第3話 『ザ・クリアランス』

 フィジー共和国の首都スバ。同国最大の都市ではないものの海に面していて大きな港を持つこの街は政治だけでなく、フィジーの海洋産業において最も重要な役割を持つ都市であった。


 そして海洋環境保護活動を専門に行うNPO法人『ザ・クリアランス』の拠点もこの街に存在していた。


 スバの港湾地区にある大衆酒場。そこにレベッカ以下『ザ・クリアランス』の主だった面々が集って、今回の仕事・・の慰労会を行っていた。尤も主だった面々と言っても4人のみであったが。



「「乾杯ッ!!」」



 威勢の良い乾杯の音頭と共にビールの注がれたグラスが打ち鳴らされる。


「皆、今回は……いえ、今回もお疲れ様。これでマサイアスの奴も当面は大人しくなるはずよ」


 『ザ・クリアランス』の社長・・であるレベッカが社員たち・・・・を労うと、マオリ人のウィレムが重々しく頷いた。


「ああ、そうだな。流石に違法操業の現場を動画に撮られては大人しくせざるを得まい。ましてや民間人・・・に対する殺害を仄めかす脅迫のオマケ付きだ」


「まあそうなんだけど、今回も寿命が縮まったよ。姉さんが無茶やるのは相変わらずだけど、今回はマサイアスを動画で脅迫したわけだし、あいつらが何か報復してくるんじゃないかと思うと気が気じゃないよ」


 懸念半分、呆れ半分の声で苦笑するのはレベッカの実弟であるアンディだ。彼は昔から気弱な性格で、押しの強い姉に振り回される事が多かった。レベッカは鼻を鳴らした。


「あいつらにそんな度胸ないわよ。威勢がいいのは見掛け倒しの、コソコソするしか能が無いゴキブリなんて怖れるだけ無駄よ。そんな連中にここの美しいサンゴ礁を破壊する権利なんてないわ」


「でもアンディさんの心配も尤もですよ。彼等も自分達の評判に関わるし、追い詰められたら何をするか分からないですから。ただでさえあの『南海水産公司』の中国人達にも睨まれてるんですから、本当に気を付けて下さいね」


 アンディを援護しつつレベッカにやんわりと釘を刺すのは、ボートには乗っていなかったもう1人のメンバーであるナリーニだ。現地採用の若いフィジー人女性で、主に情報収集や事務仕事を担当してくれている。



 この4人が現在『ザ・クリアランス』の主要メンバーであり、後は法人要件を満たす為の数合わせ・・・・の幽霊社員たちが存在しているだけだ。本社・・は母国であるニュージーランドのオークランドに所在しているが、『クリアランス』の活動は専らこのフィジーのような海外が中心であった。


 そしてこの2年ほどはずっと、フィジー近海の繊細な生態系を守る為に活動していた。しかし先進国のように環境保護の理念が発達していないことと、役人への賄賂が横行している為に強引な開発や乱獲、そしてあのカレニック社のようなならず者連中まで環境絡みの犯罪トラブルは後を絶たず、必然それを妨害するレベッカ達の活動も過激で危険なものにならざるを得ない。


「当初はもっと穏やかで理知的な活動を想定してたのに……。ホント、僕の気持ちを解ってくれるのはナリーニだけだよ。姉さんもウィレムも脳筋・・だからさ」


「ア、アンディさん……そんな事……」


 アンディに笑顔を向けられたナリ―ニは、少し顔を赤らめて下を向いてしまう。昔から気弱で主体性のない性格だが、その甘いマスクのお陰か女性には人気があったアンディである。いや、もしかすると気弱で主体性が無いのも女性から見ると保護欲をくすぐられたりするのかも知れない。


 実姉であるレベッカからするとただ苛々するだけで、全く理解できない事ではあったが。


「はいはい、脳筋で悪かったわね。でもね……犯罪者スレスレの連中を相手取るには大事なのは行動力なのよ。リスクを恐れてあれこれ考えてばかりいたら、連中に先手を取られて何も出来なくなってしまうわ」


 彼女達が戦っている敵はいずれも暴力的なだけでなく、極めて狡猾で悪辣な連中ばかりなのだ。そんな奴等を相手取るのに悠長な事は言っていられない。


「俺はレベッカを支持するが、あまり過激になり過ぎて自分が犯罪者になってしまわんようにだけは注意すべきだな」


 ウィレムがやはり重々しい口調で警告する。昨今は『環境保護団体』というとそれだけで過激な活動家集団という悪いイメージが出来上がってしまっている。大体は鯨だけを特別視するオーストラリアの某団体のせいである。


 レベッカ達はあのような犯罪も厭わない連中とは断じて違うという自負があるが、一般人から見れば区別など付かないだろう。だからこそ彼女達も活動内容には細心の注意を払わなければならない。


 何かあれば『だから環境活動家は……』という事で、悪いイメージに更に拍車がかかってしまう。ウィレムはそれを警告しているのだろう。


「もう、何よウィレムまで! 私がそんな過激で無鉄砲な人間に見える? 私ほどの平和主義者は他にいないと思うわよ?」


 レベッカが口を尖らせると、何故か他の3人は微妙な表情になった。


「姉さん……自分を顧みるって大事だよ?」


「お前が無鉄砲でないなら、大抵の人間は温厚そのものになるだろうな」


「レ、レベッカさん……。流石にそれは無理がありますよ」


「な、何よ、皆して……」


 3人から一斉に突っ込まれたレベッカは動揺して、増々口を尖らせてしまう。アンディ達が苦笑してそんな彼女を何とか宥めて『慰労会』を楽しんでいると……



「やあやあ、レベッカ。それに『クリアランス』の諸君! カレニック社を追い払ったという話は聞いたよ! 全く、いつもながら少人数で素晴らしい成果だね!」



「……! スヌーカさん、いらしてたんですか」


 レベッカ達の席にやや恰幅の良い50絡みの男性が近付いてきた。インド系フィジー人のピジェイ・スヌーカだ。人の良い陽気なおじさんという風情だが、こう見えてフィジー政府の高官であった。


 彼はレベッカ達『ザ・クリアランス』がフィジー領内における活動許可をもらうに当たって尽力してくれた人物だ。レベッカとアンディの父親と知己の間柄であり、その伝手を利用させてもらったのだ。


 そして現在はNPO非営利法人である『ザ・クリアランス』のスポンサーのような立場であり、レベッカ達としても適当に遇していい人物ではなかった。慌てて席から立ち上がろうとした面々だが、スヌーカ自身がそれを止める。


「ああ、いいんだよそのままで。この近くに用事があってたまたま立ち寄っただけだしね。本来は政府がやらねばならない仕事を君達に肩代わりさせているようなものなんだ。私達こそ君達に感謝しなければならない立場だからね」


 発展途上国の常としてフィジーも役人や政治家の間で賄賂が横行しており、環境を破壊するような外国の違法操業に対しても買収によって見て見ぬふりをされているケースが多いのが現状であった。


 スヌーカも政府の一員である為に例え無法な外国企業の跳梁を苦々しく思っていても、表立って問題提起する事が出来ない立場であったが、そこに現れたのがレベッカ達だ。


 あくまで外国のNPO法人である彼女らが環境保護活動の一環としてそうした違法操業の妨害をしても、それはフィジー政府とは直接関係がない外国企業同士の揉め事にすぎない。外国企業から賄賂を貰っている高官達も『外国の過激な環境保護団体がやった事であり自分達は無関係だ』という立場を貫けるのである。


 フィジーの役人や政治家からすれば賄賂を貰いつつ環境破壊も止められるので、願ったり叶ったりという状態だ。スヌーカの他にも、そうして外国の環境保護団体と裏で契約・・を結んでいる高官はそれなりにいるらしい。


 団体側も非営利法人であるが故にそうしたスポンサー・・・・・との契約を欲しており、お互いに持ちつ持たれつの関係を築いているのであった。ただ……



「それでどうだね、レベッカ? 今後の活動計画について2人きり・・・・で話し合わないかね? 君がOKしてくれれば、すぐにでもこの街で一番高いレストランを予約するよ」



 アンディ達もいる場で、極めて解りやすい誘い。スヌーカは好色な視線でレベッカの肢体を舐め回す。誘いに乗ったら当然ただの食事だけで終わるはずがない。


「あー……スヌーカさん。お誘いは嬉しいんですが、カレニック社の連中を挑発したばかりなので今はそういう目立つ・・・行動は控えようかと思っていまして、申し訳ありませんが……」


 先程自分で大した事はないと断じたマサイアス達を言い訳・・・にして、やんわりと拒絶するレベッカ。彼女がこのようにスヌーカの誘いを躱すのはこれが初めてではない。目下、彼女にとって小さな悩みの種であった。


「……そうか。とても残念だよ、レベッカ。そういう事なら仕方ないが……私達と契約・・したがっている活動団体は他にも沢山いるという事だけは忘れないようにしてくれ給え」


「え、ええ……勿論承知しています、スヌーカさん」


 レベッカは引き攣った笑みを浮かべて何とかその場をやり過ごした。立ち去っていくスヌーカの背中を見送りながらウィレムが溜息をついた。


「『南海水産公司』の徐社長から多額の賄賂を受け取っているだろうに、それでもまだ足りないというのかあの男は」


「しかも強欲なだけならまだしも、よりによって姉さんを狙ってるなんて危機管理能力・・・・・・も欠如してるよね、スヌーカ氏は」


 おどけたようなアンディの態度と言い草が可笑しかったのかナリ―ニが少し噴き出してしまう。レベッカがジロッと睨み付けると、2人は慌てて口を噤んで降参のポーズを取った。

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