第10話 こぼれたミルク
離れを開けた途端感じたのは、視覚的には黒い靄だ。
ぼんやりした黒いモヤモヤが無数に浮いてるのを視認した。
わたしには元々霊感はない。他人に見えないものが見え出したのは魔力を確認したあの時以来。今回見えたモヤモヤは、あの日アリアの魔力で押し出されたわたしの病魔よりだいぶ薄い。
けれど。
そこに触れた途端、全てを理解する。
「ねえ、リン。もしかしてあなた、幽霊とかも見えてるの?」
やっぱりアリアは勘がいい。
在らぬ場所を見つめるわたしに察した。
うーん、でもこれ・・・魂とか言うより・・・
「幽霊、ではないよ、たぶん。魂じゃなくて・・・意識とか、感情とか・・・」
所謂残留思念である。
この部屋で、そこがそもそもの間違いだったがあの下衆男を好きになって、ポイ捨てされた女性達の思い。
恐怖や悲しみ、後悔に怒り。切り離される家族への思慕に、一時は信じた男に裏切られた絶望感。
数人分が折り重なり、訴えるから気分が悪い。
しかも残留思念ゆえ、愛されて幸せで,嬉しかった思いまで混ざるから余計辛いよ。
ああ、これならいくら音痴のわたしにもわかる。たぶんこれが『愛』で『恋』だ。
気持ちが千々に乱れ、腹が立って仕方がなかった。この男はクズだ。許せないレベルの最悪のクズ。
このままだと腹立ち紛れで殺してしまう。
苛立ちマックス、暴発寸前のわたしに、新しいモヤモヤがそっと触れた。
この神タイミングは、そこに魂はないとはいえ犠牲者達の優しさかもしれない。
「!?」
刺激的が過ぎる。一瞬で耳まで真っ赤になったよ。
今わたしに見えている世界は、厳密には『見えている』とは違う。情報の世界というか、映像とも違う感覚で理解していると言うか・・・
なかなか説明は難しい。
その漠然とした感覚でいろいろ伝わってしまった。
止めて、マジで。
恋愛経験なしには辛い。
いや、知識はあるよ、15だし。ここは男の部屋だし、そういうこともしたよね、たぶん。想像つくよ、一応さ・・・
でも。
痛かったけど嬉しい、とか、マジ止めて。
「?」
「・・・」
「どしたの?」
「いや・・・」
「?」
「痛かったってさ。」
「え?」
「でも大好きだってさ。」
馬鹿過ぎて、可哀そう過ぎて、泣けてくるよ。
少しだけ気持ちが落ち着いて相棒の顔を見てみれば、アリアも耳までのぼせている。
反応に安心した。
やっぱり最後で固いというか、最後の最後で運が良い。
「アリアはここには来なかったの?」
「来るわけないよ、胡散臭い。」
「それは重畳。」
今元彼・・・というのもアリアに悪いな、超絶下衆の馬鹿男は、わたしに殴れら虫の息だ。顔面粉砕、呼吸も浅い。眼の光も消えかけている。
でも。
やっぱりこの下衆野郎は許せない。
殺さない程度に、しかし生きていたくないと願う程度に後悔させたい。
動物の方が優しくて利口だ。ここまで馬鹿だと反省させるのはまず無理だから、徹底的に後悔させたい。
「アリア、その馬鹿、治して。」
「え、本気で?」
「じゃないとすぐに殺しちゃうよ。殺したら楽に終わらせることになるし、絶対楽には終わらせない。」
「・・・」
「ここに残る気持ちのためにも、死にたくなるほど後悔させる!!」
わたしの決意を受けて、苦笑いのアリアの手から緑の魔力が放たれる。下衆野郎の体を包み、一瞬で傷1つなく回復したよ。
えっ?ちょっと待って!?回復魔法ってこんなに強烈なの!?
砕かれた顔面も戻っている。
いいの、これ?
凄過ぎない?
「えっ!?なんで!?」
驚いたのは下衆も同じで、自分が死にかけていた恐怖も痛みも覚えているのに、現状にそぐわなくて戸惑っている。
喋らせるのも面倒だから、今度は砕かず、顎を外す。
「あーっ」とか、「うーっ」しか言えなくなった。
両肩、両肘、両股関節の、脱臼フルコースでもてなして、時々気まぐれで骨も折る。
で、回復魔法。
で、全快、振出しに戻る。
これを都合5回繰り返したら、口が利ける一瞬のスキをつき、
「殺してくれ」と、下衆が言った。
本当に、どこまでも甘ったれのクズ男だ。
「嫌だよ」と肘をゴキン。
「あんたが捨てた女の子達、あんたに『止めて』って頼まなかった?」
肩もゴッキン。
「あんたはその願いを聞いた?それでも殺した。なんでそんな馬鹿野郎の、願いを叶えてくれると思うの?」
逆の肩と肘も外す。
「俺は殺していない!!捨てただけだ!!手を下しちゃいない!!」
「うん。だから余計ズルい。手を下さないから無罪だなんて、ふざけた責任逃れは許さない。」
「いや、でも・・・」
「結果なんてわかり切っていたでしょう?」
両股関節を外すつもりで、苛立ちでブレた。
「うぎゃぁーっ!!」
下衆野郎、絶叫。
思い切り折れたわ。
さっきから、記憶達が騒がしい。そこに魂はないし、意志なんて存在しないはずが、必死で繰り返し伝える感情は愛しかった、恋しかった、愛していた部分だ。
彼女達は間違いなく亡くなっている。壁の外の世界に放置されて、生き残るのは難しい。
生き残れるのはわたしと出会った、アリアのみの奇跡だった。
死んでなお優しい、彼女達はいい子なんだと思う。この下衆野郎に騙されたことのみが愚かで、けれどそれは結果が大きく違ったけれど、今わたしが守ろうとするアリアとさほど変わらない。
死者に罪はない。そろそろ願いを聞き届けよう。
「これ以上は面倒だし、あんたに2つ、選択肢をあげる。」
「・・・?」
「1つ目はあんたが他人にやったように、壁の外に放置する。お友達もつけてあげるし、体は治してからにするけど、壁の外で生き残れるかやってみるといいよ、1度。」
「うう、そんな・・・」
「2つ目は自分のやったことを認め、掴まって処罰を受ける。この町、警察っていうか保安官みたいなの、いるの?」
「いるよ。」
アリアによると治安維持のための役人がいるそうで、最悪死刑、有力者の息子ということを勘案すると、一生涯の労働奴隷なる懲役刑だ。
「なら、まともな裁きを受ける。この2つ以外は許さないし、どうしてもなら拷問(って言っちゃったよ)、続けるけど。」
選択を迫ると、下衆野郎はボロボロと涙を流しながら、
「掴まらせて下さい」と言った。
へー。一生涯奴隷でも、それでも生きていたいんだ。そんなに外は嫌なんだ。
他人には平気でできたくせにさ。
本当にどうしようもない甘ったれだ。
両親が助けてくれるかもなんて、さらに都合のいいことを考えていそうで、どこまでもズルく腐った男をもう少し殴りたくなったが・・・
犠牲者達の優しさで思い止まる。
たぶん性根が腐ったこいつは、どうやっても反省しない。最初からわかっていた。
こぼれたミルクは戻せない。
出来たら助けてあげたかったと胸の中で呟いてから、もう治してやる意味もないから、重傷の下衆野郎を引きずって中央広場に向かった。
狂ったように泣き叫んでいたよ。
近くに役人の詰め所もあるらしい。
時刻は真夜中になっていた。
「あれ?」
「なんで?」
真夜中なのに、何故か広場には人だかりが出来ていて・・・
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