第8話 朱に染まる海(3)
首都スバの置かれたフィジー共和国の本島であるビチレブ島から東に向かって内海を進む何隻かの小型艇があった。それらの船の船体にはいずれもフィジー海洋警察である事を示す組織名とロゴが印字されていた。
この辺りで敢えて警察を偽装するような輩もいないので、この船隊はフィジー警察の物で間違いなかった。
「もうじきガウ島を通過するな。報告によれば観光客が立て続けに
フィジー警察の海事課に所属するインド系フィジー人のカビーアは、今回の調査の責任者を任されていた。
ここ最近になって主にガウ島やナイライ島付近のスポットに観光に出向いた観光客の一団やカップルなどが、現地ガイドと共に帰って来ずにそのまま行方不明になるというケースが相次いでいた。
観光が主要資源であるフィジーにとって観光客が相次いで行方不明になるという事態は放置できるものではない。そのため警察による今回の調査隊が組織されたのであった。
軍隊ではなく警察であるのは、今の所フィジー近海に大きな嵐などが発生した形跡はなく、また行方不明になった観光客に付いていたガイドにはそれなりにベテランの者も多く、遭難の可能性は低いとされたからだ。
遭難でもないのに行方不明になるという事態では、何らかの
少なくとも観光客が相次いで行方不明になるような組織的な規模では皆無であったはずだ。だがこれまで皆無であったからといって、今後もそうだという保証は全く無い。もしかしたら大規模な犯罪組織がフィジーを新たな
もしそうであれば観光業がGDPのかなりの割合を占めるフィジーにとっては死活問題にもなりかねない。カビーアは上層部から必ず何らかの痕跡を発見するようにと厳命されていた。
「陸上での犯罪とは違うんだ。痕跡なんて残ってるものか。そもそも広い海で何を探せって言うんだ。痕跡があっても今頃は全部海流に流されてるか海の底だろうさ。ましてや相手がプロだとしたら尚更何も残っちゃいないだろ。最初から軍隊を使って海底まで含めて調べさせるべきだろうに……」
上司のいない船の上で愚痴を零すカビーア。軍隊を使って大体的に捜索しない理由は明らかだ。そんな事をすればフィジーで外国人に対する凶悪な組織犯罪が行われているという事実を認める事になり、対外的な評判に関わってくると考えているからだ。
治安悪化の悪評が広まれば観光業は大打撃を受ける。だからこうして比較的小規模な警官隊を派遣するに留めて、なるべく大事にならないように処理しようとしているのだ。そして小規模とはいえ警官隊を派遣する事で、観光客の家族などに対しては『国としてちゃんと捜索してますアピール』は出来るという寸法だ。
「そんな対症療法で増々犯罪者達がのさばったら、このさき余計に酷い事になるだろうが……」
それよりは例え一時的に敬遠されたとしても、フィジーは犯罪に対して容赦しない、ちゃんと外国人観光客の身の安全を考えて徹底的な対策をしているとアピールした方が長い目で見ればこの国の為になると思うのだが。
だが目先の事しか考えられない輩が上層部に居座って政治を動かしているのはどこの国でも同じであり、それはフィジーも例外ではない。そしてそれが解っていても上層部の指示で仕事をしなければならない公僕がいるのもまたどこの国でも同じであった。
「愚痴っても仕方ない。私は私に出来る事をやるだけだ」
そんな物思いに耽っているうちに、船はナイライ島の近海に到着していた。この辺りはサンゴ礁が豊富であり、観光客の隠れた人気スポットとなっていた。だがそこに向かった観光客の多くがそのままガイドごと行方不明となっているのだ。
「さて、無駄だとは思うが仕事はしないとな」
カビーアは他の船にも無線で連絡し、このサンゴ礁近辺を回って
サンゴ礁の海は穏やかなもので天気も快晴といっていい。絶好の海水浴日和ではあるが、自分達はそんな楽園で不毛な捜索活動だ。
「どうせ何も見つかるはずがない。1、2時間ほど適当に見回ったら戻るとしよう。それだけ活動すれば充分言い訳は立つだろうからな」
上層部も求めているのは『捜索した』という事実だけだろう。懸命に捜索したが何も見つからなかったという状況を作りたいだけだ。それが解っている他の警官達もカビーアの指示に異論は唱えずに了解する。
それでも遠い現場まで足を運んだからには何もしない訳にもいかない。カビーアのいる船も含めて4隻の小型艇はナイライ島のサンゴ礁を周遊する。
「ん……? おい、どうした? 無線の故障か?」
カビーアが眉を顰める。他の3隻のうち1隻の船から無線が届いたのだが、何やらノイズが物凄くてよく聞き取れない。
「何だ? 何か見つけたのか? おい!」
彼が怒鳴っても返事がない。代わりに何か悲鳴や怒号、それに何かが倒れたり壊れるような物凄い音が響いてきた。
「……! 2番船、4番船! 3番船に何か異常が起きたらしい! すぐに調査と救援に向かってくれ! 我々もこれから向かう!」
これはただ事ではないと素早く判断したカビーアは、トラブルのあったと思われる船により近い位置にいる他の船を向かわせる。勿論自分達も全速力で向かっていく。
『……ッ!! ――!!』
「……! 着いたのか!? 3番船はどうなってる! おい、どうした!?」
救援に向かわせた他の船から無線が入るが、ひどく慌てた様子で何かを喚いており、カビーアが落ち着くように怒鳴っても鎮まる気配がない。3番船の時と同じ状況だ。
「一体どうなってる!? 何が起きてるんだ!」
カビーアは苛立たし気に怒鳴るが、勿論同乗している他の警官達も答えられる者は誰も居ない。ただ皆、不安そうな視線を彼に向けてくるだけだ。
やがて最初の3番船と、今の無線があった2番船の連絡が完全に途絶えた。最後の方には銃声らしきものまで聞こえてきていた。カビーアも含めて警官達は皆拳銃は携行しているし、警察の船舶だけあってライフル銃なども搭載されている。だがそれを使わなければならないどんな事態があったというのか。
嵐や渦潮のような自然災害であれば銃など使う必要はない。そもそも今自分達がいる海域にそんな災害は起きていない。カビーアの胸騒ぎが大きくなる。
一瞬このまま何もかも放り出して帰ってしまおうかという誘惑が彼を包んだ。だが流石にそんな事は出来ない。
彼は弱気を振り払って全速前進を指示する。ただし同乗している全員に銃の弾薬や安全装置を点検していつでも撃てるように指示しておく。それと同時に自身は備え付けのライフル銃を手に取った。連射式のアサルトライフルでマガジンは装填されており、いつでも撃ちまくれる状態だ。それを持つと彼の中に安心感が広がった。
「4番船! 4番船! 状況はどうなってる!? 他の2隻は何があった!?」
ライフルを片手に無線機に怒鳴る。すると残っている(と思しき)4番船から返答があった。ただし酷く慌てており、その声は……
『た、助けてくれ! 他の船はもう駄目だ! このままじゃ俺達もやられる!』
「な、何だと? 何を言っている……?」
『
その後はただひたすら怒号と銃声だけが響き渡り……そして轟音と恐ろしい悲鳴が続いた。悲鳴と共に無線機が途切れ、不通を示すノイズだけが不気味に船内に木霊する。
「…………」
これが壮大なプランクでないのなら、何か尋常でない事態が起きているという事になる。
「は、班長……どうします?」
「……このまま何が起きたのか確認もせずにおめおめと帰れん。とにかくいつでも撃てるように準備しておけ。他の船を見つけて
低い声で指示して船を向かわせる。同時にもしこれが盛大な悪戯だったりしたら、関わった奴等を全員この銃で撃ち殺してやると心に誓った。
そう間を置く事も無く、他の船が消息を絶ったと思しき地点に到着した。
「……!」
そしてすぐに転覆して破壊され尽くした船の残骸の
「は、班長、あれを……!」
警官の1人が指差した先に……うつ伏せになった人間が浮かんでいるのが見えた。カビーア達と同じ制服を着ている。彼はこの時点でこれは悪戯でも何でもないリアルだという事を確信していた。
「……生死は解らんが、どちらにせよあのままには出来ん。とりあえず引き揚げるぞ」
カビーアの指示で船は浮いている人間の元へ近付いていく。船が近付いてきてもその人物はうつ伏せのまま動かない。とりあえず他の乗組員に指示して、救助用のフックが付いた棒を使って彼の身体を引き揚げようとする。
「……っ!」
しかし今まで海中に没していた下半身部分が露わになると、カビーアだけでなく他の全員が息を呑んだ。その警官は下半身が
「う、うわぁぁっ!」
「くそ、やむを得ん! 緊急事態だ! ただちにこの場を離れるぞ!」
カビーアは素早く状況判断をして離脱と帰還を指示する。もう生存者はいないと考えた方が良い。だが……適切な状況判断と言うならば、そもそもこの場に近寄らずに帰るのが正解だった。
――船のすぐ側で巨大な波がうねり、凄まじい水しぶきが上がった。
「っ!? な、何だ……!?」
物凄い揺れに立っていられず、思わず手すりにしがみ付いたカビーアだが、直後に更に信じられない物を見てその目が限界まで見開かれる。
途轍もなく
「な…………」
唖然とした声は誰のものだったか。彼等は今見た光景は果たして現実のものだったのか全員が疑ってしまった。それ程に現実離れした光景であった。だが……
「……っ!!」
再び船が大きく揺れた。しかも最初の揺れの比ではなく、恐ろしい程の衝撃を伴っていた。乗組員の1人が悲鳴を上げて船上から投げ出された。
「くそ! チクショウ! 早く立て! 舵を切れ! すぐにここから逃げるんだ!」
カビーアが怒鳴るが、乗組員の殆どは今の衝撃から立ち直れていない。彼は舌打ちして自らが舵取りに向かうが、そこに再びの横殴りの衝撃。カビーアはバランスを崩して転倒した。他の者達は言わずもがなだ。とても船を操縦するどころではない。
「チクショウ! 撃てっ! 奴を撃ち殺せ!!」
こうなったらやるしかない。カビーアの指示に縋るように他の乗組員達も拳銃を構えて海面に向ける。彼自身もたすき掛けにしていたライフルを手に取って構えた。
(さあ、出てこい。ありったけの鉛玉をお見舞いしてやる……!)
警戒するカビーア達の前に、まるで彼等を挑発するかのように海面から突き出た巨大な
「撃て、撃てぇっ!!」
合図とともに乗組員達が一斉に発砲する。同時にカビーアもライフルを連射する。銃撃音が鳴り響き、巨大な鰭の周囲に銃弾の雨が降り注ぐ。位置的に間違いなく当たっているはずだ。だが……迫ってくる鰭の速度は些かも衰えていない。その動きに乱れも無い。
その事実は銃撃が全く効いていない事を意味していた。
「ば、馬鹿な……!?」
水中にいる事を考慮しても、鰭が突き出ている以上それ程深く潜っている訳でもなく、殆ど水の抵抗を受けていない銃弾が何発も当たっているはずだ。なのにその化け物はなんら痛痒を感じている様子がない。
文字通りの怪物だ。こいつを殺すにはこんな有り合わせの装備では無理だ。或いはロケットランチャーのような武器さえ必要かも知れないとカビーアは思った。
そして……
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
乗組員が更に何人か海に放り出された。カビーアは狂ったようにライフルを連射するがやはり怪物は全く意に介した様子もなく、四度目の衝撃を船に叩きつけてきた。
今度は横殴りではなく、海中に潜って下から突き上げのような形であったらしい。船の船尾部分が持ち上がり、まるで津波にでもあったかのように
「――――――」
その瞬間、カビーアは重力から解き放たれて浮遊感に支配された。空中に投げ出された彼は海面から突き出して、大口を開けて待ち構える
そのあり得ない……馬鹿げた巨大さの
阿鼻叫喚の地獄が過ぎ去り、再び元の
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