第6話 出逢いの音

 貫太の営むカラオケボックスで挨拶をして、響は再び外に出た。既に日は落ちかけていて、闇が迫っている。

 ぼんやりと自宅のある大学生用マンションに歩いて向かいながら、響は心結のことを思い出していた。自分の歌を好きだと言ってくれ、もう一度歌と向き合わないのかと尋ねた真摯な少女。


「……『音楽に未練があるのなら、もう一度』か」


 今更だ、と言うのは簡単だ。心結の前から逃げた自分は、本当に臆病者だと思う。幻滅され、嫌われても仕方がない。

 そう思った瞬間、響は驚いて片手で口元を覆った。、と。


「――くっ」


 唐突に熱が顔に上がって来て、響は首を振る。緩やかに吹く夜の風が、徐々に頬を冷やしていく。

 響の頭が冷え、次に思い出すのは昔共に夢を追いかけた仲間たちのことだった。


 ♪♪♪


「――お前、この前学祭で歌ってた奴だよな?」

「あなたは?」

「オレは、城崎しろさき順平じゅんぺい。大学二年だ」


 響が順平たちと出会ったのは、高校二年生の学園祭が終わった直後のことだった。

 放課後帰ろうとした響に、突然声をかけて来たガタイの良い青年。それが後のジュンペイ、城崎順平だった。

 当時、順平は大学二年生。バンドを結成したくて、そのためにボーカルを探していたのだという。


「お前の声、すっごく心に突き刺さったんだ。なあ、オレたちとバンドやらないか?」

「えっと……」

「順平先輩、突然そんなこと言われても困るだけですよ。ごめんな、驚いただろ?」


 突然選択を迫られて困惑していた響をかばってくれたのは、順平の後ろに立っていた線の細い青年だった。中性的な美人で、女に間違われたこともありそうだ。

 青年は順平に向かってため息をつくと、気圧されていた響に向き直る。


「僕は霧島きりしまれい。順平先輩の一年後輩」

「あ、南条響です……」

「うん、南条くん。話は改めてさせてもらうよ。後一人、メンバー足りないし。……今週末、暇?」

「週末ですか?」


 怜に問われ、響は頭の中で週末の予定を思い出す。とはいえ、学校の宿題を片付ける以外に急ぐ用事は一つもなかった。響は首を横に振り、暇だと伝える。

 すると怜はわずかに微笑み、トートバッグからチラシを一枚取り出した。それを響の手に乗せ、指を差す。


「週末、僕らの演奏をこのスタジオ兼バーの店を借りてやるんだ。何度かお世話になってるところでね。もしも興味持ってくれるなら、是非来てよ」

「その時は七瀬さんも来るしな。お前に会いたがってた」

「じゃ、そういうことで。あ、これ僕のアカウント」

「え、ちょ……」


 半ば強引に怜のメッセージアプリのアカウントアドレスを書いた紙を受け取り、響は二人を引き留めようと顔を上げた。しかし既に、二人は校門を出て行ってしまっている。今から走れば追い付いてチラシを突き返すことも出来たはずだが、響はそれをしなかった。

 何となく、この縁を手放してはいけない気がしたのだ。


「……土曜日十六時半。場所は、あのカラオケボックスの近くだな」


 行かない選択肢もある。ただ、響としてもバンド活動には興味があった。

 順平が響を目撃したという学祭でも、友人に頼まれてバンドのボーカルを務めたのだ。本番一週間前に本来のボーカルが交通事故で怪我をし、出ることが出来なくなったからという理由で。

 自分たちしかいない舞台上で、自分たちの歌と音楽を聴きに来た観客を前にして披露する。その快感と喜び、緊張感に魅了された。


「……よし」


 響は鞄からスマートフォンを取り出すと、怜のアドレスにメッセージを送った。そのメッセージに対して返信が帰って来たのは、それから十分後のこと。


 土曜日、午後十六時前。響の姿はとある小さなバーの前にあった。テナントビルの一階に位置し、シックな黒い扉が出迎えてくれる。

 ――バースタジオ えん。それが店の名だった。

 未成年の響に、バーとの接点はない。幸い、数軒隣のカラオケボックスは馴染みのため、道に迷うことはなかったが。


(これは……入って良いものかどうか)


 数組の客が店に吸い込まれていったが、響はドアノブに手をかけることを躊躇していた。その時間、十分程。

 もう約束の時間が近付いている。響は覚悟を決めてドアノブに手を伸ばした。しかし一瞬遅く、内側から戸が開く。


「おい、いつまで店の前にいる気だ?」

「――ッ、え? 城崎さん?」

「順平で良い。全く、来ると言ったのにいつまで経っても客席にいないから心配したぞ」

「え、まっ」


 手首を掴まれ、グイっと引かれる。響が抵抗する暇も与えられず、店の中に引き込まれた。


「ここに座っとけ。――すみません、こいつにジュースを」

「わ……」


 順平がカウンターに勝手に注文している横で、響は店内を見回して感嘆の声を上げた。

 入口の扉と同じような黒と白の色調中心の店内に、カウンター席五席ほどとテーブル四人掛けが五席。それらから見やすい位置に、小さな舞台ステージが用意されていた。

 舞台の上にはドラムが鎮座し、前方には大型のスピーカーが二台。その他にも幾つかの機器が置かれているが、詳しくない響にはわからなかった。

 その時、響の頭に何かが置かれる。それが人の手だと知った時、髪が乱された。


「ちょっと……」

「じゃ、聞いててくれよ。オレたちの音」


 順平の手が離れ、彼はステージへと向かって行く。その背中を目で追って、響は怜の姿を見付けた。そして、見覚えのないもう一人の青年の姿を見る。彼が『ナナセさん』かもしれない。

 順平がドラムの奥の椅子に座り、怜はギターを肩からかけている。そしてナナセは、ベースの準備をしていた。

 三人がステージに立つと、それまでざわめいていた店内が静かになる。皆三人の動きに注目し、今か今かと待ち構えていた。響もいつの間にか、場の空気に呑まれて固唾を呑んでいる。


「皆さん、こんばんは。オレたちは『Re,starT』。まだまだ駆け出しだけど、いつか世に出るバンドだ! ――さあ、貴重な時間を頂戴するぜ!」


 順平の挨拶が終わると同時に、ドラムスティックが音を刻み出す。そして突然、音楽が弾けた。

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