第12話 違和感

「う、嘘……嘘でしょ。あんな……」


「レベッカ、しっかりしろ! とりあえずここは危険だ! 奥に避難するぞ!」


 非現実的な光景に呆然とするレベッカをウィレムが強引に立たせて、船内の入り口の方へ引っ張っていく。海は荒れていないのに船が再び揺れた。


 その時、レベッカ達が戻ろうとしていた船内から逆に何人かの人間が出てきた。その中にはバージルの姿もあった。彼はレベッカの姿を認めると目を瞠った。


「レベッカ!? これは一体何事だ!? びしょ濡れじゃないか!」


「一体何事かはこっちが聞きたい! アレ・・がお前達の捜していたモノか!? あんな化け物だとは聞いていないぞ!」


 まだショックが大きいレベッカに変わってウィレムが怒鳴る。


「アレだと? 何を見たんだ?」


「馬鹿でかい黒い影だ! この巨大な船を揺らして、縁にいたお前らの仲間二人が落ちた! 勿論あっという間にアレに呑み込まれた!」


「……!!」


 バージルだけでなく他の乗組員達も目を剥いた。自分達の仲間が死んだとあっては無関心ではいられないだろう。


「馬鹿な……この船は小型とはいえ豪華客船を改装したもので数千トンはあるんだぞ? いくらヤツ・・でもこの船を揺らす事なんか……」


 バージルがそう言い掛けた時、再び船が揺らいだ。勿論周囲には嵐も波浪もない。


「……っ!」


「論より証拠だな。船という物はどれだけ重くても所詮は海の上に浮かんでいる物体に過ぎん。無論だからといってただ力任せによる体当たりなどで揺らいだりはせんが、船というものの仕組み・・・を理解すれば、当たり所・・・・当て方・・・によっては遥かに巨大な船でも揺らす事は不可能ではない」


「……!」


 バージルが息を呑んだ。彼は船や航行については素人のようだから想像が出来なかったのも仕方がない。だが根本的な疑問がある。



「……でも、私達が捜しているのはメガロドン……つまりただ巨大なだけのサメなのよね? サメが船の仕組みを理解しているなんて事があり得るの?」



 少し落ち着きを取り戻したレベッカがその疑問を呈する。あの暗闇でも見紛う事などあり得ない恐ろしい巨体。レベッカは一瞬だが、海面から跳び上がったヤツのを見た気がした。あれは……あの『目』は…… 


「……現代においては既に絶滅している生物だ。つまり未知の部分が非常に多い。ヤツに関しては常識による先入観を捨てて対処に当たる必要がある」


 歯切れの悪い様子のバージル。レベッカは彼の態度に微かな違和感を覚えた。


「いくら未知とはいえ所詮は生存競争に負けて絶滅した動物に過ぎんはずだろう? 巨大な船を揺さぶれるような知能や学習能力があるとは思えん。あの化け物は本当に只の・・絶滅動物なのか?」


 同じ違和感を持ったらしいウィレムが鋭い語気で詰問するが、バージルの態度は変わらなかった。


「何と聞かれても答えは同じだ。ヤツはあくまで只の動物。それも極めて凶暴な動物だ。だがまだ我々にも解明しきれていない未知の部分が存在するので、あらゆる可能性を想定して捕獲作業に当たる。それだけだ」


「…………」


 違和感と不審は覚えたものの、それ以上語る気はない様子のバージルの姿に、今この場でこれ以上聞いても無駄だろうと判断した。それに実際そんな場合でないのも確かだ。



 船が再び揺れた。しかも今度は先程よりも大きい揺れだ。流石に転覆するまではいかないものの、バランスを取らないと立っていられないくらいの揺れで、この時点で船にいる殆どの者がようやく異常に気付いた様子だ。


「おい! さっきから何の騒ぎだ!? 嵐も無いのにこの揺れは何だ! おちおち寝てもいられんぞ!」


 人が集まって話している声が聞こえたのだろう。この場に不機嫌な様子で怒鳴り込んできたのはタイロン・ベイルだ。だがそこにレベッカの姿を認めて苦虫を噛み潰したような顔になる。バージルが彼に向き直った。


「暢気な事を……! ヤツですよ! ヤツが現れました! レベッカ達の見立ては正しかった! この辺りは既にヤツの縄張りです! 私達が寝静まった深夜を見計らって・・・・・奇襲を仕掛けてきたんです!」


「な、何だと……!?」


 タイロンは一気に目が覚めたようで驚愕に顔を引き攣らせる。


「ば、馬鹿者! だったらこんな所で何をしている!? ヤツが現れたというなら丁度いい。少し予定より早いが作戦開始だ! 『船長』を呼べ!」


「もう既にブリッジで指揮を執っています!」


 乗組員の1人が答えるとタイロンは彼等の何人かと共に脇目も振らずに、ブリッジに向かって駆け去っていく。途中で再び船が揺れて転びそうになっていたのは余談だ。



「レベッカ、危険な目に遭わせて済まなかった。だが君も迂闊に夜の甲板に出るべきじゃなかったな。後は俺達の仕事だ。君達は船室に戻っていてくれ。なぁに、朝までにはケリが付いてるさ」


「そう願いたいな。レベッカ、行くぞ」


 ウィレムが鼻を鳴らしてレベッカを促す。だが彼女は動こうとしなかった。


「バージル、私も立ち会わせて。邪魔しないと約束するから」


「……!? レベッカ、何を言っている!?」


 ウィレムが驚いて彼女の顔をまじまじと見つめる。バージルもそれに同意した。


「君は今危険な目に遭ったばかりだろう? それでショックを受けてたんじゃないのか? もう君の仕事は終わったんだ。後は安全な所で待っててくれればいい」


「アレをいきなり間近で見て驚いただけよ。もう大丈夫だわ。自分の役目が終わったのも解ってる。でもどうしても気になるのよ。あなた達が無事にアイツを捕まえる所をこの目で見て安心したいのよ。勿論一切口出しはしないわ」


 レベッカはあの化け物の『目』を見てから、得体の知れない不安感に駆られていた。見た目も確かに想像以上の怪物だった。だがそれだけではない。アイツはただ巨大で凶暴なだけの海獣ではない。彼女はそれを半ば確信していた。


 そしてその確信は先程のバージルの言動でより確かなものとなった。彼等だけに任せてただ船室で待っているというのは耐えられそうになかった。ヤツが捕まるなり死ぬなりする所をこの目で直に見ないと安心できない。


 彼女の必死な思いが伝わったのか、バージルが渋い顔をしながら溜息をついた。あるいは彼も何らかの隠し事・・・・・・・をしているという負い目があるのか。



「はぁ……解ったよ。ただし本当に見てるだけだぞ? 余計な口出しは一切なしだ。それですら恐らくタイロンは歓迎しないだろうとだけは予め言っておくぞ」


「約束するわ。それで充分よ。ありがとう、バージル」


 レベッカは請け負った。タイロンになどどう思われようが知った事ではない。彼女は成り行きを見守っていたウィレムの方に振り返った。


「という訳だからウィレム、あなたは先に――」


「――俺だけ船室に戻ってろという話なら聞く気はないぞ。相手は未知の化け物だ。何があるかも解らん所にお前だけ行かせる訳にはいかん。どうせ今更ギャラリーが1人増えても2人増えても同じだろう?」


 彼が最後はバージルに確認するような形を取ると、バージルは再び溜息を吐きつつ肩を竦めた。


「まあな。それにどうやら2人だけじゃ済みそうもないしな」


「え……?」


 苦笑まじりのバージルの言葉と視線に釣られて振り向いたレベッカは、船の廊下の先からよく見知った2人の人物が駆けてくるのを認めた。



「姉さん! ウィレムも!? この揺れは一体何なんだ!? さっきエンバイロン社の連中が凄い勢いで走っていくのとすれ違ったけど……」


「お2人とも無事ですか!?」


 アンディとナリ―ニの2人であった。彼等もこの騒ぎにようやく目が覚めたらしい。慌てた様子で駆け寄ってくる。


「お前達も来てしまったか。この揺れは俺達が追っている巨大鮫メガロドンの仕業らしい。俺とレベッカは暗闇だが直にヤツの姿を見た。これからエンバイロン社の捕獲作戦が実施されるようだが、俺達はそれを見学・・させてもらう事になった。お前達はどうする?」


 ウィレムの簡潔な状況報告にアンディが目を丸くする。


「え、ええ……!? 巨大鮫を見たって!? 一体どういう……」


「後で説明するわ。で、どうするの? 正直アイツは化け物だったし、どんな危険があるか分からないけど」


 詳細な事情を説明している時間が惜しいレベッカが促すと、意外な事にナリ―ニの方が積極的な様子になった。


「アンディさん、私達も一緒させてもらいましょうよ」


「え、でも大丈夫かな? 大分危険な奴みたいだけど……」


「この船の人達は皆その道のプロなんでしょう? だったら彼等に任せておけば大丈夫でしょう。それよりは生のメガロドンを見れるかもしれない機会なんですよ? 勿論口出しはしませんし、危険な事は絶対にしません」


 やや消極的なアンディを説得するナリ―ニ。そう言えば彼女はその為に今回同行したと最初から明言していた。


「それに……もし何かあったとしてもアンディさんが守ってくれますよね……? お昼の時みたいに」


「……!! も、勿論だよ、ナリ―ニ。君の事は僕が絶対に守るさ」



「じゃあ決まりですね。社長、お待たせしました。私達もご一緒させて頂きます」


 言質を取ったナリ―ニが笑顔でレベッカに向き直る。


「そ、そう、解ったわ。じゃあ皆で行きましょうか」


 レベッカは若干引き攣った表情で頷いた。どうやら女という生き物は、相手が自分に好意を持っていると確信すると途端に小悪魔化・・・・するものらしい。レベッカは自分も女ながら、ふとそんな事を考えてしまった。

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