第5話 偽善者ですが何か?

医者がこちらに背を向けて、水が張られた洗面器で汚れた手を洗っている。

東の角部屋は八帖ほどの広さで、執事頭が用意した燭台の明かりが部屋の中をオレンジ色に照らしていた。


ヴィクトルは怪我をしたメイドをベットに丁寧に寝かせると、すぐに部屋の隅の暗がりへと退いた。すると、すうっと姿が消え失せて壁と溶け込んでしまった。

まるでこの部屋の中に彼が存在しないかのようだ。

その慣れた行動から、彼はいつもそうしているのかもしれないと私は感じた。

ヴィクトルは使用人の中でも立場がとても低いのかもしれない。


それから、私は辛抱強く執事頭と共に医者の言葉を待った。

ようやく、手を洗い終わって清潔なタオルで手を拭きながら医者はこちらを振り返った。


「彼女は運が良かったよ。頭の方は血は出ているが擦り傷程度、右腕を骨折した以外は小さな打撲が数ヶ所のみ」


医者はくしゃりとした笑顔を見せた。

この人は優しそうだ。


「よかった……」


私の声と執事頭の声が重なって、私達はお互いの顔をまじまじと見つめ合った。


私は彼を少し見直した。最初はお医者に診て貰うのも客間に通すのも渋っていた彼だったが、本心では怪我をしたメイドのことを心配していたようだ。もしそうなら、そんなに悪い人ではないのかもしれない。


執事頭はすぐさま顔を青ざめた。


「本当に申し訳ございません! 」


「なんで謝るの??」


彼が謝る理由がいまいち分からない。

先程はメイドの傷が思っていたよりも軽くて、ホッとした顔を見せていたのに、今はもうそれどころではない! という切迫した様子なのだ。


「使用人の代えはいくらでもいる! 使えない使用人などすぐに解雇よ!! と、いつもミア様はおっしゃっていますから……」


青を通り越して白くなった顔はとても冗談を言っているようには見えなかった。


「ご、ゴホゴホ! そ、そうだったかしら?」


私はシラを切った。

ミアは自分が気に入らない、使えない、使用人達を今まで沢山解雇してきたようだ。

冷酷無慈悲!

ミアは絵に描いたような悪役令嬢だった。


ちくりッ、と突然胸の奥が傷んだ。

現世での私は仕事の出来ない従業員だった。

だから、仕事終わりにマネージャーに呼び出されこんこんと嫌みを言われ続けた。


『あの程度の客もあしらえないのか? 何年この仕事してると思ってる!?』


『お前の代わりなんて、いくらでもいるんだぞ!』


私をズタズタにする言葉の数々……。

その言葉にどれほど大切な人生を消耗させられたか。

私はぶんぶん頭を振って、その思考を消し去った。

ここは現世ではない! もう、あんな嫌な上司とは二度と会うことはない。

そう思うと、少し心が落ち着いた気がした。


「………………さま」


誰かが私を呼んでいる。


おずおずと執事頭は私の顔色をうかがっていた。


「大丈夫ですか?」


「あ、なんでもないわ」


我に返った私は瞬きをした。


「ミア様、このメイドにはお医者様への診察代も、薬代も高額すぎて払うことが出来ません。ですから、今はそれらをミア様に立て替えて頂くしかございません……」


「そんなこと、気にしないで。私が言い出したことなんだし、立て替えるというか、それぐらいのお金なら私が払うわよ」


さらりと私は言ってのけた。


「えっ……!?」


女主人から返ってきた言葉が想定外だったのか執事頭は目を剥いた。


私はそれを見て何か変なことを言ってしまったかと、ヒヤリとした。


部屋の隅で存在感を消していたヴィクトルでさえ、驚いた表情を浮かべている。


「どうしてしまったのですか!? 」


「どうって??」


「なにやら、いつものミア様では無いような。……そのお言葉信じて良いのですか?」


「こんなことで嘘なんかついてどうするのよ」


「しかし、今まで無かったことですし」


執事頭が困惑して脂汗をかきはじめた。


「私もね、よぉく考えてみたの。私のために頑張って働いてくれている使用人に辛く当たりすぎたかなって……」


私はベットに横たわるメイドに目をやった。彼女は頭に包帯を巻き、片腕も骨折しているため添え木に包帯ぐるぐる巻きの状態で痛々しかった。

顔を見れば、まだ十代かな? と思うような幼い顔立ちをしている。

そんな彼女がこの屋敷が嫌になって、私がいない間に逃げようとするなんて、かなり辛い思いをしていたのだろう。

私はそれに胸を痛めた。

「では、本当に良いのですね? 後になってやっぱりやーめた、なんてやめてくださいね。後で金払えと言われても駄目ですよ」


執事頭が赤く血走った目でしつこく念をおしてきた。


「大丈夫よ……。疑り深いわね、あなたも」


私はそっと溜め息をついた。真面目だとはわかるが、彼と話しているとなんだかどっと疲れを感じる。


「先生、彼女の怪我が治るまでどのくらいかかりますか?」


医者に向きなおり私は気分を変えることにした。

医者はベットの怪我人に目をやってから、顎に手を当てしばらくフムフム思案していた。


「骨が固まるのは最低1ヶ月半、完治するには4、5ヶ月はかかりますよ」


まあ、腕の骨が折れていれば確かにそれぐらいはかかるものだろう。彼はヤブ医者ではなさそうだと思えた。


「分かりました。彼女の傷が完治するまで定期的に診察をお願いいたします。それから、先ほど申しました通り、診察代、薬代、包帯代などは全て私が支払います」


「それはよいご提案ですね。それなら怪我をした彼女も安心して傷を癒すことが出来ますね」


先生はまたにっこりと笑った。


「ひいぃぃ!! ミア様、本当に大丈夫ですか? 馬鹿は風邪をひかぬと申しますが、風邪をひいて熱でもあるんじゃあないのですか!? それとも外で変なものでも食されたんじゃ……」


「くどいっ!」


気がつけば私は執事頭を睨み付けていた。


「調子にのるのもいい加減にして。それ以上とやかく言うのなら、貴方にこの子の診察代、薬代の全て払って貰うわよ!」


「ご、ご勘弁下さいっ! わたくしめがでしゃばり過ぎました!!」


執事頭は冷や汗をドッとかいて平謝りをする。


「彼女の怪我が完治するまでこの東の角部屋を使って貰っていいわ。それから、何かと腕が使えないと不自由でしょうから、気心しれた使用人の誰かを彼女の世話につけてあげて」


「それなら、同じメイドの……」


「私が彼女の世話をします」


それまで存在を消し去っていたヴィクトルが唐突に申し出てきた。

執事頭が話を折られて嫌な顔を彼に向けている。


「彼女と仲いいの?」


「はい。それなりに……。私にとっては妹のような娘ですから」


「それなら彼女のお世話はヴィクトルに任せるわ。その間は私に付いていなくてもよいわ」


「え? しかし……」


ヴィクトルは一瞬困惑した顔になった。

彼のこんな顔は中々見られないような気がして、なんだか得した気分だ。

自分でもなぜそのように感じたのか意外だった。


「私の方は当分の間、誰も付けなくていいわ。(一人になりたいし)……あ、でも色々と調べものをしたいから、書物に詳しい人には付いていて貰いたいわね」


「それなら、わたくしめがヴィクトルの代わりにミア様のお役にたてるでしょう! 何しろ、このお屋敷にいる使用人の中で一番の博識ですから」


「そう、じゃあ、明日からお願いするわ」


「かしこまりました!」


執事頭は意気揚々と答えると、脇に控えるヴィクトルにチラリと視線を送った。

その顔がライバルを出し抜いたかのように見えて、私は首をかしげた。

当のヴィクトルの方は大して気にもとめてはいなさそうだ。

何かしら二人の間には大きな溝がある。

そう思わずにいられなかった。

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