第7話 夜の支配者2

予想外の出来事に気を取られ、私は喉がカラカラになっていることにようやく気がついた。ベットから抜け出すと、サイドテーブルの上に置いてある水差しを取り、グラスに水をなみなみと注ぐ。

それをゴクゴク音を立てて飲み干した。

品のあるお嬢様がすることではなかったが、そんなの気にしなかった。


ミアがしていたことを私は良しとは思わない。ミアは屋敷の主人の娘という立場を利用して、下僕の彼に無理やり肉体関係を強要していた。

なんて、卑劣で節操がないのだろう!

まるで、悪役だ。と思ったところで、ミアは悪役令嬢だったと気がついて複雑な笑いが込み上げそうになった。


つくづくミアと私は違う。

育ちも、家庭環境も、ものの見方や考え方も。

ミアは我が儘で傲慢だ。自分の思い通りに人を動かし、気に入らなければさっさと捨てる。だから、このゲームの主人公がこの国の王子と仲良くなった時、主人公に嫉妬して集団でいじめ、最終的には毒殺までしようとした。

恐ろしいほどの執念深さ。自分のためなら、人をも殺そうとする腹黒さ。


(とても、とても、私には荷が重い……。)


どこまでいっても私は悪役にはなれそうにない。どんなに容姿がそっくりでも。


根が真面目で駆け引きが大嫌い。女性らしい間接的でまろやかな物言いが苦手で、何でも思ったままストレートに発言してしまう。(それが上司からも、元カレからも可愛げのない女だと言われても、どうしようもなかった。)

でも、人が好き。人とちゃんと関わって生きていきたい。

だから、卒業後の就職先はホテルにしたのだ。


私ははぁ~っ、と壮大な溜め息をついた。


「さあ、自分の部屋に帰って。それから、もう夜はここへ来なくてもいいから」


ハッキリと、でも出来るだけ威圧感のないように私は彼に伝えた。


「これも私のお役目のはず。私のことがお嫌いになられましたか?」


ヴィクトルは私が彼を捨てるのではないのかと勘違いしたらしい。複雑そうな顔をした。

彼の気持ちが分からなくもない。彼ら使用人にとって、私の機嫌により不幸をかえば、この屋敷から追い出され、おのずと待つのは死なのだ。


「言ったでしょう? 私はミアに似ているかもしれないけれど、ミアではないのよ。だから、無理やり夜伽みたいなことしなくても、貴方を切り捨てたりしないわ」


ましてや、本来どうこう出来る立場でもない。

彼はじいっと私の顔を探るように見つめていた。表情からするに半信半疑といったところか。本当に部屋に帰ってもいいか、思案しているのかもしれない。


「じゃあ、本当に貴女はミア様ではない……?」


「ええ、……本物じゃないのに、こんな所まで来てしまってごめんなさい。でも、私もここ以外に行くあてがなくて、切羽詰まっていたの」


私はストレートに謝った。彼ら使用人を少しの間でも騙していたことが申し訳なくて、胸の奥がギュッと縮む。罪悪感とはこのことだろうか?


「よかった」


「え……?」


ポツリと彼が静かに呟いた。

シンとした部屋にその新緑の風のように涼やかな声はよく響いた。

ヴィクトルは下僕とはいえ、見目がとても良い。ミアが夜伽を彼に強要するだけのことはある。その上、声まで男っぽくて、時々私までドキリとさせられる。


「良かった……。ミアお嬢様がいなくなって」


不適なセリフを吐いて彼は苦く笑う。


「??」


彼はベットから起き上がると、獣のような素早さでこちらに近付いて来た。

私と彼との距離はキス出来そうなほど近かった。

私はまじまじと彼の瞳を覗くはめになった。ビー玉のように綺麗な金色の瞳が野性味を帯びていてぞくりとする。突然のことに息が詰まりそうになる。


「ミアお嬢様はここにはいない。じゃあ、どこにいった? それから、あんたは誰なんだ??」


先ほどまでの優しげな声音が嘘のように、刺々しく冷たい声が雷のように落ちてきた。彼の剣幕は険しく、こちらに有無を言わせないオーラを放出している。


私はごくりと唾を飲み込んだ。

おそらくこれが、本来の彼なのだ。

今までぐっと押さえつけてきたものが、一気に爆発したようなそんな感じだった。


彼は私の首筋まで鼻先を近付けて、微かにクンクンと動かした。

私はその動物的な仕草に身を固くする。

まるで、犬が何かを確認するために、念入りに相手のにおいを嗅いでいるみたいだった。


「嘘をついても無駄だ。俺には嘘をつくと、においで分かる。だから、真実を教えろ」


(嘘のにおい!?)


驚いた。嘘をつけば彼に見破られる。本当にそんな気がした。


(……嘘のにおいって、何かの例えなの? 嘘をつくと無意識に緊張して、身体が汗をかくから?? 私の体臭をヴィクトルが嗅ぐってこと?? やだ、恥ずかし!)

ぐるぐる頭が動き出した時、業を濁したヴィクトルが眉をひそめた。


「聞こえなかったか?」


ドスの効いた声に私はハッとした。先程水で喉を潤したというのに、とっくに口の中はカラカラだった。

そして、意を決して伝えることにした。


「…………私の名前は、羽根 うぐみ」

「ハネ、ウグミ……?」


片言の日本語でヴィクトルが私の名前を呟いた。とても言いにくそうで少し申し訳なくなる。


「そう、それが前世での私の名前。この世界とは違う場所で生を受けて、過労で死んで、この世界へ転生した」


「てん、せい……?」


どれもこれも聞きなれない単語で彼も戸惑いを隠せないようだ。


「つまり、生まれ変わりね」


生まれ変わり、と聞いて彼もようやく少しは納得できた顔をした。


「……ミア様、どこかで頭でも打ちましたか?」


(ガックリ…………。)


折角、彼も納得してくれたかもと思ったのに、すぐさまそれは気のせいだったと思い知る。


(さては、信じる気がないな……。)


それは彼を見れば分かった。先程から私を胡散臭げに眺めるその瞳には、同情的な憐れみさえ浮かんでいる。

そんな目を向けられなくても言いたいことは良く分かっている。


「信じられなくても良いけれど、私は嘘はついていないわ」


「…………」


正直に話すしかなかった。例えミアに成りすましたところで、ボロは簡単に剥がれるものだ。

しばしの沈黙の後、ヴィクトルは口火を切った。


「ふーん、それなら俺と取り引きしないか?」


「と、取り引きって??」


「あんたにはこのまま、ミア・フォルトナーを続けて貰う」


「えっと、さっきの説明を聞いていた? 私はミア・フォルトナーではないのよ? それなのにミアを続けてどうするの……??」


私の言葉を遮るようにヴィクトルは、手を上げた。とりあえず聞け、そんな感じだった。

私はしぶしぶ口をつぐむ。


「本当のミア・フォルトナーじゃなくていい。むしろ、その方が俺達には都合がいいんだ」


「都合がいいだなんて、なんだか、嫌な言い方だわね」


私は思わず口出しした。

今のヴィクトルはミアとの主従関係を気にしなくなった分、随分とざっくばらんに話をするようになった。

はじめの頃の、お行儀のよい彼とは180度違う人物のように私には感じられた。

だが、断然こちらの方がいいと思う。

だって、言いたいことが言えないなんて、苦しくて悲しいことだし。


「あんたにも、悪い話しじゃあないと思うぜ。折角見た目がミアにそっくりなんだ、彼女になりきって、ここでお嬢様生活を満喫したらどうだ?」


「別にミアになりたくて、この容姿に転生した訳ではないのだけど……」


私は文句を言った。


「よく考えてもみろよ、ミアのままでいれば、住む場所も食い物も困ることはない。それどころか、フォルトナー家の有り余る金で好き勝手な暮らしができるんだ」


「そ、それはそうだけど……」


ミアの生身の死体を見ている分、彼女に成りすますことに後ろめたさが半端ない。

こういう性格なので、私は悪役向きではないとつくづく感じるのだ。


「まあ、時間はあるんだ。よく考えてみなよ」


「そうする……。それで、そちらの条件は何?」


「ふふ、それなら簡単なことさ。あんたにミアのフリをし続けて貰うことさ」


「それって、取り引きじゃないじゃない! 私に考えておけと言いながら、貴方はミアでいることを強要するの?」


「別に強要するつもりはない。あんたが嫌ならここから出ていけばいいだけだ。だが、ミア・フォルトナーに成りすますなら、俺が協力してやる」


彼は初めからミアに成りすますことを念頭に話を進めていたのだ。取り引きなどと持ちかけながら、全く対等ではなかった。


悔しい……!!!!


ふつふつと怒りが込み上げてくる。

しかし、彼を睨んだところで、相手は涼しげな顔を見せるだけだった。


「3日後の夜にまたここへ来る。その時返事をくれ」


「っ…………」


ヴィクトルは返事に窮する私をおいてきぼりに、さっさと部屋から出ていった。

パタンッ、と扉が閉まると、どっと私は疲れを感じた。


もう、何も考えたくないっ!


私は答えが出せないまま、ベッドにつっぷして寝転がった。

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