響の過去
第5話 飢えて
ここでは、他に客が来た時迷惑だろう。そう言った貫太が、受付の奥にある部屋を貸してくれた。心結はカラオケ用の部屋でも良いと言ったのだが、静かな方が話しやすかろうという貫太の厚意に甘えることにした。
受付の奥にあったのは、貫太の自宅。その客間に通された心結たち三人は、若干の居心地の悪さを感じながらも座布団に腰を下ろした。
「こんな改まった場所で話すことでもないんだけどな」
わずかに漏れ聞こえるカラオケボックスの音を聞きながら、響は苦笑した。
しかし心結は、そんな響の顔を正面から見られない。先程から心臓の音がいつもより大きく耳に聞こえ、顔の熱が収まらないのだ。
「心結」
「あ、うん……」
つんっと肩を友恵に小突かれ、心結はおずおずと顔を上げる。そして、決死に近い覚悟で口を開いた。
「──わたし、南条さんとこの前ちゃんと会う前から、南条さんの歌声の大ファンなんです」
「……俺の?」
「はい。い、いつも水曜日に、来られてて。最初に偶然聞いたのは、去年で。初めて聞いた時、なんて透明感があって綺麗な声なんだろうって感動して、涙が出てきて」
今でも、あの時のことを思い出すと泣きそうになる。あの時、彼は切ない恋の歌を歌っていた。ずっと近くにいたのに、遠く離れてようやくその人の大切さに気付いたある人の歌。
歌詞に籠められた想いをも歌い上げるような声に、心結は心を締め付けられた。
「だから、いつかお話し出来たらって思っていました。お会い出来たら、あなたのファンなんだと伝えたくて」
「……バンドを辞めた俺の歌を、そんな風に評してくれるのかい? そうやって思って貰えているなんて、全然知らなかった。……俺は、信じられなくなったから」
「信じられなくなった……?」
「──っ、今のは忘れてくれ」
心結におうむ返しされ、響はハッとした表情を浮かべた。すぐに言葉を取り消したが、心結はその言葉が気になってしまう。
しかし今問うのは良くない。それをわかっているから、心結は言葉を呑み込んだ。
それでも、訊きたいことがある。心結は響が席を立たずに客間から見える庭に目を向けていることを良いことに、もう一つ尋ねた。
客間からは、日本庭園が見える。鹿威しがカコンと音をたて、人工的に引かれた川が流れて池に注ぐ。更に石と木々で彩られた庭には、落ち着きがあった。
「南条さんは、Re,starTのヒビキさんなんですよね?」
「そうだ。二年前まで、俺たちはバンドとして活動していたよ。まさか、それをまだ覚えてくれている人がいるとは思わなかったけど」
「わたし、ずっと大好きだったんです。四人それぞれが魅力的で、各自のソロ曲もあって、互いを信頼し合っているように思えて。……あんな風に音楽に携われたらってずっと」
「……幻滅した?」
「え?」
思いもよらないことを尋ねられ、心結は困惑する。しかし響は彼女を見ないまま、鹿威しを眺めたままで言葉を続ける。
「たった二年前なのに、俺には遠い昔みたいに思える。あの頃確かに楽しくて、あいつらとずっと音楽をやっていくんだと信じてた。……だけど、そうもいかなくなって……そうさせてしまったのは、俺が原因だけど」
ごめんな、と響は言った。ようやく心結の顔を見た響の表情は、泣くのを必死に我慢しているようで。叫び出したいのをぐっと堪えているようで。
心結の心が、締め付けられる。口から発したい言葉が、躊躇われる。
「……」
「訊いてくれて良いよ、花岡さん」
躊躇う心結を気遣い、響が背中を押す。
まさか響に言われるとは思っていなかった心結は、恥ずかしさで顔を更に赤くした。そして深呼吸を何度かすると、ゆっくりと口を開く。
「どうして、このカラオケボックスに通っているんですか? こうやって、わたしみたいにRe,starTを覚えている人に声をかけられる可能性もゼロじゃないはずなのに」
「……どうしても、歌に触れていたかったんだ。歌から離れて生きていこうと決めたはずなのに、一年もしないうちに触れたくて仕方なくなった。最初はCDを聞いたりラジオをつけたりしていたけど、それだけでは飽き足らず。……歌うことに飢えていたんだ」
この地域で生まれ育った響は、貫太のカラオケボックスも知っていた。中学生の頃から通い詰め、数え切れない程歌う練習をした。時には喉を潰してしまい、貫太二のどの薬を貰って叱られることも。
バンドとしてデビューすると決まった時も、真っ先に報告した。貫太は自分のことのように喜んでくれ、響たちは更に嬉しくなったものだ。
「だから、正田さんとは付き合いが長くて。デビュー記念に作ってもらったポスター、まだ持ってたなんて思わなかったな」
困ったような嬉しいような、そんな半端な笑みを浮かべてから、響はコップに入った緑茶を飲み干した。
「バンドを解散してしばらくして、俺は何度かこのカラオケボックスに入ろうとしたんだ。正田さんに、折角応援してくれた正田さんに謝らなきゃとも思っていたし、未練たらしく歌いたいという気持ちもあった。でも出来なくて……店の前に立っては帰るを数週間繰り返して、正田さんが呆れて招き入れてくれた」
――入りなさい、響くん。やっぱり、きみと音楽は切り離せないようだね。
そう言って微笑んだ貫太の目の端には、薄く涙がたまっていた。
響はすぐに解散してしまったことを謝ったが、貫太はそれすら「きみたちが選んだ道ならば」と言って受け入れてくれたのだ。
「それから俺は大学に通いながら、週に一度一時間だけ自分に歌うことを許した。歌わないとストレスが溜まって苛々して、勉強にも集中出来なかったから。……自分がこんなにヘタレだとは思わなかった」
「……音楽に未練があるのなら、もう一度」
「――いや、もう一度バンドを組むことはないよ。もう」
心結の言葉を柔らかく跳ね除け、響は席を立った。追おうとした心結だったが、その手を充分に伸ばす前に下ろしてしまう。
響はカラオケボックスに繋がる戸ではなく、家の玄関から出て行ってしまった。
「心結!」
「ともちゃん……」
たまらなくなり、友恵は立ち上がって立ち尽くす心結の前に回る。そして彼女の肩を掴み、軽く揺さぶって詰問した。
「どうして、引き留めなかったの?」
「出来ないよ、ゆうちゃん……。あんなに、苦しそうに笑うんだもん」
ぼろぼろと溢れる涙が止まらない。心結はその場に崩れ落ち、友恵の肩を借りて泣き続けた。
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