第9話 『ブルー・パール号』
バージルと彼が所属するエンバイロン社と契約を結んでから、レベッカ達はその日のうちに出発に向けての準備を整えた。意外な事に最初は及び腰だったアンディも、一旦契約が決まって行く事が決定すると一転して乗り気になった。
「そりゃまあよく考えたら、この目で絶滅したはずのメガロドンを生で見られるかも知れないんだからね。こんな機会はこの先一生ない可能性の方が高いだろ? 安全は十分保証するって言うし、だったら行かない手はないだろ」
との事であった。言われてレベッカもその事実を改めて認識した。恐竜……ほどではないが、大昔に絶滅した巨大生物を直接見られるというのは確かに相当貴重な体験ではあった。
そして今回はレベッカ、ウィレム、アンディの、いつものメンバーだけでなく、基本的には事務方であるナリーニも同行を希望してきた。
「アンディさんが行くなら私も行きます。2、3日の仕事で5万ドルなんて他にありませんから、この仕事を最優先にしましょう。それに私もメガロドンを見てみたくないと言えば嘘になりますし」
今回は一応エンバイロン社の機密保持を理由に、スマホやその他撮影機器の持ち込みは制限されていた。なのでメガロドンを見たければ直接行くしかない。
エンバイロン社の調査船はそれなりの大きさで人員や設備も整っているとの事なので、安全面に関してもまあ問題はないだろう。ナリーニの同行も許可された。
翌日になってレベッカ達はスバの港に集合した。そこには既にバージルが待っていた。
「やあ、レベッカ、おはよう。準備は万端かな?」
「ええ、バージル。こっちは少人数だし、ガイドだけだから問題ないわ。あなた達こそ大丈夫なの?」
レベッカが問いかけると彼は肩をすくめた。
「勿論。ここにはガイドを雇うために立ち寄っただけだからね。いつでも出られるさ」
「それは結構ね。それで、あなた達の船はどこなの?」
スバの港はこの国唯一の大型港であり、大型の漁船や観光用のクルーズ船の玄関口となっている。そのため港にはそれらの船がいくつか停泊していたが、ぱっと見そんな御大層な調査船の類いは見当たらなかった。
バージルは少し人の悪そうな笑みを浮かべた。
「おいおい、レベッカ。一応内密に進めてる仕事なんだぜ? そんな見るからに無骨な調査船でございって外見なわけないだろ? こういう一般の港に立ち寄る事も考慮して、表向きは
「……! クルーズ船ですって? それじゃあ……」
レベッカ達はバージルの後ろに停泊している船を見上げる。彼が頷いてその船に手を指し示した。
「ああ、紹介しよう。南太平洋周遊客船『ブルー・パール号』だ」
「……!!」
レベッカは目を瞠った。その船は外見上はどう見てもただのクルーズ客船であり、そこまで大型ではないがそれでも優に数千トンはありそうだ。エンバイロン社はこの船を丸ごと借り切ったという事か。
「……この船のチャーター代だけでもいくらになるんでしょうか」
ナリーニが呆れたように呟いた。エンバイロン社がそのメガロドン回収にかなりのリソースを割いている事がこれだけでも窺える。
「さあ、それじゃ早速上がってくれ。ただし豪華客船なのは
バージルに促されてレベッカ達は、タラップを上って『ブルー・パール号』に乗り込んだ。
「……!」
甲板上には何人もの男たちが屯していた。当然だがどう見ても観光客という感じではない。見るからに剣呑そうな空気を醸し出している者ばかりだ。
「……俺も一時期
ウィレムが男達を見て呟く。彼は青年時代に伝統的で保守的なマオリ族の社会を嫌って
「おいおい、エンバイロン社って一応大手上場企業だよな? まるでギャングの船に乗ったみたいだ」
アンディも顔をしかめている。彼等の反応を見てバージルが嘆息した。
「俺が
まあ一応は納得できる理由ではある。ただ納得できる事と居心地が良いかどうかは全く別の話だ。
「まあ良いけど。でも私達は雇われただけでそっちの社員じゃないからね。余計なトラブルは御免よ」
「勿論解ってるさ。大丈夫。連中もプロだから金をもらってる以上そんな無体な事は仕出かさないさ。勿論君達を紹介する際にちゃんと言い含めておくから安心してくれ」
正直あまり安心は出来なかったが、彼にそれ以上を望むのも酷だろう。レベッカは頷いた。
「はぁ、解ったわ。じゃあ早速出発しましょうか。紹介だの案内だのは船を動かしながらでも出来るでしょ」
「ああ、そうだな。じゃあ俺の上司と、この船の
そしてレベッカ達はバージルに案内されて船内へと入っていく。程なくして『ブルー・パール号』は汽笛を上げながらゆっくりとスバの港を出港していった。
*****
フィジーの首都スバの街。港からは離れた歓楽街の一角にある食堂を兼ねた大衆酒場。その席の一つに、まだ日中にも関わらず酒を飲んで管を巻いている男がいた。
「ち……辛気臭え。あのお宝を引き揚げてりゃ今頃こんな安酒じゃなくて、高級酒を浴びるように飲んでるはずだったってのによ。あのクソアマが……!」
男はサルベージ会社『カレニック社』の社長、マサイアスであった。カレニック社はオーストラリア籍の会社だが、今はこのフィジーに
彼は安酒を煽りながら、自分の仕事を邪魔している環境活動家……レベッカへの呪詛を吐き散らしていた。
「あの女……調子に乗りやがって。これ以上俺の邪魔をするようなら、そろそろ
レベッカへの復讐を目論むマサイアスは、
泥酔した荒くれ者に好んで近寄る人間はいない。他の客も従業員も皆、関わらぬが吉と酒乱のマサイアスを敬遠していた。
だが……そんな彼に自分から近づいていく
「やあやあ、マサイアス君。随分荒れているようだねぇ。察するに例の女環境活動家に関してかな?」
「ああ? 何だ、テメェ? …………って、アンタは……確か『南海水産公司』の……」
酩酊して濁っていたマサイアスの目が僅かに理性を取り戻す。彼はその近づいてきた男に見覚えがあったのだ。それは最近このフィジーに急速に増えてきた中国人の1人で、中国国営の水産会社の社長である徐文州であった。
何度かこの徐から仕事を引き受けた事があり、金払いも良かったので覚えていたのだ。徐が笑った。
「どうやら酔っていても記憶はしっかりしているようだね。ナイライ島のサンゴ礁での話は聞いたよ。またあのレベッカという女に仕事を邪魔されたようだね?」
徐は断りもなく勝手にマサイアスの対面の席に座った。だがマサイアスは特にそれを気にする事もなく憎々しげに頷いた。
「ああ、そうさ。あのクソアマ……今度会ったらぶっ殺してやる」
「ふふふ……ぶっ殺すとは穏やかじゃないね、マサイアス君。だが……もし君に
「ああ? 何だと?」
マサイアスは胡乱げな目つきで徐を見やった。彼は酷薄とも言える笑みを浮かべていた。
「彼女には我社も何度か煮え湯を飲まされていてね。お陰で本国政府から課せられた
『南海水産公司』は漁業が禁止されている区域や時期でも当局の目を盗んで(時には当局を買収して)、お構いなしに操業を続けてきた。そのお陰で豊富な漁獲量を誇っていたのだが、そこにあのレベッカという女環境活動家が邪魔をしてくるようになったのだ。
禁止区域での漁を動画に撮られて国際司法に持ち込むとまで脅されては、如何に傍若無人な中国企業と言えども違法行為を停止せざるを得ない。そのお陰で会社の漁獲量に影響が出ているのだ。
だが脅迫されて大人しく引き下がるような徐ではない。彼はレベッカの
レベッカを邪魔に思い排除したい徐だが、万が一表沙汰になった場合を考えると自分が矢面に立ってそれをやる気はない。誰か
「君達とは利害が一致しているのさ。あの女が
「そう……だな。あいつが居なくなりゃ……」
マサイアスの目が剣呑に光る。元々それに近い事を考えていたのと、泥酔して冷静な判断力が鈍っていたのと、思わぬ
「よし、やろう。何か計画はあるのか?」
「勿論。都合がいい事に奴等はどこかの会社の仕事を引き受けて内海に出るらしい。……周りには他に誰も居ない大海原にね。そこで何か
徐が取引している
「なるほど。じゃあこっそり後をつけていって、もしやれそうなチャンスがあれば一気にやっちまうか」
悪どいならず者達が悪巧みに笑う。そして翌日になって先に出港した『ブルー・パール号』の後を追うように、港から一隻の船……『ディープ・ポセイドン号』が静かに出港していった……
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