第8話 心ここにあらず

 響を新たなメンバーに加え、Re,starTは地道なライブ活動を続けた。時にはいつものバーで、時には路上ライブを決行し、時には地元の商店街で。

 そうした努力の賜物か、一年経つ頃には地元で知らない者はいない程の有名バンドになっていた。


(一度テレビで取り上げられて、それが事務所の目に止まって。……デビューの知らせを聞いた時には、本当に嬉しかったな)


 一人暮らし自宅に帰り、夕食もそこそこに風呂に入った。そしてベッドに倒れ込むと、響の頭の中にはまた記憶が引っ張り出される。

 連絡を聞いたのは、四人でスタジオを借りて練習していたその休憩時間。七瀬のスマホが音を鳴らした時、全員が丁度そこにいた。

 いつかはデビューを。そう言われていたこともあったが、響たちはすぐだとは思っていなかった。にもかかわらず、事務所に所属して半年後のデビュー。喜ばない方がどうかしている。


(正田さんも、凄く喜んでくれた。そりゃあいつらと喧嘩することもあったけど、仲直りは出来てたのにな)


 性格も考え方も違えば、ぶつかって当然だ。何度もぶつかり解散の危機に陥りながらも、四人は互いを信頼してそこに立っていたのに。


「……止めよう、こんなこと考えるのは。もう、終わったことだ」


 ごろん、と寝返りを打つ。響はため息をつくと、睡魔に身を任せて夢に沈んだ。


 ♪♪♪


 響と初めてきちんと話した翌日、心結は高校で何度も先生に注意されていた。授業中にぼんやりと窓の外を見詰めていることが多く、名を呼ばれても返事をしなかったのだ。

 放課後、心結は担任教師に呼ばれて職員室に赴いた。クラスの提出物を出すついでだ。


「珍しいな、花岡がそんな風にぼんやりしているのは。寝不足か?」

「いえ……。大丈夫です、先生」

「そうか。先生に話せなくても、合澤とかには話すんだぞ? 誰かに話を聞いてもらうってのは、意外と効果があるもんだ」

「はい、ありがとうございます」


 担任教師にも案じられ、心結は苦笑した。流石に「以前好きだったバンドのボーカルと会えて、しかもその人は近くの大学に通う学生で。でも音楽を諦めているんです」なんて、現実味のない話だろう。しかも、どうやったら彼にまた音楽と向き合ってもらえるかと悩んでいるなんて。

 心結が教室に戻ると、部活に行っただろうと思っていた友恵が待っていてくれた。夕焼けに徐々に覆われ始めた空が見える教室で、心結に気付いた友恵が軽く手を挙げる。


「お帰り、心結」

「ただいま。ゆうちゃん、部活は?」

「練習あるけど、心結と話したかったから待ってた。少しだけ話したら行くよ」


 友恵は、バトミントン部に所属している。次の大会が夏にあるらしく、今は練習最盛期だ。ラケットの入ったケースを持って見せ、友恵は微笑んだ。

 桜咲く春が終わりを迎え、現在は初夏に差し掛かろうかという季節。少しだけ暑さをはらんだ風に髪を遊ばせ、心結は先生に呼び出された経緯を口にした。

 すると、友恵は「でしょうね」と肩を竦める。


「心結、今日は朝から心ここにあらずだったもん。先生も流石におかしいと思ったんでしょ」

「……そんなに?」

「そんなに。たぶんだけど、今日の昼に何を食べたかも覚えていないんじゃない?」

「そんなこと……うん、ある」


 確かに、弁当食べたはずなのにおかずの記憶がない。弁当箱は空になっているし、空腹も満たされている。それなのに、と心結は考え込んでしまった。

 そんな親友を見て、友恵は苦笑する。頬杖をついた右手と反対の手を挙げ、心結の頭をくしゃりと撫でた。


「大方、南条さんのことでも考えてたんでしょ」

「うっ」

「わかりやすいなぁ」


 図星を突かれ、心結が息を詰める。カッと顔を赤くして、何か言おうとしているが、声にはならない。


「わ、わたしは別にっ。そういう訳じゃなくて」

「わかったから、慣れないツンデレしても誤魔化されないよ?」

「ツンデレ違う!」


 売り言葉に買い言葉ではないが、ああ言えばこう言う心結のそれは照れ隠しだ。友恵はそれをわか。っているから「はいはい」と彼女をなだめ、それから席を立った。


「来週の水曜日、またカラオケボックスに行ってみようよ。毎週来てるなら、来るんじゃないかな? ……あの人、口では色々言うけど、絶対歌うの好きだもん」

「うん、そうだよね。わたし、あの人の声を聞いてると幸せな気持ちになるんだ。本当に歌が好きだから、その気持ちが伝わってくるんだね」

「……私としては、親友の心結を泣かせた不届き者だけどね」

「何か言った?」

「んーん。何でもないよ」


 心結に聞き返され、友恵は首を横に振った。

 教室の掛け時計を見れば、もう練習が始まっている。これ以上の長居は出来ないようだ。

 友恵は鞄を持ち、ラケットのケースを肩にかけて手を振った。


「じゃ、行ってくるね」

「うん、また明日」

「また明日ね」


 友恵を見送り、心結は軽く息をついた。自分もそろそろ帰らなければ。鞄を肩にかけ、赤く染まった教室を後にする。

 帰り道を歩き、気が付けば馴染みのカラオケボックスの前に立っていた。今日は木曜日であり、開いているはずもない。


「……帰ろ。宿題あるし」


 しかし次週の水曜日、カラオケボックスに響は現れなかった。

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