第7話 新たなRe,starT

 爆音を響かせたかと思えば、次の曲は泣きたくなるような静かな音楽。そして、心躍るポップな曲調へ。順平たちのバンドは歌こそないものの、一気に観客を自分たちの世界へかっさらった。

 ダイナミックなドラムが鳴り響き、それに負けない激しさと繊細さを併せ持つギターが加わる。更にそれらを支え包み込み、ベースが空間を震わせた。

 快活な順平、冷静沈着な怜、そして温和な七瀬。三人が奏でる予想外の旋律は、観客を音の向こう側へといざなって行く。


(凄い……)


 響もまた、音楽に惹き込まれて言葉を失った一人だった。今や店内は『Re,starT』に支配され、彼ら三人の独壇場。

 どくんどくんと胸が高鳴る響は、同時に音に焦がれる自分に気付く。

 ――自分も、彼らと共に音を奏でたい。歌い、人々に幸せを届けたい。

 何の邪心もなく、ただ純粋にそう思った。そして、思うと同時に心を決めていた。


 演奏が終わり、客と出演者との語らいも一段落した頃。順平のおごりだというカツサンドを食べ終わった響は、隣の椅子に人がかけた音を聞いて顔を上げた。


「ここのカツサンド、美味いだろ?」

「順平さん。はい、美味いですね」


 素直に頷くと、カウンターの奥にいた男性が頬を緩ませる。順平によれば、四十位に見える彼がこの店のマスターらしい。

 改めてサクサクの衣とジューシーな肉、そして柔らかいパンのお礼を言った響に、順平は「どうだ?」と尋ねた。


「どう、とは?」

「だから、オレたちと一緒にバンドやろうぜって誘いのことだよ」

「それは……」

「ジュン。そうやってガツガツ行くから、怖いって言われるんだろ?」


 苦笑を滲ませた声が降る。「ジュン」と呼ばれた順平と響が振り向くと、そこには誠実そうな青年が立っていた。先程、ベースを担当していた彼だ。

 青年にたしなめられ、順平は「すみません」と笑う。それから、ぽかんとしている響に向かって彼を紹介した。


「響、この人は石橋いしばし七瀬ななせさん。オレの一つ年上で、Re,starTのリーダーであり創設者だ」

「言い方が大袈裟だよ、ジュン。南条響くん、私は石橋七瀬。よろしくね」

「はい、こちらこそ」


 握手を求められ、響は素直に応じた。そしてこのまま言ってしまえという勢いで、順平の誘いに対する返答を伝える。


「石橋さん。俺、順平さんにバンドに入らないかと誘われました。それを……受けると決めました」

「よっしゃ! 七瀬さん、こいつの歌声はマジで凄いですよ」


 七瀬よりも先にガッツポーズをした順平に、冷や水を浴びせたのは怜だ。


「順平先輩、七瀬さんはまだ入れるとは言ってませんよ。勿論、僕も」

「ええっ。お前も学祭で聞いただろ、怜」

「聞きましたけど、あれは僕らの音と合わせたわけではないので」


 きっぱりと言う怜は、それまで黙っていた七瀬に視線を送る。すると七瀬は、この話の流れで不安になっていた響の顔を覗き込み、一つの提案をした。


「残念ながら、私はジュンやレイが聞いたという学祭に行っていないんだ。だから、今すぐ判断が出来ない。だから……、今からここで合わせてみるというのはどうだろう?」

「合わせる?」

「そう。私とジュン、レイが演奏するから、それに合わせてきみには歌を歌って欲しい。勿論、有名な曲を選ぶからきみにも歌えるはずだ」

「つまり、試験みたいなものですか?」

「そういうことだね」


 くすっと微笑み、七瀬は仲間二人を振り返った。


「どうだろう。ジュン、レイ?」

「僕に異存はありませんよ。それに、彼の歌を僕たちの演奏で聞けるなら、是非」

「オレも良いぜ。絶対、七瀬さんも驚くからな」

「……順平さん、さらりとハードル上げないで下さいよ」


 響の苦情を笑っていなし、順平は再びドラムのもとへと戻る。

 店は夜の営業に入りかけ、学生の客はもういない。入れ替わって大人が増え始めた店内で、響はごくんと唾を呑み込んだ。

 店のマスターには七瀬が話を付けてくれ、一曲分だけ場所を借りることになった。


「――よし。おいで、響くん」

「はい」


 手渡されたマイクを持ち、響は七瀬たち三人を背にして立つ。眼前には見ず知らずのこの店の客が数組、興味深そうにこちらを見詰めている。順平たちのようなバンドの演奏が成されるのは夕方だけらしく、物珍しいのだろう。

 心臓が大きく拍動し、背中を冷汗が伝う。響は汗がにじむ手にマイクを握り締め、イントロを待った。

 流れて来るのは、最近人気急上昇したアニメのオープニングテーマ曲。CDも発売されて瞬く間に有名となり、カラオケ選曲ランキングも上位に食い込んでいる。その曲をRe,starT用にアレンジした音が、響の耳朶じだを打った。


「――っ」


 大きく息を吸い込み、あのマイクのキーンとなるハウリングが起こらないよう注意を払う。そして、歌詞の始まりと共に声を音に乗せた。


 誰も知らない偽りの世界

 彷徨うぼくらの向かう先に、確かな光はあるのだろうか

 もしもそうでないとして、歩みを止める理由にはならない

 例え、真実が曇ろうとも

 これがきみの笑顔に繋がるのだと信じて――


「凄い、この子の声……」

「何で? 涙が」

「こんな声を持つなんて、一体彼は?」

「綺麗な歌声……」


 ざわざわと客たちが囁く。マスターも歌が始まった直後に目を見開き、それからは普段通りにガラスのコップを布で拭いていた。

 しかし、懸命に歌う響はそんなことに気付く余裕はない。ただ真っ直ぐ歌詞と向き合い、歌が持つ感情を白日のもとへと晒していく。


(何だ、この人の歌。心まで揺さぶられるみたいだ。……彼の歌なら、きっと)


 ただギターの演奏に集中していると見せかけて、怜は激しく動揺していた。時折ピックが目当ての弦から滑り落ちそうになるが、何とか耐えて演奏を続けている。

 怜自身気付いていなかったが、彼は心から響の歌声に魅了されてしまっていた。Re,starTのボーカルは響以外にいないと言い切るくらいには。


(やっぱすげぇな、こいつの歌!)


 怜と同じく、順平もまた感動を覚えていた。

 第三高校の学祭に行ったのは、本当に偶然だった。彼の弟が第三高校の生徒であり、覗きに来ればとチラシをくれたのだ。それを面倒だと思いながらも怜を誘って行った自分を、今は褒めてやりたい。


(これは……。順平と怜が惚れるのも頷ける)


 七瀬はベースを爪弾きながら感嘆し、口元を緩めていた。

 最初順平から響の話を聞いた時、そんなに簡単にボーカルは見つからないと跳ね除けた。諦めるかと思いきや、順平は怜と共に本人と接触してここに連れて来た。

 そして、七瀬は自分が間違っていたことを痛感している。これは運命か、と笑いたくなる。


「――ッ」


 演奏と共に歌が終わり、響は咳き込みそうになるのを堪えて頭を下げた。いつの間にか順平たちの音楽に背中を押され、本気で歌っていたのだ。息が切れ、体が熱い。

 座り込みそうになる足を踏ん張り、ステージに立ち続ける。その響たちに向かって、盛大な拍手が贈られた。

 思いがけず、響は顔を上げると呆然とした。


「え……?」

「きみの歌に対する、お客さんたちの気持ちだ。そして、私たちの心でもある」

「石橋、さん」

「脱帽だよ、響くん」


 ベースをケースに置き、七瀬は髪をかき上げた。彼も息が上がっており、汗ばんだ顔で笑っている。


「認めないわけにはいかない。そして、是非と頼まなければいけないかな」

「――じゃあ」

「ああ。……響くん、ようこそRe,starTへ」

「はいっ、宜しくお願いします!」


 七瀬の手を掴み、響は微笑んだ。

 この後、まさか解散することになろうとは。この時、誰にも想像することすら出来なかった。

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