第11話 すれ違うままに

 心結と友恵は、怜に連れられて大学の地下に造られたカフェテリアにやって来た。カフェテリアは学祭当日であるため休業日だが、席は誰でも利用出来る。

 まばらに埋まっている店内の奥にある四人掛けのテーブルを選び、怜が二人を手招く。彼女らが座ったのを確認して、怜は「ちょっと待ってて」と言い置くと店を出て行った。


「……びっくりした」

「……まさか、レイさんに会えるとは思わなかったな」


 思いがけない事態に当惑していた心結は、同じく目を瞬かせている友恵と顔を見合わせる。二人は隣同士に腰掛け、とりあえず怜を待つことにした。

 心結は落ち着かない心地で、きょろきょろとカフェテリア内を見回した。彼女ら以外の店内にいる人は、大半がこの大学の学生だろう。その他は、学祭のために来た外部の人間に見える。

 そんな中、あるグループの女子大生たちがこちらを見ながらひそひそと話しているのが目に入った。心結が偶然そちらに目を向けた時、彼女らが目を逸らしたのが見付けた原因だ。


(何……?)

「何あれ? 感じ悪い」


 心結が何を見ているのか気付いた友恵が、眉間にしわを寄せる。明らかに自分たちより年下の少女たちに睨まれて、女子大生たちは決まりの悪そうな顔でそそくさと何処かへ行ってしまった。

 彼女らと入れ替わりで、怜が店内に入って来る。彼は女子大生たちに一瞥いちべつをくれることもなく、まっすぐに心結たちの所までやって来た。

 怜の手元には、自動販売機で買ってきたらしいジュースの缶が二つあった。


「何が良いかわからなかったんだけど。りんごとオレンジ、どっちか選んでくれ」

「えっ、あの。払いますよ、お金!」

「良いよ。これでもバイトしてるから、大丈夫。情報料だとでも思ってくれれば良い」

「あ、ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 心結の申し出をやんわりと断り、怜はトンとテーブルの上に缶を置く。

 このまま固辞するのも申し訳ない。心結と友恵は目配せし合い、心結がりんご、友恵がオレンジを選んだ。

 二人が遠慮がちながらもジュースを選んで一口飲んだのを見て、怜はわずかに目元を緩ませる。自分もリュックから缶コーヒーを取り出すと、手元でもてあそんでから開けた。


「……それで、きみたちが響を探してるって話だけど、その理由を訊いても?」

「あの、その前に」

「何?」


 怜が首を傾げた。彼の視線の先にいるのは、真剣な顔をした友恵だ。


「霧島さんは、Re,starTの『レイ』さんですか?」

「その名前、久し振りに聞いたな。きみの言う通りだよ。だけど」

「だったら、話は早いです。ね、心結?」


 友恵に背中を軽く叩かれ、心結は「うん」と神妙に頷いた。憧れのバンドの元メンバーに会えたのは心弾む出来事だが、今は無邪気に喜んでいる場合ではない。

 気を引き締め、まっすぐに怜の目を見る。


「わたし、花岡心結といいます。こっちは、親友の合澤友恵。……わたしはRe,starTの大ファンなんですけど、ずっとバンドの解散理由がわかりませんでした」

「……続けて」

「はい。近所にカラオケボックスがあるんですが、そこで毎週水曜日だけ聞こえる歌声がありました。その声の主が、最近響さんだと知ったんです」

「……あいつ、歌うことはやめられなかったのか」

「え?」


 ぼそりと呟かれた言葉は、わずかに安堵を含んでいる。怜は独り言を誤魔化すように空咳をすると、心結に目を向けた。


「──コホン。会ったのなら、ここに探しに来る必要もないだろう? 何かあったのか?」

「響さん、ぱったりとカラオケボックスに来なくなってしまったんです。正田さんも心配なさっていますし、わたしももう一度きちんと話したくて。正田さんに丁度学祭があるから、行ってみてはと提案されました」

「なるほどね」


 肩を竦め、怜はコーヒーを一口飲み込んだ。それから目を臥せ、考えをまとめたらしく再び目を開ける。


「……あいつは、きみというファンに会って動揺したんだろう。Re,starTなんて何年も前に解散したバンド、覚えている人がいて僕も驚いてるくらいだからね」

「『歌うことに飢えていた』と響さんは言っていました。今思えば、響さんの歌は必死だった気がします。それに、きっと来なくなったのはわたしの言ったことも原因かと……」

「何か言ったのか?」


 怜に尋ねられ、心結は頷く。そして、「音楽に未練があるのなら、もう一度」とバンド活動の再開を提案したのだと言った。


「でも、響さんには『もう一度バンドを組むことはないよ』と撥ね付けられてしまいましたが」

「……バンド活動を止めた原因は、あいつの心情の変化だから。──あいつは、

「霧島さん……」

「怜で良いよ。僕も、きみたちを名前で呼ばせてもらうから」


 怜は冷めながらも寂しさをにじませた目を臥せ、それから心結を見直す。


「僕は、響の歌を信じている。だけどそれに対し、響自身が向き合わないのなら……僕らがもう一度交わることはないだろう」

「……怜さんは、響さんのことが本当に好きなんですね」

「……。止めてくれる? なんか、いかがわしく聞こえる」

「え? あ、そういう意味じゃなくてっ」


 ジト目で見られ、心結は自分が失言したかと慌てた。わたわたと手をバタつかせる心結は、友恵に幼子を見るような優しい目で見られていることに気付かない。

 怜もまた、心結の意図が別のところにあることは百も承知だ。ただ、少しからかってみたかっただけで。慌てふためく心結を見て、初めて怜は微笑んだ。


「……何だか、響がきみと話してみたくなった理由が少しだけ、わかった気がする」

「怜さん?」


 首を傾げた心結に答えず、怜はトートバッグからメモ帳とペンを取り出した。シンプルな白地に青い下線の書かれたメモに、何かを書き付ける。そして続けて出した名刺入れの中身と共に、心結に差し出す。


「これ、僕の名刺とメッセージアプリのアカウント」

「……『早苗塚大学院社会学部心理学Ⅱ研究室所属』?」

「今は、大学院で音楽と人の心の関係を研究しているんだ。それから、これも渡しておくよ」

「これは?」


 渡されたのは、怜のものとは別の名刺。そこに書かれた名前を見て、心結は「あっ」と声をあげた。そしてすぐ、ここが公共の場だと思い出して手のひらで口を塞ぐ。

 心結の仕草に何かを察したのか、友恵が彼女の手元に身を乗り出した。


「城崎、順平……」

「そう。元Re,starTのドラマー、ジュンペイ先輩。もしかしたら、あの人の方が響のことを知っているかもしれないから」


 現在、順平はただ一人音楽活動を続けているという。フリーのドラマーとして、各地で引っ張りだこになる程の腕前なのだ、と怜は目元を弛めた。


「僕の方でも、響と会えたら連絡するよ。後で、アカウント送ってくれるか?」

「わ、わかりました! ……でも、響さんもここの学生ですよね?」

「……僕は、避けられているから」

「どうして」

「さあね。……ただ、僕があいつを許せないから気を遣われるんだろう」


 ふっと鼻で笑い、怜は「またな。心結、友恵」と言って席を立った。

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