第4話 一難去るとまた一難

これがゲームの主役なら、目の前のヴィクトルは私の身体を支えてくれたのだろうか?


そんな気持ちがわいたのは私が馬車の急停止によって、正面の壁に自分の額を強く打ちつけ、倒れたせいだ。


「イタタ……ッ」


じんじん痛むおでこを撫でながら、私は身体を起こした。

ヴィクトルはどうしたのだろう?

ふと、自分の前に座っていた彼を振り返った。

こんな時こそ手を差しのべて欲しいものだ。


「あれ??」


さっきまで傍にいたはずのヴィクトルはどこにもいなかった。それどころか、いつの間にか馬車の扉が開いている。


「ヴィクトルさん?」


私は彼の姿を探しながら、開いている扉から馬車の外を覗いた。

すると、そこにヴィクトルはいた。馬車の近くに倒れ込んでいる女性に寄り添っていた。


ガアァァァァーン!!


それを見てなぜだかショックを受けた。

ミアの下僕の彼が主を放っておいて、馬車を止めたと思われる女性の心配をしている。(ように見える。)

まあ、私はミアではないから仕方がないが、この放ったらかし具合いはいかがなものだろう……?


私が馬車から降りようとしていると気がついた馭者は、慌てたようすで階段付き補助台を設置してくれた。

私はそれに、「ありがとう」とお礼を言って降りると、馭者にまたひどく驚いた顔をされた。


「何があったんです?」


ヴィクトルの背中に私は声をかけた。


「彼女が、走っている馬車の前に飛び出して来たようです」


「えっ! 大丈夫ですか!?」


私は急いで倒れている女性の傍へと駆け寄った。


「大丈夫とは言えません。馬に蹴られて頭を打ったみたいですし」


「なんでそんな危険なことを……」


ついつい問い詰め口調になってしまった。

私の悪い癖だ。私は思ったことをストレートに口に出してしまう質で、前の世界でもそれでホテルに滞在するお客様と度々喧嘩になりそうになった。

今思えばやる気はあっても性格上は向いていなかったのかもしれない。


「貴女様が不在の内に屋敷から逃げ出したようです」


ヴィクトルは私に背を向けたまま、感情のみえない声でそう言った。


「私が不在の内にって……、なんでまたそんなことを……?」


「分からないはずが無いでしょう? あれだけ酷い仕打ちをメイドにすれば、誰だって逃げたくもなりますよ」


「酷い仕打ち?」


「……まさか、昨日メイドにしたことをもうお忘れになったのですか?」


「…………」


ヴィクトルがこちらを振り返った。凍てつく冷気が彼から放たれ私に向かって吹いてきた気がする。

私は無意識に鳥肌が立った。


ヴィクトルは今怒っている。

彼は感情の乏しい下僕などではない。ただ、いつも主人に対しては喜怒哀楽を隠して見せていないだけなのだ。


でも、困ったな……。


内心私はつぶやいた。

どうやら昨日、ミアはこの馬に蹴られたメイドに何かしら酷いことをしたらしい。

ミアの不在を見計らって逃げ出すなんて、よほどのことがあったのだろう。

悪役令嬢という立場上、使用人にもつらく当たっていたのかもしれない。


馬車の馭者の手の震えもきっとそのためだろう。


「ヴィクトルさん、彼女を医者に見せましょう。屋敷に専属医がいるのでしょう?」


この状態ではいくら自分がミアではないのだから何も知らない。と言ったところで分かってはもらえない。それを言ったら状況が悪くなるだけだろう。

なにより、馬に蹴られて頭から血を流しているメイドのことも心配だ。


私の提案にヴィクトルは目をしばたたいた。


「本気で仰っているのですか!?」


目が疑わしそうに細められる。


「ええ。怪我した人を放ってなんかいられないわ。さあ、早く屋敷へ運んで下さい」


テキパキと指示を出し、馬車の扉を開いて促した。


「馬車にこの者を乗せてもいいのですか?」


相変わらず疑り深いなぁ、とため息がでる。


「一刻を争うのでしょう? 乗るの? 乗らないの!?」


こんなやり取りをしている時間が勿体ない。私はヴィクトルをせっついた。


「乗ります。……では、お言葉に甘えて」


彼は意識の無いメイドを抱き抱えて、素早く馬車に飛び乗った。


私も二人に続いて馬車に乗り込むと、室内をコンコン、と叩いて馭者に出発するように指示した。

すると、馭者がそれを受けて馬に鞭を打った。


「出来るだけ急いでくれる?」


声を大きくして私は馭者に伝えた。

この馬車はもう救急車になったのだ。

患者の命を助ける為に、一分一秒でも急いでもらわないといけない。


そんな私の姿をヴィクトルは探るように見つめていた。

馬車が屋敷の前に着いた。

屋敷の前には老若男女の使用人達がズラリと一列に並んでいた。彼らは私が乗っている馬車に気が付くと、仕事の手を止めてわざわざ外へ出迎えに出てきてくれたらしい。


非情に恐縮です……!


よく分からないが、それがこの屋敷のルールなのだろうか?

彼ら使用人達には本当に頭が下がる思いだった。


馬車の扉が開くと、私はすぐに外へと出た。

私の姿を認めた使用人達は、まるで機械仕掛けの人形のように一斉にサッとお辞儀をした。

彼らを見ると、皆一様に死人のように暗い顔で、若いメイドなどは肩をガタガタ震わせて怯えていた。


これがミアに対する彼らの態度なのだ。

いや違う、使用人達にそうさせているのは、他ならないミア本人なのだ。


悪役令嬢……!!!!


このゲームの中でのミアの役割りは、主人公を虐めて窮地に追い詰め、その結果、主人公と王子様をくっつける脇役キャラ。なのだと簡単に考えていた。

だが、私が知らないだけで実際はもっと細かい悪役令嬢のキャラ設定がされていたのだ。


「ミア様……?」


私の後から馬車から降りてきたヴィクトルが意識の無いメイドを抱えて途方にくれている。


私はハッと我に返った。

こんなことを考えている場合ではなかった。

今はとにかく急いで、怪我をしたメイドを医者に見せないといけない!!


「ミア様、そちらの者は……?」


白髪で恰幅の良い男が戸惑った顔で私の傍へとやって来た。

かっちりとした燕尾服を着込んだ壮年の男でおそらく執事頭なのだろう。

おでこがつるりと光っていて、目は大きく、口に立派な髭をたくわえている。

彼はヴィクトルに抱えられたメイドの顔を見て、うちの使用人だと気がつくと顔色を変えた。


「申し訳ございません! わたくしがもっとしっかり監督していれば……」


「そんなこと、どうでもいいわ。医者はどこ!? 早く彼女を見て貰いたいの!」


私は早口で執事頭に言った。


「ミア様、その者をお医者様に見せるのですか!?」


執事頭はとてつもなく驚いた顔をした。

ギョロッとした大きな目が飛び出さんばかりに見開かれている。


「ええ、そうよ」


「その……、ご冗談か何かなのでしょうか? 貴女様がお生まれになってこれまでの間、使用人を人として気にかけて下さったことなど一度も無かったはずです……」


彼は本当に使用人を医師に見せる気なのかとミアに確認をしているのだ。


「冗談なんて言っていないわ。だから、早く医師を呼んできて。それから怪我をしている彼女をどこに運んだらいい?」


私は彼に構わず急かした。


「それでしたら、屋敷の地下の……」


「一階東の角部屋がよろしいかと思います」


執事頭の前に割り込んでヴィクトルは素早く言った。


「おい、あそこは客間の一つだぞっ!」


小声で執事頭は囁くと、ヴィクトルを睨んだ。


「屋敷の地下は日も当たらないし、じめじめしていてカビ臭い。あんなところにいたら怪我がもっと悪化する」


ヴィクトルは執事頭を前にしても一歩も引かなかった。


「しかし……」


執事頭は納得いかない様子で押し黙ってしまった。


「それなら、一階東の角部屋に彼女を運んでちょうだい。怪我人を悪辣な部屋に運ぶわけにはいかないわ」


私は迷うこと無く彼らに指示を出した。


それを聞いたヴィクトルは一瞬とても嬉しそうな顔をした。だが、執事頭に気付かれる前にそれはすぐに消えた。


ヴィクトルは怪我をしたメイドを急いで屋敷の中へ連れていった。

残された執事頭は、彼の後ろ姿を忌々しげに見つめた。

ミアの下僕といえど、ヴィクトルは人狼属で元奴隷の身分。長年、ウォルター家の執事頭をしてきた彼にとっては目障りな存在なのかもしれない。

他の使用人達が一連のやり取りを見てザワザワし出した。

きっと、ミアの発言に驚いているのだろう。


そうだね、悪役令嬢は使用人のことを人とも思っていないのだろうね。これまでの人達のやり取りでよぉーく分かったわ。

今更ながらに悪役令嬢キャラとは大変なものだと感じた。


「さあ、私達も東の角部屋へ行きましょう。他の人達は自分の仕事に戻って下さい」


私は他の使用人達に指示をすると、煮え切らない顔をした執事頭を引っ張って、ヴィクトルの後を追った。

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