第9話 シリルの事情

 わたくしの部屋のなかにだれかがいる気配がする。

 とびらをそぉぉぉっと、開けた。


 中腰でベッドに近づく。天蓋の布で隠れて顔はわからないが、だれかがわたくしのベッドで寝ている。


 すんすんという、音が聞こえる。


 ベッドのまくらに顔を埋め、すんすん、すんすん、と規則正しい音が。



 わたくしに気がついて、メイド長のエマががばり、と起き上がり、ベッドの反動を利用して、バク転! した。なんときれいな弧を描くのか。そのまま壁際に立った。まるで、最初から壁際に立ち、出迎えていたかのように。

 メイドバク転は初めてみました。人生とは神秘に満ちあふれているのですね。


「お帰りなさいませ。フェイト様。今日ははやいですね。ベッドメイクの途中でしたよ」


 完璧な所作で紅茶を入れにいくエマ。さっきの隙しかない様子から一転、出来るメイド長に早変わり。わたくしのまくらでなにをしていたのかとても突っ込める空気ではない。堂々としすぎている。


「もう王城に行く必要がなくなりましたからね。王太子妃修行、執務のお手伝いは新しい王太子妃の役目です。わたくしは自由になりました」


「――そうですね……。いままであまりにも忙しく、年頃の女の子の遊びもしてこなかったでしょう。これからは友人と遊んだり、おいしい紅茶を好きなだけ嗜んだり、イタムと好きなだけ遊べますね」


「ええ。これから毎日を楽しくすごすのです。エマとも一緒にいられますね」

 簡素な緑色のドレスに着替える。イタムを部屋で自由にしてあげた。




 食事は広間のテーブルで3人で食べる。

 お父さまが壁際の椅子に座り、その向かいはお母さまが亡くなってからずっと空席のまま。わたくしとシリルは向かい合わせで食べる。


 お父さまは貧乏ゆすりをして、機嫌が悪そうだ。


「姉さん。いつもより食事が多くない?」

 シリルがくりくりとした瞳を向ける。


 子羊のお肉がおいしく、舌鼓をうっておりました。

「実は、動ける令嬢を目指していまして。その一環です」

 今後、わたくしは剣を握るかも知れない。それに病気によってどうなるかもわからない。体力はあったほうがいいだろう。


「ははっ。姉さんがまた面白そうなことをはじめたよ。ご令嬢たちはみんな体重や体型のことを気にして食べない人が多いのに。やっぱり姉さんは一味違うね」


「おい! シリル。食事に時間をかける男など、無能そのもの。エマ、皿を下げろ。食事は終わりだ」


 エマは承知いたしました、と言って、申し訳なさそうにシリルの皿を下げる。

 

 シリルは食べ盛りだ。食事を奪われても不満な顔はしない。

 立ち上がり、「申し訳ありませんでした。お父さま。以後気をつけます」

 綺麗なお辞儀で謝罪した。



「おまえは仕事が遅いのだから、のろのろとしている時間などない。仕事に戻れ」


 シリルはわたくしに笑いかけると、自分の部屋に向かう。


「アシュフォード様は最近はいつにもましてシリル様に辛く当たりますね」

 エマが空いた皿を下げつつ、おかわりを持ってきてくれる。おかわりを頼んだ覚えはない。


「動ける令嬢……。ふふっ。昔の天真爛漫だったフェイト様がもどってきたみたいで、私まで楽しくなってしまう。よかったらどうぞ。たくさん食べてくれるとシェフもよろこびます」


「ありがとう。そういえば、さっきのバク転。見事でしたわ。そんな秘密兵器を隠していましたのね?」

「メイドの基礎教養ですよ」

「いやいや。どこの世界にバク転ができるメイドがいますか」

「フェイト 様にもしものことがあった場合は、盾になれるぐらいの訓練はしています。それが私のメイド道!」

 

 エマは見事なカーテシーをした。わたくしもカーテシーで返す。

「さすがです。なにかありましたら、その身のこなし、教えてください」

「私はフェイト様になにもないことを願っています。アラン殿下のことは残念でしたが、幸せになってくださいね」


 エマは38歳。未婚だ。お母さまからわたくしの教育を頼まれ、慣れないスパルタでここまでたたき上げてくれた。わたくしには言わなかったが、結婚の話もあったらしい。いまでこそ良好な関係だが、教育がはじまって1年~2年は嫌な鬼教師役となって厳しく接してくれた。


 エマには感謝しかない。

「ありがとう。エマ、わたくし、幸せになりますわ」

 あと、3ヶ月。精一杯幸せに生きてみせます。見ててください。エマ。




 

 シリルの部屋のドアを控えめにノックをする。

「どうぞ」

「紅茶を入れましたの。一緒にいかが」

 シリルの机の上に紅茶を置く。驚いた顔をしていた。


「お父さまから、入るなと言われているんじゃ。なにかあった?」

 シリルとは互いに年頃。互いの部屋に入るなと言われている。


「お父さまには内緒にしてね。王城での執務の仕事がなくなったから、暇でして。ちょっとアシュフォード家の仕事を見学させてもらってもいいかしら」


「いいけど……。見てて楽しいものではないと思うよ。僕は無能だから」

 シリルは満面の笑みを浮かべる。彼は辛い時こそ強く笑う。わたくしたちは血はつながっていないけどよく似ている。


「無能かどうかはシリルでなく、わたくしが決めます。わたくしは自慢ではないですが、魔女なのに魔法が使えない無能です。よかったらお食べなさい」

 シェフに言って、夜食を作ってもらった。


「お父さまに見つかったら、怒られるよ。やっぱり姉さんは優しいよね。ありがとう」

 片手で食べられるように、野菜、肉をパンではさんだものを作ってもらった。


 女は男の仕事に干渉してはいけない風潮がある。けれど、わたくしの王城での仕事の仕方が役に立つかも知れない。


 それから2時間ばかり、必死に仕事をしているシリルを見せてもらった。


 正直、仕事自体はお父さまが言われているように遅い方だろう。しかし、できあがった書類を見ると、ミスが見当たらない。


「終わった書類はお父さまにチェックしてもらっているのかしら」

「そうだよ」

「シリル。正直に言って。お父さまが怖い?」

「全然。こんな貧乏男爵の三男を養子にもらってくれて、筆頭公爵家の跡継ぎとして育ててくれているんだ。感謝以外ないよ」

 強く、笑った。


 そうよね。怖いわよね。立場も年齢も違いすぎる。シリルが養子になったのはわずか1年前。わたくしよりひとつ下の15歳。精神的にも辛いはず。



 わたくしはひとつ方法を思いついた。それを実行できれば、いけるか。


 

 一緒に頑張りましょう。シリル。わたくしがいなくなっても、お父さまと仲良くできるように。シリルの自信を取りもどして、二度と自分のことを無能だなんて思わないように。

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