不発パン②
夏を知らせる蝉の鳴き声、蛇口が開けっぱなしで止まらない水道水、太陽の寵愛を一身に受けて輝くジャングルジム。
そこに混じる場違いな失敗作たち。
「列を崩さずに順番に並んで、配給のルールは守ってください!」
ボランティアの人が集まった失敗作たちにメガホンで呼びかける。炎天下の公園でおれは炊き出しの列に並んでいた。おれの前には20、30人ほど並んでいて、皆が前の様子を見るために、メトロノームのように体を左右に揺らす。
「おいっ! 飯はまだなのか!?」
「おめぇら、早く列を詰めろよ!」
前の方からそんな雑言が聞こえて来て、余りのグロテスクな光景に呆れてため息を吐いてしまう。昼時の公園にはホームレスやら住所不特定者でごった返しており、子供を抱えた保護者は目を逸らして、公園の中を避けて歩いていく。
本来、公園とは子供の遊び場である筈なのに、いい年した大人しかいないのは一体どういうことか。
(まぁ、こんな失敗作の展覧会を子供に見せたら悪影響だわな)
自分も失敗作の一つであるが、この展覧会は滑稽すぎて笑えるなと心の中で愚痴を吐く。誰も地球温暖化について真剣に考えないのと同じように、社会からハブられてしまった
理由は単純明快、自分とは関係ないから。
この国だけじゃない、どこも一度道を踏み外した者を拾う救済処置なんてない。
残酷、だよな。
そんなことを考えていると、自分の前にいた列の人達が全員いなくなっていることに気がつく。「意外と早く自分の番まで来たな」と、空いた間隔を詰めて前のテントへと進むと、テントの中ではボランティアの人達が鍋を片付けたり、テントを畳む準備をしていた。なにやら様子がおかしかった。
「すみません、今日の配給は終了しました」
「えっ、マジすか?」
「はい、ついさっき全て無くなったばかりで……」
ボランティアの人は申し訳なさそうに右手を頭にやって、おれたちにへこへこと頭を下げる。後ろに並んでいた人達はご飯が無くなったことを知ると、ぐちぐち文句を言いながら列を壊してどこかへ歩いていく。すぐにテントも解体され、ボランティアの人たちも帰っていった。
残念なことにおれは昼飯を食べ損ねたようだ。
(今の手持ちは……っと)
公園に残されたおれはベンチに座って、目を細めて財布の中身を覗く。
財布を持ち上げた時の重さで察していたが、もちろん一銭もお金は入っていない。役割を失ったクレジットカードが数枚と、いつ貰ったか忘れたレシートが散乱しているだけ。これじゃ昼ごはんも買えないので、家にあるカビたパンでも食べるしかない。お手上げだという様子で顔を上げたとき、目の前に茶色と白色のナニカと透明なプラスチック容器が現れた。
「えっと、よかったらこれ食べるか?」
「はい?」
「貰ってから時間経ってて、冷めてるかもしれないが……」
突然のことだった。
目線を上げると、目と鼻の先にメガネをかけた小汚い男が目の前に立っており、その男はカレーが入った容器と水をおれに差し出していたのだった。いきなり声をかけられたので一瞬だけ思考が吹き飛ぶが、すぐに今の状況を理解し、「食べかけならいらないっすよ!」と答える。
なぜか、おれはその男から初対面の筈なのに、謎の既視感を感じていた。
間を置かずして、「あっ!」と目の前の男が誰だったかを思い出す。
「大丈夫だ。まだ一口も食べていない」
「……んーってかさ、いいんすか? そのカレー、あんたのっすよね?」
「急に食欲が無くなってしまってね。捨てるのも勿体無いから誰かにあげようと思ったんだ」
「ふーん、じゃあいらないなら貰います」
渡に船とはこのことか。
おれはカレーを受け取り、「いただきます」と挨拶してから一口、二口とカレーを口に入れる。カレーのルーは冷めて固まっていたが、それでも玉ねぎの甘みとスパイスの味が美味しくて、スプーンを持つ手を忙しなく動かす。
(うまっ……!? このカレーめちゃくちゃうめぇ!!)
ここ最近、まともな飯を食べていなかったから、久しぶりのカレーは予想以上に感動を与えた。男はおれの様子に頬を綻ばせ、隣の空いているスペースに腰掛けた。
「ふー……今日は暑いな。君、名前は?」
「おれ? おれはまぁ……タダヒラと呼んでくれたら」
「タダヒラ君か。良い名前だね。あぁ、僕の名前は……」
「佐々木、っすよね?」
「えっ? なんで僕の名前を?」
「朝のハロワで佐々木さんを見たんで。その時に偶然名前が聞こえたから」
おれは一旦スプーンを皿の淵に置き、ペットボトルの水を喉に流し込む。横に座った佐々木はおれの言葉に苦虫を噛んだような表情を浮かべ、「はは……」と弱った笑い声を漏らした。
「なんだか恥ずかしい所を見られちゃったな」
「別に気にしなくても良いっすよ」
「おれも佐々木さんを笑える立場じゃないし」
「そうか……タダヒラ君は優しいんだな」
「今じゃ職が無いって言うだけで、冷たい目で見られるから、少し気が楽になるよ」
「わかります、おれもそう言う目で見られるんで」
無職になってから、今まで繋がりがあった人とは連絡がつかなかなってしまった。
『えっ、タダヒラ今ニートなん? マジか、おつかれ〜』
これが友人とした最後の会話である。そこでおれは友達とは呆気なくて、空虚なものだと知った。職歴無し・資格無しに構う暇人がこの世にいる筈がない。少年漫画を見て育ったおれはその事を知らなかった。
どういう状況になっても友達は友達だと思っていた。
「そういえば、タダヒラ君はハロワで職は見つかったかい?」
「まぁ、一応。働けそうな所は見つけました」
「そりゃ良かった、稼ぐなら今のうちだよ。僕の歳になると、もう全てが取り返しがつかないからさ」
佐々木は顔を俯かせて、フッと鼻で自嘲する。その様子になんだか少しだけ彼のことが気になった。というより、カレーをくれたのだから、話くらいは聞こうかなっていう気持ちになったのだ。
「何かあったんすか?」
「ん? まぁ、不況の煽りから経営していた会社が倒産しちゃってね」
「そのまま流れるように家は差し押さえられ、妻と娘にも逃げられたんだ」
「結局、手元に残るのは大量の借金だけという有様だよ」
「なんか……大変っすね」
「無理に共感しなくて良いさ、僕がヘマをした。ただそれだけだ」
佐々木の地雷に触れたかもしれないと、少しだけ気味が悪くなってくる。おれは彼に何があったのか聞いたのを後悔したが、時すでに遅しということか話が停滞し、急にしんっと静まり返ってしまった。
「ごちそうさまです」
おれは静まった空気に気まずさを感じつつ、容器に残った最後の一口をじっくり味わった。容器をゴミ箱に捨て、座っていたベンチに戻ると、いつのまにか佐々木は白色の犬を膝に乗せて顎下を撫でていた。犬は目を閉じて、気持ちよさそうに体を丸めて佐々木に身を預けている。
「その犬、随分と佐々木さんに懐いてますね」
「あぁ、この子、タマって言ってね。どうやらこの公園に捨てられたらしいんだ」
「僕と似た境遇に共感して、時々様子を見ては餌をやってるんだよ」
「へぇ〜おれも触って良いっすか?」
「いいけど気をつけて、この子人見知りだから」
佐々木の膝にいるタマを撫でようとした時、タマは首をぶんっと振り回して、おれの左手に勢いよく噛み付いた。余りの痛さに「い"っ"」と悲鳴をあげ、タマから左手を振り解く。
「ほら、言わんこっちゃない」
「笑い事じゃないっすよ……」
佐々木が笑っているので、おれも笑ってはいるけど、正直めちゃくちゃ左手が痛かった。涙が目から漏れるのをまばたきで誤魔化し、タマの歯型で紫色になった部分を必死にさする。タマはおれの方を見て、「次は右手を噛んでやろうか?」と言いたげに歯を剥き出してグルル……と唸っていた。
佐々木は笑い終わると、ふぅと一息つき
「実は時々ね、『社会復帰できたら、もしかしたら妻と娘は帰ってくるんじゃないか』って思うんだよ」
「えっ?」
「彼女たちに見捨てられたけど、僕はまだ彼女たちを愛してるんだ」
佐々木はタマを愛おしそうに撫で、独り言を漏らすように話を続ける。彼は少し泣いており、声も澱んでいるが、そこには気づいていないフリをした。
「仕事を探すために何度も頭は下げたし、ホームレスになって地面の上で寝泊まりして、もう2年も経つ」
「それなのに、まだ妻と娘が僕の帰りを待っているんじゃないかって……ははっ、馬鹿みたいだろ」
「………」
「毎日、毎日、自分を擦り減らしても現状が変わる気配がない」
「タダヒラ君、妻と娘は僕を待ってると思うかい?」
「………おれにはわからないっす」
「そう、だよな。聞いて悪かった、今の話は忘れてくれ。正直自分でもわかってる」
「少し、長く話し過ぎたみたいだ」
佐々木はよいしょと腰を上げ、軽く体を伸ばす。
タマは彼の膝から降りると、茂みの中へと駆けて消えていった。
「僕はもう行くよ。空き缶を集めて今日の食いぶちを稼がないといけないのでね」
「じゃあ、おれも……」とベンチから立ち上がり、佐々木に手を振って別れようとした時、佐々木に呼び止められる。
「タダヒラ君」
「はい?」
「いいか? 絶対に、絶対に僕のような人間にはなるな」
佐々木の瞳はおれの目を強く据えており、おれは彼の言葉に胸を撃たれたような気持ちになる。なんだか、じわ、じわと徐々に胸が熱くなる。これは感動、いや同情なのだろうか? 言葉にし難い感情に戸惑ってしまう。
「お互い頑張ろう。タダヒラ君」
佐々木は別れを告げると、公園から先に出て行った。
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