第6話 元カレの依頼

「ほら、迷惑を掛けたお詫びに奢らせてくれ。好きな物を頼むといい」


 スバの中心街にある大きめのカフェ。オープンテラス席でレベッカと向き合うようにして座ったバージルは、苦笑しながら彼女に促した。レベッカは鼻を鳴らす。


「あら、それじゃご厚意に甘えてこの店で一番高級なメニューをお腹一杯頼んであげるわ。お偉い研究者様なんだからどうせ高給取りなんでしょ?」


「おいおい、お手柔らかに頼むよ。君が思ってるほど稼ぎが良い訳じゃないからね。研究者なんて言っても所詮は雇われの身だから、普通の会社勤めのワーカー達と大して変わらないよ」


「そうなの? 白衣を着てふんぞり返ってスタッフに偉そうに命令して、研究成果だけ横取りしてノーベル賞を貰ったりする夢のような仕事だと思ってたわ」


 レベッカが皮肉ると、バージルは再び苦笑した。


「それはまた随分なステレオタイプだな。俺はどっちかっていうとその『スタッフ』の方だよ。そしてまあふんぞり返ってるだけの奴というのも確かに存在するのは事実だけどな。まあ君が俺達のような職種の人間に対して偏見を持つのも分かるが……」


 過去に彼と別れた経緯・・を思い出しているのか、バージルが一瞬遠い目になる。どうやら彼は彼で決して自分のやりたい分野の研究を自由にやれる立場ではないようだ。まあ考えてみれば当然の事だが。自分も彼もまだ若いのだし。


 あまり彼に同情的な気持ちを抱いて絆されたくないレベッカは、咳払いすると話題を変えた。いや、本来はこちらが本題・・であるはずだが。



「おほん! ……それで態々ストーカーの真似事してまで私に何の用だったの? そもそも私に会うためだけに太平洋の只中にあるこの国までやって来たの?」


 もしそうならそれはそれで女としては悪くないような複雑な気分となるが、幸か不幸か彼はかぶりを振った。   

 

「まさか。流石に君に会うだけの為にここまでは来ないさ。君がフィジーで活動しているのは知ってたから、その関連で仕事・・を依頼したくてね」


「仕事、ですって? 環境保護団体の私に?」


 自分に会いたくて来たというのをにべもなく否定されて、解ってはいたが何故か不愉快な気持ちになるレベッカの様子に気付かずに(この、女の微妙な機微が分からない鈍感さも破局の一因ではあった)バージルは頷いた。


「ああ。実はこのフィジー領内の海域でちょっとした探し物・・・をしていてね。知っての通り俺は研究畑でフィールドワークは門外漢だ。だから君にそのガイド・・・を依頼したいんだよ。勿論適正な報酬を支払うと約束するよ」


「ガイドですって? この諸島内の? それだったらここは観光地なんだから、それこそ専門のガイドが山ほどいるわよ。そっちに頼むのが普通じゃない?」


 適正な報酬という言葉に少し食指を動かされながらも、当然の疑問を呈する。だがバージルは少し難しい顔になって首を横に振る。


「観光に来た訳じゃないからな。観光案内に特化している現地ガイドでは駄目なんだ。聞くところによると君はこのフィジー領内の海域全般で活動しているみたいじゃないか。それも非合法な連中が狙うような『穴場』的な場所も多いんだろう?」


「それはまあ、ね……」


 レベッカ達が相手にしているのはカレニック社や南海水産公司だけではない。時には個人規模の密猟者や、船をチャーターして勝手気ままに保全区域にまで侵入する観光客やそれに買収されたガイド達など多岐に渡っている。 


 そういう輩たちを相手にフィジーの海を自治体の枠から外れて行き交っているレベッカ達『ザ・クリアランス』は、そういう意味では確かに下手なガイドよりもここの海に詳しいと言えるのかも知れない。


 それにバージルの探し物とやらが何か知らないが、素人が無茶を仕出かして環境や生態系に悪影響を与えたりしないか監視できるのもある。



「でも一体何を探しているというの? ご存知のように一言でフィジーの海といっても充分広いし、その中で何か特定の物を探すとなったら砂漠に落ちた小石を探すようなものよ? 流石に私達にもそれは不可能な芸当だわ」


 その探し物が何かによって大きく条件は変わってくる。マサイアス達のように沈没船だのというならまだ探しやすいだろうが……


「そういう物じゃない。俺が捜しているのはある特定の生き物・・・だ」


「……! 生き物ですって? まさか研究のために希少な生物を捕まえようとしているんじゃないでしょうね?」


 レベッカが眦を上げて詰め寄ると、バージルは降参の意を示すように両手を小さく挙げた。


「おいおい、落ち着けって! だったら環境活動家の君にこんな話を持ち掛ける訳ないだろ? そうじゃなくてむしろそのなんだ」


「逆? どういう意味?」


「……実は俺が所属しているオーストラリアの会社の研究で使っていた実験動物・・・・が逃げ出しでしまってな。そいつの『足跡』を追ってここまでやって来たはいいが、このフィジー内海で見失ってしまったんだ。だが奴がこの近海にいる事だけは解っている。俺達だけじゃ探しようがなかった所に、君の事を思い出したって訳だ」


「実験動物ですって?」


 レベッカは眉をひそめた。彼女はあくまで環境保護活動家であって動物愛護主義者という訳ではない。生態系の中で正しく・・・命が循環する事はむしろ推奨しているし、家畜を屠って食肉としそれを食べる消費活動自体も否定していない。レベッカ自身特にヴィーガンという訳でもないのだ。


 科学や医学などの発展に動物実験が欠かせない事も知識としては理解しているし、その科学医学の恩恵を受けている身としては動物実験を非難する立場にはなかった。ただし勿論スポーツハンティングのような無意味な命の消費に対しては断固反対の立場であったが。


 彼女が眉をひそめたのはあくまで、世間一般の人間が動物実験という言葉に対して感じる漠然とした忌避感情によるものに過ぎなかった。


「ああ、それが……ちょっと厄介・・な奴でね。研究の過程で行われた実験の影響でかなり凶暴な性質になっているんだ。『アレ』は明らかにここの生態系とは異質の存在だし、それどころかその凶暴性によって生態系を狂わせてしまう可能性も高い。そうなったら君も困るだろ?」


「確かに困るけど……そもそもあなた達のミスで逃がしたんでしょう?」


 あまり悪びれた様子の無いバージルの態度にレベッカは別の意味で眉を顰める。バージルは頭を掻いた。


「ああ、まあ、そうだな。俺達の責任だ。だからこそこうして追跡してきたんだ。何としても奴を捕まえるためにね」


「ふん、まあいいわ。それで……一体どんな生物なの? 一匹で生態系に影響を及ぼすなんていうからには、それなりに巨大な強肉食性の生き物という事?」


 レベッカの問いにバージルは曖昧な表情で頷いた。


「まあ、そうだ。詳しい事は君が正式にこの仕事を引き受けてくれたら話すよ。ただ……かなり危険な生物で、場合によっては人間・・にも被害が出るかも知れないレベルだって事だけは確かだ」


「……!」


 レベッカはそれで彼が政府や現地のガイドなどを通さずに、自分に話を持ち掛けてきた理由を悟った。恐らく何らかの非合法・・・な研究なのかも知れない。だから極力フィジー政府の目に触れるリスクを犯したくないのだ。その点、あくまで外国人の活動家であるレベッカは都合が良かったという事か。


 しかし生態系や場合によっては人にも被害が出るとなれば放っておく訳にも行かない。野放しにすればレベッカ達の今後の仕事にも差し支える可能性がある。



「……ふぅ、オーケー。アンディ達にも聞いてからじゃないとこっちも正式に返事は出来ないけど、一応引き受けるという方向で話してみるわ」


「……! ありがとう、レベッカ。ああ、それで充分だ。宜しく頼むよ。そう言えばアンディは相変わらずなのかい? 彼が君に付いてフィジーまで来て、未だに一緒に活動している事に驚きだよ」


 バージルはホッと胸を撫で下ろした様子で笑うと、立ち上がってレベッカに握手を求めた。昔付き合っていた頃、彼は弟とは割と仲が良かった事を思い出した。


「ええ、本当に。私自身が一番驚いてるわ。アンディはあなたに会ったら喜ぶかもね」


 レベッカも立ち上がると微苦笑して、彼の手を握り返すのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る