第6話 夜の支配者1
「ふぁ~、やっと、一人になれた……」
私はミアの部屋に入ると大きく伸びをした。
ミアの部屋がどこなのか分からなかったので、ヴィクトルに部屋まで案内をして貰い、なんとかこうしてたどり着けた。
「天蓋のあるベッドなんて、生まれて始めて使うなぁ」
少しだけ私のテンションが上がった。
ミアの部屋は広くて豪奢だった。蔦や鳥が描かれた薄いピンクの壁紙、窓にはレースのカーテン、天蓋付きのベッド、大きな暖炉、アンティークな猫足テーブルと椅子、ドレッサー……。それに足下は赤い絨毯。
どれもこれも高級品だと一目で分かる。
まるで、お姫様になったよう。思わず溜め息が漏れる。
ここで悪役令嬢のミアは毎日生活をしていたのだ。ピンクを基調とした部屋は、キツイ性格の割にずいぶんと乙女チックな印象を受ける。
ふと、ドレッサーに目が止まった。そこには大きな楕円形の鏡がはめ込まれている。
「うわ!? なに、この美少女っ!!」
鏡に映っていたのは目を疑うような容姿の少女だった。
おそるおそる、巻き毛に指を絡ませる。
サラサラと指先から伝わる絹のような滑らかさ。(シャンプーのCMの女優みたいな髪だ!)
私はそのままじいっと自分を見つめ続けた。
輝く長い金髪、白磁の肌、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳、長い睫毛、薔薇色の唇、西洋人形を思わせるその容姿は数刻前に森で見た少女に似ている。
私はごくりっ、と唾を飲み込んでから、薔薇色の唇をそっとこじ開けた。
「ミア・フォルトナー……」
前の自分よりはるかに高くて女の子らしい声音が耳を震わせる。
ミアに似ているどころか、殆ど同一人物だ。
私はわなないた。
道理でヴィクトルや他の使用人達が私を見てミア様と呼ぶわけだ。
異世界へ転生すると、ここまで容姿が変貌してしまうのか……?
以前の私は黒髪のショートヘア、きっと後ろ姿だけを見たら、中学生か?と思われそうな平坦な体つきと野暮ったい顔立ち。
目鼻立ちもこじんまりしていてインパクトに欠ける。
……それが今は全く逆の容姿になっている。
ついついうっとりと自分の顔を眺めた。
同じ人間とは思えないッ!!
小さい頃からこんな美少女で育ってきたなら、それはそれはワガママにもなるわよね。妙に納得が出来てしまう。
しかし、私は悪役令嬢 ミア・フォルトナーになるわけにはいかない。
彼女のように悪役として振る舞い続けたら、末路はもはや目に見えている。
このゲームでのミアの最後は、「死」あるのみ。
国外追放、平民に落とされる、などなどの選択肢はないのだ。
ほんと、主人公意外の雑魚キャラには徹底的に冷たい設定となっている。
悪役とはいえ、よくもこんな年若い美少女を斬首刑に出来るものだ。
自分の首がはねられるのを想像しかけて、慌てて思考を停止させた。
ぶるりッ! と身を震わせる。
「そんなこと、あってたまるもんか!」
両手の拳をギュツとして堅く心に誓う。
必ずミアの、「死」のフラグは立たせない。
私は悪役令嬢ミア・フォルトナーではないのだから、(本人は森に埋まっているし)
王子様になんて近付かなければ好きにもならないし、主人公にも関わらなければ嫉妬などしようもない。
それにしても、今日は本当に疲れる一日だったな……。
異世界転生とはこんなにも精神力も体力も使うものなのか。皆、よくやってるよね。などと妙に流行りにのっている転生者を尊敬してしまう。
お風呂に入って寝よう……。
ミアの部屋には浴室が付いていた。(さすがお姫様の部屋だ!)
小さな部屋にポンとバスタブが置かれている。
私が帰ってきてからメイド達が気を利かせて熱いお湯を入れておいてくれたらしい。
バスタブには並々と熱いお湯がはられていて、薔薇の花弁まで浮かんでいて、とてもいい匂いがした。
熱い湯に疲れた身体を浸すと、身体の外側からじわじわと筋肉がほぐれていく感覚がした。
やっぱり、どの世界でもお風呂は気持ちいい……。
お風呂に入ると身体だけではなく、心も解放される。こんな時は転生先が使用人ではなく、令嬢だったことに有り難く思った。
お風呂から上がると、準備されていた絹のナイトドレスに身を包み、寝室へと戻った。
大きな天蓋付きベッドに上がり、ごろんと横になる。
横になるともう眠気が強烈に襲ってきて、私はそのまま眠ってしまった。
次に目覚める時は、元の世界であることを強く願って……。
私はまた、あの暗い森の中をさ迷っていた。
見渡す限り木々ばかり。
転生した時と同じ森だろうか?
いつの間にか、ミルクのように濃い霧が辺りに流れてきた。
前も後ろも右も左も見えにくくなってきた。
(こういう時はどうすればいいのだろう?)
動かない方がいいのか、それともとにかく動いて状況を変えるべきなのか?
そんな答えを森に聞いたところで、教えてはくれない。
そんなことを考えていると、あの濃いミルクの霧が引いて、辺りがよく見えるようになってきた。
思わずホッと息をつく。辺りが分からなくなるほど怖いことはない。特に知らない場所では。
すると、今度は自分とは別の、誰かの存在を感じた。それは自分がこれから進もうとする辺りだ。
「誰か、いるの……?」
確認するように声をかけた。
その声に呼応するかのように、私の数百メートル先の茂みががさごそと動いて、黒っぽいものが顔を覗かせた。
私とそいつの目と目が合う。
真っ黒な顔に金色の二つの双眸。
そいつは私を見据えると、ぎっしり並んだ狂暴そうな牙を剥き出しにして、低く唸り始めた。
私はヒヤリッとした。
この生き物はとても危険で、普通は動物園の柵の中にいて、人に危害を加えないようにされていて……。
黒い生き物は茂みからにょきりと全身を現して、こちらにのそのそと近づいてきた。
その体躯は思いもよらず大きかった。
(狼だ!!)
私は戦慄した。見てはいけないものを見てしまったと焦った。すぐに回れ右をすると、狼とは反対側へと走り出した。あれこれ考えている暇はなかった。
狼も同時に駆け出したのが視界の端にチラリと見えた。
(なんで、私がこんな目にっ……!!)
恐怖のためか、鼻の奥がツンとして泣きたくなった。
なぜ私は異世界まできて、野生のそれも見るからに狂暴そうな狼に追いかけられないといけないのだろう!
ストレスフルな職場で既にボロボロの身体では、逃げるのに必要な持久力も健康な肉体も備わってはいない。(だから、私を食っても美味しくない!)
走り出して少ししか経っていないのに、早くも息が上がってきた。
ハァ! ハァッ! と自分の激しい呼吸しか耳に聞こえてこない。
しかし、狼は猛然と追いかけてくる。
(なんとかして逃げきらなくては!)
足を必死に動かした。でも、上手く動いてはくれなかった。
狼はどんどん私との距離を縮めていった。
(あっ!)
危ないッ! と思った時には既に遅く、私は後ろから強く押され、大きな木の下に倒れ込んだ。
体勢を立て直そうとまごついている内に、狼は獲物を逃がすまいと全体重をかけて押さえ込んできた。とても素早い動きだった。
(ヤ、ヤバイ……!!)
フッと首筋に狼の生温かい息があたった。
それから獣のにおいが鼻をかすめる。
私はそれを間近に感じて完全に震え上がった。
(もう、ダメだッ)
私は今度こそ死を覚悟した。
転生先の知らない森の中で、私は狼の餌食になってはてるのだ。
こんな死に方したくはなかった。
でも、現実なんてそんなものなのかもしれない。
気付かないふりをして生きているけれど、本当は世の中はいつも残酷で、死と隣り合わせなのだ。
(あれ……!?)
身体を固くして狼が襲ってくるのを今か今かと身構えていたが、あの狂暴そうな牙が私を傷つけることはなかった。
(お腹、満腹なのかな? それとも弱い獲物を狩って弄んでいのだろうか?)
私は背にしているので後ろにいる狼の様子は知るよしもない。
でも、狼が私を襲ってくる気配はない。
襲う気がないのなら、その気が変わらない内に一刻も早く逃がして欲しかった。(そんな生易しい生き物ではないかもしれないが。)
獣のことだいつ気が変わるか分かったもんじゃない。
狼の気配を窺ったが、私の後ろから退く気はさらさらないようで、相変わらずガッチリと強い力で押さえ込まれていた。
(ひえぇ~~~~っ!)
私はゾワリッとして思わず悲鳴を上げていた。
不思議なことが起きていた。
狼が犬のように私の首筋をペロッと舐めたのだ。それも、ゆっくりと優しく。
(なになに、どうなっているの!?)
…………私はそこで目を開けた。どうやら、眠っていたらしい。
私は暗い室内のベットに横になっているようだった。はっきりとは分からないのは誰かが自分の上に覆い被さっていて、周りがよく見えないからだった。
「誰……?? 何これ!?」
私は身を起こそうとしたが、上の誰かが手足を押さえつけていて、上手くいかなかった。
自分の首筋にに生温かいものが触れている。誰かの舌が私の首筋を優しく舐めているのだ。
(狼っ!)
さっきまで狼に追われていたことを思い出し、緊張して身体を強ばらせた。
「恥ずかしがられているのですか?」
その誰かが私に聞いてきた。
その低く澄んだ声音に聞き覚えがあって、私は驚いた。
「ヴィクトル!?」
「はい」
相手は返事を返してきた。私の首筋から顔を上げたそれは見間違うはずもなかった。
ミアの下僕、人狼のヴィクトルだった。
(なぜ、ヴィクトルがいるの??)
私が戸惑っていると、次の瞬間彼はこともあろうに私の耳たぶを軽く歯で噛んだ。
じんわりとした痛みが心地よく身体を走る。
「うっ…………」
まさか耳を噛まれるとは思ってもいなかった私は完全に狼狽えてしまった。
何しろ長らく彼氏はおらず、(初めて出来た彼氏は大学の時で、身体の関係を断り続けていたら、半年で別れを切り出された。)
つまるところ、この歳でもうぶな処女というやつなのだ。
ナイトドレスが擦れる音がして、私の足の間に彼は強引に割って入ってきた。
その動きも躊躇がなく、慣れているように私には感じた。
(わ、わたし、このまま彼に身を任せちゃっていいの!?)
私は暗闇の中、必死になって今起きている出来事を整理しようとした。
そもそも、彼のこと好き?
いや、好きとか嫌いとか言う前に、出会ったばかりじゃない。名前とミアの下僕ということ以外は何にも知らない相手だ。
私にはヤってから好きになる。という考え方はなかった。
途端に大学の時の、初彼の顔が浮かんだ。あの時の苦い気持ちがしてくる。
(このままでいいわけないじゃないの!)
「ちょ、ちょっと、ストップーッ!!!!」
私はヴィクトルの胸板を押し返した。
初めてそこで彼が不思議そうな表情を浮かべた。
「どうかしましたか?」
こともなげに彼は言った。
上半身が起き上がって、鍛え上げられた身体があらわになる。
肩幅が広く、男らしい体躯を前に私は見惚れ、恥ずかしくなってカアッと顔が熱くなった。
「どうかしましたか? って、こっちが聞きたいわよ! いったいここで何をしてるの!?」
私は妙に早まる胸の鼓動を無理やり押さえ込み、出来る限り平静さを装って彼に聞いた。
「何って……、いつもしていることです」
「はぁ??」
私は耳を疑った。
伯爵令嬢のミアが、夜中に自分の寝室で、下僕のヴィクトルと一緒に何をしているというのだ??
思考が一瞬停止する。
「つまり、セッ……ぶはっ!」
「そ、そ、それ以上、言わなくてもいいわ!」
私はヴィクトルの口を強引に手でふさいだ。
彼はそれを受けて目を白黒させている。
「なんてことなの……」
頭を抱えたくなった。
「その……、ミアは貴方にこれを強要していたの?」
おそるおそる、私は口を開いた。
聞くのが怖かった。
華やかで気品があって、美しい人、ミア。
清楚で身持ちも堅いお嬢様だとばかり思っていた。でも…………。
「まあ、そういうことになりますね」
今更なにを? というように彼は淡々としている。
「いつから? どのくらいの頻度で??」
「いつからかは、正直あまり覚えていません。頻度は最近だと毎晩……」
(とんだ、ビッチじゃん!)
……聞かなければ良かった。
私は本当に頭を抱えた。
今さらだったが、どうしてそんな野暮な質問をしてしまったのかと激しく後悔をした。
頭がくらりっ、とする。
木のバットで後頭部を殴られたように感じた。(実際にそれで殴られたら死んでしまう可能性があるが。)
「貴方は嫌じゃないの!? 好きでもない相手と、その……、身体を重ねて……」
私はヴィクトルの金色の瞳を戸惑いがちに見つめた。
バク、バク、と変な動悸がする。
ここまできたら、もう気のすむまで質問するしかない。そんな気がしていた。
それまで彫刻のように無表情だったヴィクトルが、そこでびっくりしたように瞬きを繰り返した。
「考えてもみなかった、そんなこと初めて聞かれました。私には好きも、嫌いも、ありません。ミア様は私の雇い主の一人娘で、この屋敷の絶対的支配者ですから」
「…………」
「ミア様が決められたこと、発言されたことがこの屋敷のルールとされ、使用人達はそれに有無を言わず従ってきた」
「もし、ミアが決めたルールを破ったら、貴方達はどうなるの?」
良い答えなどきっと返ってこないと分かってはいたが、私は尋ねた。
「この屋敷にはいられません。それどころか、ちまたに悪い噂を流されて再就職先も潰れて路頭に迷います」
何も言えなかった。
ここでは彼の気持ちなど、これっぽっちも気にかけられない。
それどころか、人権すらおびやかされている。
(ひどいな…………。)
いくら金で雇っている使用人だからといって、何をしても許される、なんてあり得ない!
これは、本人の気持ちを無視した完全なパワーハラスメントではないか!!
私はひとりで憤慨した。
どの世界でも一部の権力を持った人間は優遇され、増長し、力の弱いものを虐げて生きている。
悪役令嬢のミアもその内の一人なのだ。
私はまざまざと知った。
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