第3話 貴族の屋敷
腰が曲がった老夫がそそくさと私の前に進み出て、馬車の入り口に小さな階段の付いた補助台を置いてくれた。
どうやら老夫は馭者のようだ。
豪華な四輪馬車に気のきく馭者もついて、私はたじろいてしまった。
しかし、それ以上に気になったのはその馭者の腕がブルブルと震えていることだった。
はじめの内は気のせいかと思っていた。だが、気のせいにできるような震えではなかった。
なぜ彼は震えているの……?
寒いから? それとも、病気??
私はぶしつけにも彼の腕をじっと見つめていた。すると、馭者は私の視線に気がついてハッとした。こちらに向ける顔がみるみる青くなっていく。
「も、申し訳ございません! 腕が勝手に震えて……」
馭者は消え入りそうな声で私に謝ると、地面に両膝をついてひれ伏した。
私の方は何がなにやら、ここまで謝られる意味が分からなかった。
その間も小柄な彼の身体は先ほど以上にガクガク震えていた。
これはどうなっているの!?
私は戸惑いがちに馭者の側に立つヴィクトルへと目線を送った。
しかし、彼は馭者の背中を無感情な目で見つめるだけ。
「え、っと……、とにかく土下座なんてやめて下さい!」
「いいえ! そんな訳にはっ」
妙なやり取りだった。
でも馭者が私を恐れている。それだけははっきりと感じた。
私は可哀想になり、ひたすらひれ伏す馭者の前で屈むと彼の腕を取った。
「ひぇえっ!」
彼を立たせようと私は試みたのに、反対に彼は驚きすぎて私の手を振り払った。その反動から海老反りになるとドスンッと尻餅をついてしまった。
「ぐえっ……」
カエルが潰れたような苦悶の声が彼の口から漏れてきた。海老反りの姿勢がかなりキツかったようだ。彼の瞳がうっすら涙を溜めている。
「だ、大丈夫ですか!?」
私は驚いて助け起こそうとした。
「……!!」
すると、馭者は尻餅をついたまま固まっていたのにパッと私から顔を背けた。
無言の拒絶……。それをひしひしと肌で感じ取る。
伸ばしかけていた手を引っ込めると、私は馭者に小さく、「ごめんなさい」と謝った。
私が立ち上がると、ヴィクトルと目と目があった。彼も馭者ほどではなかったが、微かに驚いた顔をしていた。
「どうかしたの……?」
「いえ…………」
ヴィクトルはまたスッと表情を消した。
馭者の態度もヴィクトルの様子も何かおかしい。私は違和感を感じたがそれを聞いたところで二人は答えてくれはしないだろう。
「ミア様、参りましょう」
何事もなかったようにヴィクトルが私に向かって手を差しのべて来た。
冴えざえとした端正な顔にはやはり表情がなく、まるで人形のようだ。
「ええ……」
私は一抹の不安を感じながらも、彼の手を取って馬車へと乗り込んだ。
大昔の乗り物、馬車はさぞや乗り心地が悪いだろうと思っていたが、それほど悪くはなかった。
高級感溢れるシックな内装にお尻の下は丁度よい固さのクッション、乗物酔いしやすい質だったが馬車のスプリングがきいて震動が少なくて安心した。
三十分ぐらい経っただろうか、ようやく、森を抜けると遠くの方に立派な屋敷がそびえ立っているのが見えた。
私はそれを見て思わず、「おお……!」と感嘆の声をあげそうになったが慌てて口をつぐんだ。
「皆、ミア様のお戻りを首を長くして待っております」
正面に座るヴィクトルが仰々しく言った。
「そ、そう」
なんとか平静を保ちつつ、私はこくりと頷いておく。
その屋敷はとにかく横に長かった。広大な土地があるためか見ようによっては砦のように堅牢な造りだ。それに屋敷と言うより、城という方が合っている。
確か英国の人気ドラマで、こんなお城があったなぁ。
そうそう、ダ○ントン・アビーに出てくるお城、ハイ○レイン城にそっくりだ……。
もしかして、あそこがミアのお家!?
馬車窓から外を覗くと、城へと向かう一本道を進んでいた。ミアの家なのは間違いないだろう。
私はその財力の莫大さに漠然とおののいていた。
どんどん城は近付いてくる。
私は早くヴィクトルに自分がミアではないことと、ここで働かせて欲しいことの二つを伝えないとと焦っていた。
しかし、正面のヴィクトルはなぜか先程から瞳を固く閉じており、声をかけられるような雰囲気ではなかった。
……どうしよう、もうお城に着いちゃうのに……。
ヴィクトルの様子を上目遣いで窺う。
窓から差し込むささやかな月明かりが彼の端正な半顔を静かに照らしている。人形のような鉄仮面には相変わらず人を拒絶するオーラを醸し出していた。
「ヴ、ヴィクトルさん……」
「…………」
私は小さな声で彼に声をかけた。だが、ヴィクトルはピクリとも反応を示さなかった。
声が小さすぎて聞こえなかったのか? それとも疲れて眠っているのだろうか?
じっと狭い空間で彼の反応を待つ。
その間にも城の鉄門を馬車が颯爽とくぐり抜けていく。
私の焦りは頂点に達した。
手の平に大量に汗をかいている。思わずスカートをぎっと握ってそのベタつく水分を拭った。
もう、猶予はそれ程ない!
大きく息を吸い込んで下腹に力を込める。
「すみません、ヴィクトルさん!」
「どうして、先程は倒れた馭者に手を差しのべたのですか?」
「へっ?」
彼は疲れて眠っているわけではなかった。
鋭い眼差しが私を探るように向けられている。
ヴィクトルは目を閉じている間、寝たフリをして私の様子を窺っていたのだ。
う、疑われている!?
でも、これはちょうど正体をバラす絶好のチャンスだ。
「実はですね、私はミアじゃないんです……」
勇気を振り絞り私は彼にそのことを伝えた。
やっと、言えた……!!
私はその達成感につかの間満足した。
彼はそれを聞くと沈黙した。彼の野生の動物のような鋭い瞳に少しだけ動揺の色が浮かんだ。しかし、それはすぐに消え失せて憎々しげに唇の端を吊り上げた。
「私をからかって遊んでいるのですか? 貴女はどこからどう見ても、ミア・フォルトナー様です」
「えっとですね、私はミアに似ているかもしれませんが、ミアではなくてですね……」
「似ているなんて、馬鹿なことを仰いますね? 他人のそら似どころのレベルではないでしょうに。そんな嘘をつくぐらいなら、生き別れた双子の姉妹と言われた方がまだマシです!」
ヴィクトルの剣幕はどんどんひどくなっていった。
私が彼を馬鹿にして遊んでいると本気で思われているようだ。
「からかってなんていません! 信じられないかもしれませんが」
私は彼に信じてもらいたくて必死に言い募った。
「ハッ、馬鹿なこと……」
彼は頭を軽く振って否定してきた。当然ながらそう易々とは信じてくれそうにない。
ーーヒヒィィン……!!!!
すると、突然馬の嘶きが耳をつんざした。
馬車が急に止まって、私の身体は前のめりに倒れ込んだ。
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