太宰治に招かれた。

第1話

 文章を書き始めたのは、たぶん、14歳の頃が初めてだった。


 たぶん、と曖昧な表現をしたのは、そもそも文章なんて小学生の頃から書けていたし、その頃からノートの端に自作の痛い詩を書いていたから。


 ただ、本格的に物語を認めるようになったのは、やっぱり14歳だったと思う。


「おさむ」と僕の名前を呼ぶ声に、はっ、とした。


 教壇では先生が数学の公式を黒板に書き並べていた。


 声がした左を向くと、新条菜音しんじょうなおがこちらを心配そうに見ていた。


 窓の外に広がる青空を背景にした彼女は、胸元まで伸びた黒髪の先端を弄っていた。


「大丈夫?」


「え?……なにが?」


「いま、すっごくこわい顔してたよ」


 菜音が僕の方へ前のめりになる。


 髪の毛の黒さをより際立たせる程の白い肌。


 女子の嫉妬を掻き集めたような涙袋と長い睫毛。


 綺麗だな。


 そんな事を、思った。


「別に、なんでもないよ」


 僕がそう言うと、菜音は「ふぅん」と不満そうに身体を起こした。


「なんでもないなら、もっと明るい顔しなよ」


「は?」


「最近、ずっと暗い顔してるよ」


 言い返せなかった。図星だから。


「パンツ見せてくれたら元気になるかも」


「はぁ!?」


 戯けて僕が言うと菜音は声を荒げた。


 すると、数学の先生がこちらを向き、菜音に注意した。


 その様子を見て、クラスメイト達は、くすくす、と笑っていた。


 面白いのに、笑えない。


 この1ヶ月、何も、“書けていない”から。


 小説を書き始めて、4年が経ち、高校3年生になった。


 すると、急に小説が書けなくなった。


 言葉にすると淡白だけど、僕にとっては、それはどうしようもないくらいに、自分を苦しめる事になった。


 書けるけど、書けない。


 書きたいけど、書けない。


 どう表現しても稚拙な言葉になってしまうのは、この感覚を、自分でも理解していないからだ。


 僕は、ゆっくり、目を閉じた。


 隣で菜音が何か言っている。


 あー、本当はガチでパンツ見たかったな。


 てか今日もスカート短かったな。


 太腿がエロいんだよなー。


 そんな雑念を並べていると、急に辺りが静まり返った。




「やあ、少年」


 目を開けると、そこには、どこか見覚えがある顔をした男性がいた。


 どこか偉そうで、鼻につく見た目で、幸薄そうな男性。


「は!?」


 さっきまで教室にいたはずなのに、そこは畳張りの和室で、粉っぽい匂いがした。


「ど、どこだよ、ここ!?」


「あーあー」と目の前の男性は気怠そうに言う。


「今度はうるさいガキが来たなぁ……」


「誰……ですか?」


 僕が訊ねると、彼は、笑った。


「私の事、知らんのか?」


「し、知るわけねえだろ!」



 そう言ったものの、この違和感は、なんだろう。



「はぁ……」



 知ってる、のかも、しれない。



「仕方ない……自己紹介から始めようかな」



 彼の事を、知っているのかも、しれない。



「私の名前は……」



 それが、僕と、彼との、出会いだった。



「太宰……治、だ」



太宰治との、出会いだった。

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純文学なんて、書けなくて。 小坂あおい @icanfly_123

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