかろうかという程の盛大な水しぶきが上がる。男の悲鳴と思しき声が聞こえたが、一瞬にして何かに呑み込まれて消えた。


 月と僅かな非常灯しか光源のない闇夜の中に、海面から飛び上がった・・・・・・巨大な生物をレベッカは確かに見た。その生物はすぐに弧を描くようにして再び海中へとダイブした。更に巨大な水しぶきが上がり、甲板上にいるレベッカ達の元にまで大量の水が覆い被さってきた。


「っ!!」


「レベッカッ!」


 ウィレムが叫んで咄嗟にレベッカの腕を掴んで支える。それによって彼女は『波』に浚われてしまうのを免れた。だがもう1人の乗組員の男は大量の波濤に浚われ、運悪く縁を越えて悲鳴とともに海に転落してしまう。


 レベッカ達が何かする間もなく、その男も一瞬にして例の巨大な影によって呑み込まれて消えていった。   

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