10 ダイ・バード
カウンターしかない
「隼人、隼人っ!」
いくら呼んでもびくとも動かない。
奏さんが帰ってきて、
「水でも掛けてみるか?」
と言ったけど、そんな事できない、と僕は思った。だって、
「
「ホントに? 息してないし、心臓動いてない」
「そりゃ、おまえ、標準だろうが。呼吸も心拍も、いつも、してるフリしてるだけなんだから」
奏さんの言う通りだ。僕と隼人はもともと生き物じゃない。呼吸も鼓動も、もともとない。
「でも、いつも隼人、死んだらどうする、って言ってる」
「言いたいだけだ。死ねないから」
……でも。
「それじゃ、隼人の家族は? 家族を探してるって、言ってた。ひょっとしたら、もう死んでるとかじゃなくって?」
「神の家族は神。神は人々から忘れ去られたとき、消える。
「……それじゃ、僕が隼人を必要としていれば、隼人は消えない?」
カウンター越しに、氷を浮かべた水を奏さんが僕にくれる。
「まぁ、そうなるな……」
「なんか、歯切れが悪いね」
水を飲み干す僕を奏さんが見つめる。
「家族を探している、と隼人が言ったのか?」
「うん、
「そうか……なら、そうなんだろうな」
「どういう意味?」
「いや……俺は、隼人には悪いが、アイツの家族はとうに滅んだと思ってる。隼人は、エジプト神の最後のプライドを背負って存在しているのだ、と俺は思ってるんだ。主神格だからな、ホルスは。まぁ、俺がそんなこと言ったなんて、隼人には言うなよ」
奏さんに口止めされなくたって、僕が隼人にそんな事、言えるわけがない。
「さて、どうせ隼人はラーメンだろ? 塩とか
そんなの僕には判らないよ、と言っていると、店の引き戸の向こうでバタバタと音がする。街灯の光でうっすら見える影は足元のほうだけで、どうやら鳥の形に見える。
「
恐る恐る引き戸を開けると、カラスがヒョイヒョイと店内に入った。すぐに僕は引き戸を閉める。カラスが入店するところ、誰にも見られていないよね? さっき隼人が見かけたのは、やっぱり奥羽さんだったんだね。
「奏!
「ふん、勝手に
「これは無知な。カラスも自動ドアを開けて出入り自由、って報道番組でやっていたぞ」
報道番組。きっとワイドショーの事だ、ニュースじゃなさそう。
「そうかい、そうかい、世の中には
「用事は済んでいないが帰ろうか? 隼人を起こしてやろうと思ったが、帰ろうか?」
「奥羽さん、そんな事言わないで、隼人を起こして。どうやって起こせばいい?」
奏さんを
ふふん、と奥羽さんが我が意を得たりとニンマリする。
「バン、耳、
そう言ったのは奏さんだ。ハッとして、慌てて僕は耳を塞ぐ。
「カアカアカア! カッカッカ!」
「ピーーーーーーーーーッ!」
うはっ! 狭い店内に、カラスの伝達鳴きとハヤブサの遠鳴が木霊する!
「誰だ、誰だ? ボクの縄張りに入り込んだカラスは! 食うぞ、食ってやるぞっ!」
ピョン、と飛び起きた隼人、きょろきょろと周囲を見回す。いつも通りの隼人に僕がホッとする。
「隼人ぉ……」
思わず涙ぐみ、隼人に抱き付いた僕を抱き止めながら
「誰だ! ボクのバンちゃんを泣かせたカラスは!? 食ってやるっ!」
奏さんが笑いながら、店の奥のドアを開ける。僕の陰で、隼人からは見えない位置だ。
「奥羽、店から出るのは2階の窓からにしろ。今の大音響、人を呼んでるぞ」
「そうだな、それじゃあ、失礼するよ」
ヒョンヒョンと両足揃えて奥羽さんが奥に進む。ドアの先はすぐ階段だ。2階は奏さんの
奥羽さんの後姿に僕は言った。
「奥羽さん、ありがとう」
「奥羽ちゃん? どこだ、どこさ?」
隼人がきょろきょろするけれど、とっくに奥羽さんは2階に消えてる。後を追った奏さんが窓を開けたんだろう、ガラガラという音が
「なんだ、ここ、奏ちゃんの店じゃん。ボクの縄張りじゃないや。カラス、見逃すしかないね。てーか、バンちゃんウザい、ボクに勝手に抱き付くな」
隼人が僕を突き飛ばすように引きはがし、カウンター席にちょこんと座る。
「んで、奏ちゃんは?」
「おう、隼人、今すぐラーメン、作ろうな」
2階から降りてきた奏さんが隼人に笑いかける。
「うん、チャーシューいっぱいね」
「判っているさ、隼人」
今日は奏さん、僕には聞かないようだ。黙って隼人と同じものを僕に出すつもりなのだ。まったく、僕の
と、今日のラーメンは味噌ラーメンだった。見るなり、隼人が
「ボク、ラーメン。奏ちゃん、なに、これ?」
「隼人、これは味噌ラーメンだ。文句言わずに食え」
「えーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
いつもより長い「えー」を聞かされる。それでも隼人、味噌ラーメンを食べ始める。そしてやっぱり『ピヨッ!』と鳴く。
「なに、これ。これもラーメン? いつものラーメンと違うけど、これはこれで美味しい」
「なんで今まで隠してた、というなよ」
「奏ちゃん、
「おまえはいつも『ラーメン』としか言わないからだ。味噌にするか塩にするか聞くと、『ボクに味噌や塩しかくれないつもり?』って怒りだす。人の話は良く聞け」
奏さんの説教は隼人に無視された。というか、食べるのに夢中になった隼人に、なにを言っても無駄だと思う。ピヨピヨと食べるのを楽しんでいる。
今、気が付いたけど、隼人のサングラスがない。車に弾き飛ばされた衝撃で、どこかに吹っ飛んだんだろう。そう言えば、さっき救急車のピーポー音や、パトカーのサイレンも聞こえてた。店の外、少し離れたところに大勢がなにやらざわざわしている気配がする。
騒ぎの元凶の隼人がここでラーメンに
いつもは食べ終わった後、すぐ帰ろうとする隼人が珍しく、今日はちゃんとメヅヌに聞いた話をし始めた。車に
「月光の魔力不足、ねぇ……」
奏さんが考え込む。
「確かに、月光は、もちろん陽光も、魔力って言うか、生体に力を
「奏ちゃんっ! 自分一人で判っちゃわないでよっ!」
「そう言えばバン、おまえ、吸血鬼なのに陽光に影響されないな」
「うん、隼人が言うには、西洋の吸血鬼じゃないからなんじゃないか、って」
「んだな。あちらのはお日様にあたると消滅するな」
「だからっ! バンちゃんは特別なのっ!」
「日輪と月輪は裏表……表裏一体?」
「月光は、太陽の光を反射してるだけってのは常識だよね」
「なんで二人でボクを無視するんだよっ!」
「うるさいな……隼人、
「うん、うん、ミツマメ大好き。あの、ゼリーみたいの、もともと
隼人の前に奏さんが、ミツマメの小鉢を置く。これで
「で、どちらが表か裏か、か」
「月は太陽を反射してるってことを考えると、太陽が表に思えるけど?」
「だよなぁ……でも、付き止めろ、って言われたんだろう?」
「うん……」
「ほかには何も言ってなかったか? 一見、関係なさそうなことでもいいぞ」
「そうだね……ストローくれた」
「ストロー?」
「うん、メヅヌが
「スモモ、ストロー、邪魔な物。
「奏さん、ホント?」
「うん、ちょっと探ってみる。判ったら連絡するよ」
「うん、奏さん、やっぱり頼りになるね」
「うん、奏ちゃん、やっぱり頼りになるよねっ!」
ミツマメを食べ終わった隼人が僕の真似をする。
「どうせボクは頼りにならないよねっ!」
「隼人、ミツマメ、美味かったか?」
「うん、奏ちゃん、この次は豆、増量してね」
「おいさ、気を付けて帰れ。車に
「バンちゃんがボクから離れなきゃいいんだよっ!」
隼人がひょいっとカウンター席から立ち上がる。
「帰るよ、バンちゃん。奏ちゃん、ご馳走さま」
そう言うと、僕を置いてトットと店を出る。
「バン、苦労するな。ま、隼人の面倒見れるのはおまえだけだ」
「うん、奏さん、ご馳走さま」
早くしないと隼人がまた車に轢かれるぞ、と奏さんの笑い声を後ろに聞いて、僕は慌てて隼人を追った。
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