不発パン①
ダイヤルを左に2周回してA、その後に右に3周回して8に合わせる。
それがおれのポストを開ける方法だ。ガチャガチャと、錆び付いて回りにくくなったダイヤルを三本の指で回す。
「おっ、開いた……うわっ!?」
ポストを開けた瞬間、中からミルフィーユのように重なっていた配達物が足元へと流れ落ちる。あまりの勢いにおれは驚いてポストから距離を取った。床に散らばった封筒の宛先に自分の名前である「タダヒラ様」と書かれており、それらを誰にも見つからないように素早く拾う。
「はぁ〜、マジで勘弁してくれよ」
アパートの廊下で一人立つパジャマ姿のおれはボソボソと独り言を呟く。
元から気分は浮かなかったが、大量の封筒のせいで余計に気が滅入っていく。届いた封筒の中身なんて見なくても内容がわかっていたからだ。ズボンのポケットに手を突っ込み、203と書かれた扉の鍵を開けて中へと入る。部屋の真ん中にある椅子に座ると、横にある机の上に抱えていた封筒を勢いよくぶち撒けた。封筒の数は有に5枚は超えているだろう。
「っと、最初はデイクALSAから開けるか」
先程思った通り、今持っているデイクALSAから届いた赤い封筒の中身はもう既に知っている。おれがこれまで目を逸らし続け、逃げ続けた結果がこの封筒の中に詰まっているのだ。ハサミで封筒の入口を切って、A4サイズの紙を3枚取り出す。1枚目にはデカデカと「借用通告書」と書かれており、現在のおれの借金額と契約内容が記されていた。
「いつのまにか100万も借りてたんだな」
おれは1000000と羅列された文字列を見て、まるで他人事のようにまた独り言を漏らす。塵も積もれば山となるというべきか、負担がかからないように少しずつ借りていた借金はもう手に負えなくなっていた。
2枚目は返済期限と返済方法が書かれた紙であり、返済期限は明後日からちょうど一ヶ月後だった。
「"返済期限までにお支払い頂けなければ、法的手続きを取る場合もあります"、か……」
3枚目には返済できなかった場合のことが書かれており、なかば脅迫文めいた文章に乾いた笑いが出てくる。おれはベランダに出て、ポケットからタバコを取り出すと一本咥えて火をつけた。苦くて不快感を含んだ煙が口内に溜まっていくが、それすら今はおれの現実逃避の糧となるのだ。
この現実がどうか夢であって欲しいと心の中で願い続ける。
(どうすっかな……)
机の上に残った4枚の封筒も、先程と会社が違うだけで同じような内容なのはわかっている。おれの記憶が正しければ全部で300、いや400万ほどの借金額になるだろう。
「一ヶ月で400万は無理だろ……」
タバコの煙と一緒に吐き出した泣き言は青い青い空へと登って、やがて透明になって姿を消した。寝起きで朝に吸うタバコはなぜかいつもよりも美味しく感じた。残り少なくなったタバコを灰皿に潰すと、部屋の中に戻って外着へと着替える。
とりあえず、何か行動しておかないと本当に人間として終わりそうで嫌だった。リュックサックに身分証明書とボールペンを詰め込んで、ハローワークに行く準備を済ます。軽い洗顔の後に髭を剃り、賞味期限が2週間も過ぎてカビたパンを一枚頬張った。
「いってきますよーっと」
食事を澄まして玄関に手をかける時、返事が返ってくることのない朝の挨拶を無人の部屋へと投げかける。この挨拶の癖は長年のもので、一人暮らしになっても抜けなかったのだ。挨拶が響いた部屋はなお一層静まったように感じた。
(ハロワ行きたくねー……)
アパートから出て、道路をゆっくり歩きながら昨日のことを思い出す。
昨日行った時は散々な結果だった。ハロワのスタッフに大学を卒業してからの2年間の空欄を質問詰めされて、なおかつ実家と連絡を取れないのかと言うのだからキツかった。
『あのですね、タダヒラさんは実家の家業を継いだ方がよろしいかと思いますよ?』
スタッフに言われた言葉を思い出すと、胸の辺りがムカムカしてきてペッと唾を道路脇の雑草に吐き出す。親父のパン屋は継ぎたくない。あんな田舎で何も成し遂げることなく、パンだけを作り続けて終わる人生だけは何としても避けたかった。
(何か資格取っておけば良かったかもなぁ)
親父に無理言って都会の大学に行ったは良いものの、結局4年間で何かを成し遂げずにあっけなく卒業してしまった。だがそれで人生上手くいくはずがなく、その後に待っていたのは就職難の時代だった。40、50いや60社だろうか? 足が痙攣するほど、毎日歩いて会社の採用面接を受けまくったが、返ってくるのはお祈り通知だけ。テンプレだけが書かれた結果通知の紙が床を覆いつくしたあたりで、おれは就職をあきらめたのだった。
「どんな者でも勝ち組になれる」、かつてのおれは都会にそんな幻想に近い憧れを持っていた。しかし、それは田舎者の妄想に過ぎず、待っていたのは汚い汚いヘドロのような現実だった。どこで役に立つかわからないレポートに、多額の学費に追われたバイト生活。そんな薄い大学生活を過ごした奴に、大物になれるチャンスなんか絶対に来るはずがなかった。
そんな現実に気づいたのは、バイトと借金で貯めた金が尽きたころだ。いや、正確には気づいていたが、目を逸らして考えないようにしていただけだったかもしれない。
(親父、絶対許してくれないよな……)
7年前にパン屋を継がずに家を出ると言った時、親父はいつにもなく激しくおれを怒り倒した。お前は不出来だやら、都会に行っても何も無いだのと罵倒されたのがまだ記憶に新しい。そうして逃げるように家を出て行った不孝者を、あの親父が許して手を差し伸べるとは思えないし、おれもあんな親父の元に戻るのだけはゴメンだ。
(ラッキー! 今日はいつもより空いてるぜ)
ハローワークについたおれは昨日よりも少ない人数に心の中でガッツポーズをする。昨日は入り口の外まで行列が出来ていた。そのため、一人当たりの時間が少なくて満足に職を探すことができなかったのだ。整理券を受け取って10分後、自分の整理番号をコールされたので指定の受付へと赴く。
「007番のタダヒラ様でお間違いないでしょうか?」
「そうっすね、はい」
「本日はどういったご用件で?」
受付にいたのはおれと同じ歳ぐらいで、整髪ジェルで固めた髪と不自然に歪んだ笑顔が特徴的な男だった。すぐに要件を聞かれたが、ここに来ている以上内容なんて知れてるもんだろと内心ツッコミを入れる。
「まぁ、職を探していまして」
「求職のお申込みですね。ではこちらの用紙にご記入お願いします」
受付スタッフは知っていたとばかりに、求職書を引き出しから取り出しておれの目の前に差し出す。求職書には年齢、学歴、保有資格などの記入欄があり、おれはそこに年齢と卒業した大学名だけを書いた。他に特に書くこともないので、ものの2分ほどで書類を提出する。
「えーっと、希望する職業などは?」
「いえ、特に。特別な資格を要する職業以外なら」
「うーむ……わかりました。探してきますのでしばらく時間を頂いてもよろしいですか?」
「大丈夫っす」
受付スタッフの表情は渋く、「こりゃ困ったな」と聞こえてきそうなほど顔を曇らしていた。その表情からおれの就職状況は悲惨なものであることが読み取れた。
スタッフが席を外すと、受付にいるのはおれだけになり少しだけ周りとの疎外感を感じる。外に出てタバコでも吸おうかなと思い出した頃、隣の受付で掌で机を叩く音が鳴り響いた。
「仕事が無いってどういうことですか……? 本当に何も無いんですか!?」
「落ち着いてください佐々木さん。これでも頑張って探したんです」
おれはちらりと受付を遮る壁から顔を覗かせて、隣の受付の様子を眺めた。そこには佐々木と呼ばれる40代ほどの男と、気まずそうに謝る女性スタッフの姿があった。会話の内容を聞く限り、どうやら佐々木は回してもらえる仕事が無い現状に焦っているらしい。佐々木は声を荒げて女性に頭を下げ続ける。
「お願いします! 僕はなんでもします! どうか、仕事を回してくださいっ!!」
「佐々木様のお気持ちはわかりますが、今日の所はお引き取りください」
「待ってくださいよ! ちょ、ちょっと!!」
女性スタッフは一言だけ佐々木に伝え、オフィスの奥へと姿を消して行った。隣の受付に残るのは佐々木と突き返されたであろう求職書のみ。佐々木は「そんな、僕はまだ……」と求職書をクシャクシャに握りしめながらハローワークの外へと歩いていく。
(おれもこのままだとああなるのかな)
こじんまりとして丸くなった背中を見せる佐々木におれもある種の焦燥感を覚える。とてもではないが、対岸の火事とは思えなかったのだ。佐々木の年になるまでまだ時間があるとはいえ、このままだと彼の二の舞になるのは確実だ。ゴクリと唾を呑みながら視線を自分の受付へと戻すと、そこには自分を担当していた男が座っていた。
おれはぎょっとして一瞬たじろぐ。
「タダヒラさん、仕事を探してきましたよ」
「あ、ありがとうございます」
「大学を既卒とのことなので、名のある中小企業の仕事は無理でしたが、年齢が若いので工事関係の仕事を結構見つけれました。」
「工事、っすか……?」
「えぇ、道路整備の仕事です。どうなされますか?」
「少し……待ってください」
おれは掌を受付スタッフに向けて待つようにジェスチャーし、頭の中で考えを巡らせる。先程の佐々木の状況を見ていたので仕事を貰えるのは嬉しい。しかし、正直に言うと肉体労働といった仕事はやりたくないのだ。しんどいし、あんまりお金は貰えないし、腰を痛めたりするかもしれない。詰まるところおれは楽な仕事をやりたかった。
「他に無いんですか? なんかその、書類整理とか」
「一応あるにはありますよ」
「えっ、あるんすか? じゃあそれを———」
「面接などがあって、採用に一ヶ月ほどかかりますがそれでよろしいですか?」
「あっ……」
受付スタッフはバッサリと言い切る。
採用まで一ヶ月。それは借金の返済期限が過ぎるまで何もできないってことを意味していた。すぐさまでも纏まったお金が欲しいおれは口を閉じてうねる。受付スタッフはおれがその仕事を受けれないことを表情で察したのか、スラスラと工事関係の仕事の説明を進める。
「工事関係の仕事は即日採用、日給1万円、休憩1時間で1日8時間の労働時間、道路整備の労災が起きた際の保険付き」
「僕はいい条件だと思いますけどね〜」
「でも、工事なんてやった事ないっすよ」
「みんな最初は初心者ですよ、タダヒラさん」
「それに定員も残りわずかですから、今日から明日にでも申し込まないと間に合わないかもしれません」
「今日か明日……」
受付スタッフが提示した書面に書かれた仕事の待遇は悪くは無かった。日給1万であれば今日か明日から働くと、返済期限当日までには少しだけでもお金は稼げるかもしれない。それと併せて、ここにきて自分の頭の中に壮大なアイデアが浮かんだ。
(ある程度のお金を稼いで夜逃げするか……?)
やはり何回考えても、一ヶ月で300、400万近くのお金を稼ぐのには無理がある。こうなれば纏まった金を持って借金からとんずらするしかない。悲惨な借金状況に脳裏にちらつく佐々木の表情も相まって、なくなく肯定の意を示すことにした。
「……その案件、受けます」
「わかりました。ではこちらからこの会社に申し込んでおきますので、明日には詳細情報をタダヒラさんに連絡致しますね」
「ありがとうございます」
「では、今日はこの辺で」
受付スタッフは最初に見せた不自然な笑顔を俺に向けると、オフィスの奥へと意気揚々と歩いて行った。
めんどくさい社会不適合者を掃除できたのがそんなにも嬉しいのか。
おれは妙にだるくなった腰を上げ、ため息を吐きながらハローワークを出る。ハローワークの外は朝には無かった長蛇の列が出来ており、行き場を無くした奴らがおれを死んだ目で見つめてきた。その光景に気分が悪くなって急いでその場を足早に離れる。
「夜逃げ、かぁ」
歩きながら道端の石ころを蹴る。
300、400万ほどの借金から逃げる方法はこれしか無かった。
でも、どこに逃げるのか、どうやって逃げるのか、逃げてどうすればいいのか。漠然と夜逃げしよう、と思っただけで綿密な計画などは建てれていない。急に重苦しくなった感情とは裏腹に、おへそ辺りでぐぅ〜っと呑気な音が鳴った。気づいたら時刻は12時頃で、カビた食パンしか食べていないから腹の中でストライキが起きていた。
(ま、それはおいおい考えるとするか)
夜逃げするからには少しでもお金を節約しなければ。
おれは携帯で近場の炊き出しの場所を調べ、そこに向かうことにした。
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