第7話 古代鮫

 スバの隣にあるナシヌ―の街。現在ここに環境保護NPO『ザ・クリアランス』の仮の事務所・・・があった。といっても安い空き店舗物件を借りて、簡単に改装しただけの簡素な物ではあったが。


「皆、一応電話で簡単に話したけど改めて説明するわね。アンディはもう知ってるけど、彼はバージル。オーストラリアにある『エンバイロン社』というバイオテクノロジー企業の研究員よ」


 レベッカは集まった社員の3人に対して、連れてきたバージル紹介する。


「ああ、久しぶりだね、バージル。姉さんと別れて・・・からオーストラリアに行ったというのは聞いてたけど、中々いい所に就職できたんだね。『エンバイロン社』って言えば、最近オーストラリアが進めてる森林再生プロジェクトで成果を出して株価が上がってる注目企業じゃないか」


 アンディが意図的なのかそうでないのか判別が付かないが、レベッカが敢えて言うつもりもなかったバージルとの関係をあっさりと暴露しつつ彼に握手を求める。当然初対面であるウィレムとナリ―ニは目を丸くしていた。


「あ、ああ。こちらこそ久しぶりだね、アンディ。君も相変わらずな様子で安心したよ」


 バージルがやや引き攣った表情でアンディと握手する。レベッカも弟を睨むと、彼を庇うようにナリ―ニが慌てて立ち上がってバージルと握手する。


「ナ、ナリ―ニです、宜しく。主に事務などを担当していますが、偶にフィールドに出る事もあります」


「ああ、この国の人なんだね。宜しく、ナリ―ニ」


 名前や容姿ですぐに現地人だと解ったらしくバージルが笑顔で握手する。


「……エンバイロン社か。名前だけは聞いた事があるな。しかし生態系に影響を及ぼすレベルの危険な実験動物を外洋に逃がすとは大きな醜聞だな。これで生態系や更には人にまで被害が出たら会社はどう責任を取るつもりなんだ?」


「お、おい、ウィレム……」


 アンディが少し憚るような口調でウィレムに注意するが、彼の視線は誤魔化しを許さないとばかりにバージルに固定されたままだ。


「……勿論大変なミスだという事は重々承知しているさ。だからこそこうして会社ぐるみで船をチャーターしてまで追跡しているんだ。責任の取り方については会社が決める事だから俺には何とも言えないが……そういう被害が出ないように全力を尽くすつもりだ。その為に君達にも是非協力して欲しい。俺から言えるのはそれだけだ」


 バージルも目を逸らさずに真っ向から視線をぶつけ合う。事務所内に一瞬、緊張した空気が流れる。だがやがてウィレムが息を吐いて苦笑した。


「ふぅ……確かにあんたに言っても仕方がない事だな。そして口で責めるくらいなら手を動かした方がいいのも事実だ。レベッカがあんた達に協力するというなら俺もそれに従おう」


「ウィレム……ありがとう」


 レベッカがホッと息を吐いて礼を言う。レベッカとウィレムが賛成すればもう決まったようなものだ。アンディとナリ―ニは余り主体性がある性格ではなかったし、よほど何かの事情でもない限りは最初からレベッカ達の決めた事に従うという方針であった。


「皆、ありがとう。君達の協力に心から感謝する。これで必ず被験体を捕捉できるはずだと確信している。それまでの間、どうか宜しく頼む」


 バージルも改めて『ザ・クリアランス』の面々に礼を述べて抱負を語った。こうしてレベッカ達は正式にエンバイロン社の実験体追跡に協力する事となった。




「さて、それじゃ正式に協力する訳だし、そろそろ逃げ出した実験動物とやらの詳細について聞かせて欲しいわね」


 レベッカが促すとウィレムも同意するように頷いた。


「うむ。自分達が捜している物が何なのか知らないというのでは笑い話にもならんからな。対象の情報を把握しておく事は捜索活動においても重要だ」


 彼の意見は尤もだ。アンディとナリ―ニも興味深げな目をバージルに向ける。彼はやや消極的な様子ながら頷いた。


「……今から3年程前、エンバイロン社の調査船が南極海・・・で海温の変化が生物に与える影響を調査している時の事だ。調査船のレーダーが、南極の永久凍土の下に埋まった氷晶の内部に有機物・・・が存在している事を感知した」


「……! 有機物ですって? まさか……」


「勿論最初は皆半信半疑だった。レーダーの故障も疑われた。だが……オーストラリア政府・・がこの情報に興味を示したんだ。そして会社に資金を提供して、氷晶を発掘するように依頼してきた」


「オ、オーストラリア政府が……?」


 アンディが驚きで目を瞠る。レベッカも内心は同じだ。どうやら自分が思っていたよりもスケールの大きい話なのかも知れない。


「そして多額の費用を掛けてエンバイロン社は、この氷晶の中に埋まっていた有機物を発掘、回収する事に成功した。そして……2年の歳月をかけて、回収した『サンプル』からその生物の培養・・を成功させた」


 話の流れからしてその培養に成功した生物とやらが、今回の捜索対象なのだと思われる。


「勿体ぶらずにさっさと話してくれ。その生物とやらは一体何なんだ?」


 ウィレムがレベッカの……いや、バージル以外の全員の気持ちを代弁した。バージルは解っているという風に頷いた。



「一言でいうなら……『古代鮫』だ。素人にも解りやすく言うなら『メガロドン・・・・・』と言った方が伝わりやすいかな」



「……!! メ、メガロドン、ですって……!?」


 その呼称にレベッカは瞠目した。確かにその名前は自分も知っている。


「メガロドンって言ったらよく映画とかにも出てくるアレ? あの巨大鮫の事?」


 アンディも信じがたいという顔で確認するが、バージルは再び真顔で頷いた。


「ああ、そのカルカロドン・メガロドンで間違いない。数万年前に絶滅したと言われていて、軟骨魚ゆえにその生体サンプルを発見できるような痕跡も残っていない。いや、この場合はいなかったという方が正確かな」


「で、でもサメって基本的に温海域に棲息する生物ですよね? それはメガロドンでも変わらないんじゃ? 何でよりによって南極なんかに……?」


 今まで黙って聞いていたナリ―ニが疑問を呈する。恐竜がいたような時代ならともかく、僅か数万年程度であればそこまで地球の環境にも大きな変化はないだろう。南極大陸はその周辺海域と共に、今と同じく極寒が支配していたはずだ。


 確かにそんな場所に何故サメがいたのだろうかという疑問は残る。バージルはかぶりを振った。


「勿論正確な理由は分からない。餌を求めて南に深入りしすぎたのかも知れないし、或いは単純に迷い込んだのかも知れない。だがどんな理由にせよメガロドンの成体が南極の氷晶に囚われ、完璧な形で保存される事になったのは事実だ」


「メガロドン……古代に絶滅した巨大ザメか。確かにそんな奴がいきなり現代の海に解き放たれたら、言ってみれば究極の外来種・・・のようなものだ。しかも海の食物連鎖の頂点に立てる生物だ。生態系にどんな悪影響を及ぼすか予測できんな」


 ウィレムも事の重大さを認識したように唸る。しかしアンディには別の事が気になったようだ。


「で、でも、メガロドンってホオジロザメよりずっとデカい化け物みたいな鮫なんだろ? 僕達の手に負えるような相手じゃないんじゃ……?」


「その点に関しては心配ない。君達に頼みたいのはあくまで奴の捜索だけだ。居所さえ分かれば実際の捕獲作業は会社の方できちんと請け負うさ」


「…………」


 考えてみれば当然の話だ。そんな危険・・な作業までこちらで請け負う道理はない。そもそもそんな化け物をどうこう出来るような設備も人員もないというのもある。


「そして勿論奴を無事に回収できたら報酬・・はきちんと支払う。成功報酬で5万オーストラリア・ドル。君達にしたら悪い話じゃないだろう?」


「……! ご、5万!? それだけあったらあのガタが来たボートを新調してもお釣りが来ますよ!」


 オーストラリア・ドルはニュージーランド・ドルとほぼ同じレートであり、5万ドルはただの捜索協力としては破格の金額である。経理を担当しているナリーニが目の色を変える。


「……随分太っ腹ね?」


「それだけ会社が本気で鮫を捕まえたがっているという事さ。これで少しは信用してもらえるかな?」


「…………」


 レベッカは微妙に釈然としない物を感じたが、恐らくここでバージルを問い詰めても無駄だろう。とりあえず仕事は請けたのだ。まずはそれを無事に遂行する事を考える方が優先だ。



「オーケー、じゃあ皆の了承も得られたしいつでも出られるわ。出発はいつ?」


「そういう事なら早速明日から出発という事でいいかな? こうしている間にも巨大ザメがこの近海を彷徨いている訳だからね」


 確かにいつ何時人に被害が出るか分からない状況だ。急いだ方がいいのは事実だろう。レベッカ達は頷くとすぐに解散して、出発の準備に取り掛かるのであった。

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