第2話 私は何者!?
「そこで、何をしてるのです?」
突然、背後から声をかけられて私は飛び上がらんばかりに驚いた。
足音のする方角から姿が見えないようにわざわざ茂みに隠れたというのに、なぜかその足音の張本人はあっさりと私を見つけてしまった。
「!!!!」
声も出せずに固まっている私に、その人物は手に持っていたランタンを自分の顔の近くまで掲げた。すると、若い男の顔が暗闇にぼんやりと浮かび上がった。
「えっ…………」
精悍な顔立ちだった。褐色の肌に闇に溶け込む黒髪、切れ長の目元は何人たりとも寄せ付けない冷たさが漂っていた。
茫然と見つめる私に彼は感情のうかがえない人形のような顔を向けてくる。
私はこの男を知っている。ゲームにちょこっとだけ出てくる目立たないキャラ。
悪役令嬢ミアの下僕で、異国から連れてこられた奴隷だ。
「ミアお嬢様、屋敷から突然いなくなって、探しましたよ」
彼は私に向かってそう声をかけた。
「ミアお嬢様??」
私は彼の言葉をおうむ返しした。
なぜ彼は私に向かってミアお嬢様と呼ぶのだろう?
ミアは今はもう土の中に眠っているはずなのに……。
私の戸惑う様子を勘違いしたのか、男は面倒臭そうなため息をそっとついた。
「屋敷の者を困らせるのは大概にして下さい。森には狂暴な獣もいますし、恐ろしい魔女も棲んでいる。襲われたらどうするのです?」
「ご、ごめんなさい……」
私は反射的に彼に謝っていた。
すると、男の顔にはじめて表情らしきものが浮かんだ。
それはあきらかに戸惑った顔だった。それもすぐに打ち消されたが……。
「貴女様の口から謝罪の言葉が出てくるなんて、今日はどうかしたのですか?」
「え? だって、あなたに心配をかけたみたいだから……」
「……森で頭でもぶつけましたか? それとも、魔女に出くわして性悪が良くなる魔法でもかけられましたか??」
「ど、どういうこと?」
真剣な顔でそんなことを言われて、私は意味が分からなかった。
それではまるで、私が無鉄砲で屋敷を飛び出し、彼ら屋敷の人達を困らせる常習犯で、尚且、謝罪の一つも言えない高慢ちきな女みたいだ。
「とにかく、こんな所にいつまでもいてはいけません。屋敷に帰りましょう」
彼はそう言って私の前に手を差し出してきた。
私はその手をしげしげと眺めた。
男性からこんな風に手を差し出されたことなど生まれてこのかたないので、どうすべきか判断に一瞬迷った。
「どうかされましたか、ミアお嬢様?」
彼は怪訝な顔をした。
やっぱり彼は私を死んだミアと混同している……。一体、なぜなのだろう……?
とても不可解なことだった。
「あ、足が痺れてしまって動けないの……」
私はなんとか言い訳をしてみた。
実際に長くしゃがみ過ぎていて、地のめぐりが悪く両ふくらはぎがじんじんと痺れてきていた。
「そうでしたか。考えが及ばず申し訳ございません。それでは私の背に身体をお預け下さい。馬車まで運びます」
そう言って彼は私の目の前で背を向けると腰を下ろした。
そして、「さあ、どうぞ」と促してくる。
さあ、どうぞ。って……(汗)
「い、いえ、結構です。しばらく休んでいたら、痺れはなくなって歩けますから……」
子供の頃ならまだしも、大人になってからおんぶされた経験など皆無だ。それも若い男性になんて考えただけでも、顔から火がでそうだった。
状況が飲み込めないが、今は面倒なことに巻き込まれたくはない。
私は頑なにおんぶを辞退し倒した。
「強情なのは相変わらずですね、安心いたしました」
どうやら彼はおんぶをすることを諦めてくれたようだった。
ホッと安堵の息を吐いたその時、私の身体は宙に浮いていた。
「ひゃあッ!」
私は無意識に声を上げていた。
彼は軽々と私の身体を持ち上げると、自分の胸に引き寄せた。
それは間違いなくお姫様抱っこ、というやつだった。
「急ぎましょう。この辺りの森には人肉を好む狼が棲んでいます。彼らの縄張りに長くいると危険です」
「く、詳しいのね……」
お姫様抱っこにドギマギしながらも私は彼に言った。
「これでも私も狼のはしくれですから」
「へっ?」
「ミア様もとうにご存知でしょう? 私は異国民で奴隷の人狼ですから」
「じ、人狼……」
私は知らぬ間にごくり、と唾を飲み込んだ。
悪役令嬢ミアの下僕は、人狼だったのか……。このゲームってそんな複雑な設定してあったっけ??
私は首を捻って思い出そうとしたが、どんなに頭を働かせても思い出せそうになかった。
そんなミアの様子を下僕はじっと感情のうかがえない顔で観察していた。
その瞳がほんの一瞬、妖しく金色に輝いたのを私は気付かずにいた。
おぼろ気にゲーム中のミアの下僕のことを思い出した。
彼の名前は、「ヴィクトル」
彼は下僕をしているから異国民の奴隷なのは分かる。しかし、人狼族だったとは知らなかった。
いつも悪役令嬢ミアの後ろに静かに控えていて、彼女が目障りな他人を陥れたり、虐げたりするのをただ見ているだけで決して止めることはしない。
最終的にミアはそれまでの悪行の数々が国王陛下の耳にまで入り、裁判にかけられ、死刑を言い渡される。
(自業自得だ。)
そして下僕のヴィクトルはミアの死を見届けた後、どこかへ姿をくらまして彼らの登場はそこで終わりだ。
(おそらく、ヴィクトルは主人の巻きぞいを食らうのが恐くて逃げたのだろう。と私は思っている。)
とにかく、情報が極端に少なすぎる……!
名前とミアとの関係性が分かったところで、今の私にはどうしようもなかった。
それより、この状況はいつまで続くのだろう?
人生初のお姫様抱っこ……は……。
こんな時、高貴な生まれのお姫様だったら、どんな顔をしているの?
……澄ました顔? 堂々とした顔?
それとも、悦に入ったうっとりした顔?
私の視線の斜め上にキリリとした男前がいる。スッとした鼻筋、彫りの深い目元は確かに異国の血筋を感じた。
そして、唇は十分な厚みがあって……。
んん? 何のための十分な厚み?
それって……キ…………、
いやぁーーーーっ!!
これは見ているだけでも罪っ!
うぶな私は色んな妄想が働いて、頭がプシューって噴火しそうだった。
とにかく、意識を別の方向へ向けよう!
「えっと、ヴィクトル……さん?」
私は恐々と彼に向かって呼びかけた。
「はい?」
耳に心地よい低音ボイスが返ってくる。
それにしても悪役令嬢ミアの下僕って、脇役の更に脇なのにこんなに良い男で良いのだろうか?
「そろそろ下ろして貰えませんか? もう足も痺れていないし、自分で歩けるから……」
これ以上こうしていたら、私の心臓は高速で働きすぎショートしてしまいそうだ。
「……本当に今日のミア様はいつもと様子が違いますね。いつもなら意地でも自分の足で歩きたがらないし、私のことをヴィクトルさんなんて呼ばないですし」
いや、だって私はミアじゃないですし!
「そ、そうかしら……? オホホホ……」
適当に誤魔化すしかない。
だって、このゲームの世界を実体験するのは初めてなんだもん。手探りで慎重にいくしかないでしょう?
「そんなに仰るなら、仕方がありませんね」
ヴィクトルは私をようやく地面に下ろしてくれた。
「あ、ありがとう」
自分の足で歩く安心感……。私にはこっちの方がずっといい。
お姫様抱っこはやっぱり高貴な生まれのお姫様がされるものだ。
今まで忙しく働いていた私の心臓はひとまず落ち着きを取り戻してくれた。
しばらくヴィクトルを先頭に森の中を歩いた。森の暗闇も彼の前では無意味のようだった。ランタンを持ってはいたが、その灯りを頼りにしなくても人狼は暗い森でもすいすい歩いていく。
「あと少しで、馬車を停めてある場所に着きます」
「はい」
私はこの先のことを考えていた。
ヴィクトルについていけば、この森は抜けることが出来そうだった。
馬車に乗せて貰ったら、ミアのお屋敷で雑用でもよいので働かせて貰えないかと頼んでみよう。
前の職業はホテルでフロントを担っていたのだ、やる気さえあればなんとかなるだろう。
ホテル業務は表向きの優雅な雰囲気とは打って変わって、裏側はなかなかに精神的にも肉体的にもハードな仕事だ。
接客業の中では上位ランクになる花形だが、様々なお客様を対応するため気苦労も多い。
公爵家がどんな人々の集まりなのかまだ分からないが、まずは住みかと食べ物は最優先に確保すべきだ。お屋敷でお貴族様やメイド達に多少いじめられようが、生活できるお金が貯まるまでは我慢するしかないだろう。
私は腹をくくった。
「なんでも、どんと来いよ!」
きっと、私なら大丈夫。このゲーム世界でもやっていけるはず!
現世では二十七歳という若さで早死にしちゃったけどね……!
「急にどうされました? ミア様??」
ヴィクトルはいつの間にか豪華な四輪馬車の前で待っていた。そして、怪訝な顔をして立ち止まっている私を見つめていた。
「いいえ、何でもありません!」
しまった! 私がミアじゃないと分かったら、馬車に乗せて貰えないかもしれない。
ここは屋敷につくまで大人しくミアっぽくしていよう。
ヴィクトルさんには申し訳ないけれど……。
私は彼を騙している負い目から自然と下を向いていた。
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