第8話 死ぬまでにしなければならないことが多すぎる
おそらく事情を知る職員室の先生方は固唾をのんで見守っている。
わたくしとバルクシュタインは互いに作り笑いをしたまま、一歩も引かない。
「アシュフォードさん。断る気持ちは痛いほどわかるわ。これにはふかーーーーい訳があるのよ」
先生は授業でよく使う抑揚を使った。
「いえ。どんな理由があろうと。わたくしがバルクシュタインさんにダンスを教える理由は――」
「あら。アシュフォード様は筆頭公爵家のご令嬢。責務があるのではなくて? あたしのような商家の卑しい身分の女には、ダンスひとつ教えることもできないのですか。それはいささか、狭量ではないかと邪推してしまいます」
鼻を鳴らすバルクシュタイン。
ほんとうにノブレス・オブリージュとは都合が良いこと。バルクシュタインにダンスを教えるぐらいなら、わたくしは公爵家の看板をいつでも差し出しましてよ。
まったく。しょうがない。正直、バルクシュタインに興味がないかと言えば嘘になります。
「わたくしは厳しいですわよ。大量のハンカチを用意しておいてくださいな」
「まぁ。頼もしい。では、バルクシュタイン商会すべてのハンカチを搬入しておきましょう」
互いに笑い合う。
「では、準備ができましたら、直接わたくしにおっしゃってください」
「開始は明日から。放課後に1時間でいかがでしょう。期限はあたしがちゃんと踊れるようになるまで。よろしければサインをいただけますか。口約束というものはこの世でまったく信用に足らないと思っていまして」
バルクシュタインが先生の机に契約書をひろげる。こんなものまで用意するとは。うん? バルクシュタインの手が震えている。態度からは余裕しか感じられないのだが。
契約書をすみずみまで見る。
「アシュフォード様を貶める文章は書いておりません。純粋に貴方様にダンスを習いたいのですよ。立派な王太子妃になるために」
それを先に言ってください。アラン殿下には婚約破棄されてしまいましたが、陰ながら幸せを願っております。バルクシュタインがその気なら、わたくしのやってきた王太子妃修行のすべてを託す。
そして、わたくしの代わりにアラン殿下を支えてください。
丁寧にサインし、彼女の前に突き出す。
「明日からどうぞよろしくお願いします。わたくしが責任持って貴方を鍛えあげます」
カーテシーをし、その場を去った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
家の門をくぐり、こそこそと隠れて、騎士のジェイコブの姿を探す。
イケメン強面で、大きなからだなのに、驚かされることが苦手みたいで、後ろからわぁーと叫ぶと、とてもよいリアクションをする。
しかし、ジェイコブとペアの騎士、どちらもいない。王城に呼ばれたのだろうか。
ジェイコブと初めて会ったのはお母さまが亡くなってしばらくたった頃。
頬に傷を持った、目つきのするどい巨体の男がやってきた。王太子妃候補のわたくしの護衛として、国から派遣されてきた騎士だ。
我が家のメイド達は怖がり、みな、それぞれの背中に隠れる始末。
「その傷は……痛む? わたくし、消毒ならできます。あちらでお茶でも飲みながら、傷を治しませんか?」
騎士の前に立つと、影ができる。2メートル近く背があるのではないでしょうか。まるで巨人。
ジェイコブはわたくしの目線までかがむと、顔を近づけてきた。
メイドから悲鳴があがる。
わたくしは、そっと、頬の傷にさわる。
「い、いたくありませんの?」
「むかしの傷だ。痛みなどない。……初めまして、アシュフォード嬢。俺が怖く……ないのか。」
「怖くありませんわ。あなたはとても優しい目をしているもの」
「俺が、優しい……?」
ジェイコブは目を見開き、わたくしの肩をつかむ。メイドからさらに悲鳴が。
「アシュフォード嬢こそ、……その……、あー、いい瞳だ。ジェイコブと申します。今日から貴方の騎士です」
頭を描いて、頭を下げた。
「ええ。よろしくお願いします。さっそくお茶でもいかが。アッパンド産の紅茶が手に入りましたの。砂糖とレモンが合いましてよ」
「甘いものはちょっと……」
「まぁ、ものは試してみませんと。甘い茶菓子も用意してます。ささ、こちらへ」
お茶に誘い、ジェイコブを生粋の甘党にまで仕立てあげてしまった。
ジェイコブの驚いた顔を見ないと、1日が終わった気がしない。
あ! 噴水のある庭のベンチで日光浴しているのはわたくしの義理の弟、シリルだ。
「シリル! もう帰ってましたのね」
「姉さん。おかえり」
「失礼致します」
ささっとメイドが間に入って、タオルでシリルの大事な部分を隠します。
シリルは全裸で日光浴をする。健康にいいのだとか。ジェイコブに剣を教わっているシリルは細いながらもたくましい筋肉をしている。わたくしは破廉恥なのでやめてほしいのですが、メイド達のなかには彼のファンも多くいるので、なんとなく許されている。シリルはみんなのカワイイ共有財産弟だと、メイドが話しているのを聞いたことがある。
「姉さん。授業でわからない問題があったんだ。教えてくれない」
「ええ。どれかしら」
メイドが絶妙な角度でシリルの下部をガードする。いま、全裸だ。そわそわしないのだろうか。
シリルはアラン殿下のようなプラチナブロンドの髪をかきあげ、教科書を取り出す。アシュフォード家には跡取りがいないので、遠縁の親戚から養子にとったのだ。
本館のドアがいきおいよく開く。
「いけない。姉さん。匿って!」
「失礼致します」
シリルがわたくしの背中に隠れ、メイドはなれた手付きでシリルのを隠した。
「シリル! 帰ってきたなら、すぐに俺の部屋にこい。仕事を仕込んでやる!」
お父さまが大股でやってきて、シリルの首根っこをつかみ、引きずって行く。
さて、このふたりの問題を早急に解決しないと。
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