さよならを忘れて - A spark neglected makes a mighty fire. -

四谷軒

01 地獄

A spark neglected makes a mighty fire.


Robert Herrick







 若い托鉢僧たくはつそう、重八は途方に暮れていた。

 ある日、墨染のごろもの重八が托鉢から帰って来てみると、寺が焼けていたのだ。

 ただ焼けていたのではない。


 灰燼かいじんす。


 その言葉がこれほど似合うことは無い――寺であった建物が焼け落ち崩れ落ち、ぶすぶすという音を立てて、重八の前に転がっているのだ。

 そう、それはまるで「転がっている」と言うにふさわしい、破壊の暴力によって薙ぎ倒されたかたちに見えた。

 むろん、人の姿ももなく、すべてが――すべてが焼け焦げた炭屑と化していた。

 ただ――本尊の青銅の仏像のみ、かろうじてその形をとどめていた。


 背後から、悲鳴が届く。

 小さく、かすかな。


 重八が振り向くと、近くの村から煙が上がっていた。

 

「もしや、賊が」


 重八が錫杖しゃくじょうを手に、駆ける。


 この時代、この国は――。

 まつりごとは乱れ、賊が横行し、飢饉が起き、疫病が流行っていた。


「もしや、もしや」


 駆けた先は。

 そこには――「地獄」が広がっていた。


 家は焼かれ。

 米は奪われ。

 牛は盗られ。

 男は殺され。

 女はおかされ。

 子どもは。

 子どもは……。


「おい! おい!」


 重八は、村の入り口に横たわっている一人の童女が、虫の息ながらも、微かに呼吸していることを発見した。

 その童女は袈裟斬りに斬られていた。


「おい! 拙僧だ! 重八だ! 昨日、焼餅を分けてもらった重八だ!」


「お、ぼう、さん……」


「しっかりしろ!」


「かあ、さん、は……」


 重八があたりを見回すと、姦されたと思しき若い女性が、苦悶の表情を浮かべて死んでいた。

 重八はひとつ頭を振る。


「死んだ」


「そ、う」


「おい、しっかりしろ! おい……」


「かあ、さん、に、さよ、なら、を……」


「おい待て! 話はまだ半分……」


 童女は頭をがくりと落とすと、そのまま動かなくなった。

 重八は地面にひとつ蹴りをくれた。


「弥勒さま。これが末世か? あまりと言えばあまりではないか」


 法体ほったいの重八――実際に僧侶だが――にしては、罪深い台詞である。

 重八が涙を拭うと、ふと、視線の先に旗が見えた。


「あの旗」


 遠目だが、よく分かる色。

 少なくともかたどられた日月じつげつは、よく見える。


「国の……」


 賊ではなかった。

 よりによって、国が。

 そういえば、賊を捕えよと命じられた将軍が近くまで来ていて、近在の村や寺を襲っては、「賊を成敗した」と都に知らせ、褒賞を得ていると聞く。

 そいつは寺を焼き、そのとばかりにこの村を焼いて、奪って、殺して、姦して……。


「これが……これが……貧しいながらも、生きてきたおれたちに……民草に与える、国の御沙汰だとでもいうのかッ」


 激昂する重八。

 しかし不幸な母子の姿が目に入ると、ゆっくりと、穴を掘り始めた。

 せめて、埋葬を。

 そして、それが。


「拙僧の……いや、おれの最後の坊主としての手向けだ」


 奇妙な予感があった。

 生きるための方便として、僧侶となった。

 僧侶の暮らしは決して楽なものではなかった。

 むしろ、先達からのいじめや酷使もあり、きついものであった。

 でも、それは方便。

 本来ではない、方便なのだ。

 そう……本来は。

 本来の、重八は。


「……ひとつ、占ってみるか」


 墓前にて別れを告げることも忘れ、いつの間にやら戻って来た寺の焼け跡。

 その中に佇立ちょりつする焼け焦げた青銅の仏像が、鈍い光を放っていた。

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