第四十話 真昼の閃光5
「ラインハルト。なぜ、ここに」
「銃声が止んだから出て来たんだ。……銃、降ろせよ」
オリヴィアは動揺を隠せなかった。隠れているように伝えた民間人が、のこのこと戦場に現れたこともそうだが。それよりもずっと、止めてもらえた事を安堵している自分自身に、衝撃を受けていた。
心にまとった鎧が、僅かに揺れる。かさぶたを剥ぐ時の痛みにも似た感覚。
「出来ません。ここで殺さねば、リスクが」
「……そんな死にそうな面で言われてもな」
手の震えがひどくなる。否、震えているのは彼女の全身そのものだ。もはやまともに狙いなどつけられないが、それでも銃は下ろせない。オリヴィアはそこで、はたと己の恐れに気が付いた。
何もかもが怖いのだ。銃を撃つことも、人を撃つことも。逆に、殺さないという選択肢を取ることも。選ぶことの全てが怖かった。
今日この時まで、彼女はほとんどの自由を剥奪されながら生きて来た。選ぶという事を許されずに育ってきたのだ。だから怖い。己の意思が行為に伴わない。取り返しのつかない事態を招く全てが恐ろしくてたまらない。
だからオリヴィアは責任の鎧を身にまとった。"やらなくてはならないから"と、軍人としてそう言い続ける限り、己の脆い心だけは傷つかなくてもよかったからだ。
そして、軍人として振舞い、責任を積み上げるたびに、鎧は重く大きくなる。がんじがらめの鎧は、彼女にリスクを許さない。震える銃口は、それでもヒュリアスを捉え続けていた。
「俺はあんたが、どれだけの物を背負ってるのか、知らない」
その銃身を、ラインハルトが掴んでいる。
「知らないけど。これが、こんなのが、あんたの選びたかった道なのかよ」
「……」
「選べるんだろ、子供は。選んでもいいんだろ、子供は」
――だったら、あんただってそうだろう。
ラインハルトは自分に言われた言葉を反芻するように呟いて、掴んだ銃口を無理やりに下げさせた。人差し指がゆるみ、引き金から外れる。枷が外れたように、少女の震えは止まっていった。
「良いので、しょうか。私は、だって、艦長で、エーレンハルトで」
「俺は知ーらねっ。俺ぁ別に、ただのガキだし。あとで怒られたら、まぁ、そんときゃそんときだろ」
「適当な……」
「適当でいいだろ、別に。俺たちガキなんだから、好き放題やって、そんでごまかし損ねたらしこたま怒られる。……普通のガキって、そういうもんだろ? ちげぇかな」
「……」
オリヴィアは迷った。これでいいのだろうか、と再び自問してはいたが、もう銃を上げるだけの気力はなかった。
普通の子供なら、自由に動いても許されるだろう。だがオリヴィアはエーレンハルトの人間であり、軍人で、それも艦長なのだ。叱責は免れまい。だが、決めてしまった以上は受けいれるしかない。
本気で力を込めれば、ラインハルトの束縛ぐらい、簡単に振りほどけるだろう。そうすれば、眼の前の敵を殺すことはできた。
だが出来なかった。戦闘の疲れが出たのか。あるいは、心の何処かが叫んだのか。もう殺せない。それが分かると、少女は結局、ため息一つで多くのことを諦めた。
「……へっ。甘ちゃんの、ガキが、よ……」
「そうですね」
「後悔、するぜ。アタシを、生かしたこと、必ず……」
「そうかもしれません」
曖昧な返事と同時に、オリヴィアは壁に手を触れた。そこに何があるでもなかったが、生かすのであれば、必要不可欠の儀式なのだ。
「でも、生きてたら、後悔することばかりですから。今日もとりあえず、そうするだけです」
そして彼女は、防火壁を落下させた。ヒュリアスの前後を閉ざすのは、重量約二百五十キロ、防火性能極まる気密シャッターだ。到底腕力で持ち上げられるようなものではないし、能力でどうこうしようにも、生半可な火では焦げ目一つつけれないような壁である。
物体感応能力が使用できれば脱出も可能だろうが、そのための精神力は先ほどの戦闘で酷使してしまった。体感で半日ほど休養しなければ精神力は全快せず、回復まで、シャッターを持ち上げるほどの出力は出せないだろう。
逆に言えば、ここで捕えたとて、半日後には脱走される危険性が高いことでもある。厳重な警備が必要である上、その警備とてすり抜けられる可能性があるのだ。
だが、情報を抜き取れる可能性もまたある。少なくとも、王国関連の何者かが事件に関与している事は間違いないのだから。オリヴィアはいくつも自分に言い訳をしながら、ただ殺さなくてもよかった事に安堵していた。
――こんなこと、しょせんは偽善です。これまで行った砲撃で何人死んで、それを指揮したのは誰かなんて、分かり切っている事なのに。
――こんな所で、人間一人殺さなかった程度の事が、いったい何になるというんでしょうか。
手の中の銃が重い。まだ一発弾が入っている事を思いだして、オリヴィアはレシーバーを引いて弾を捨てた。一発だけ残っていても仕方ないし、もう使うこともあるまい。
振り向くと、通路の向こう側からクルーが走ってきていた。ブルーノを筆頭とした空戦隊たちだ。彼らは小型艦での接弦戦を考慮し、艦内戦闘のための訓練も積んでいる。
「艦長! オリヴィア艦長、ご無事でしたか!?」
「ええ。少し火傷はしましたが」
「先ほどから艦への干渉が何度かあったので、管制室付近の敵を片付けてからこちらへ急いできたのです。……まさか、艦長自ら戦闘中だったのですか?」
「ええ。敵はそのシャッターの中ですから、半日の間に捕縛していただければ。……途中、船を揺らしてしまいましたが、大丈夫でしたか?」
思い返せばろくでもないことをしたものだ。戦闘の緊張から逃れつつあるオリヴィアは、冷えた頭で自分を責めた。
船に乗っているのはオリヴィアやラインハルト、ヒュリアスだけではなく、クルーも一般人もいる。そんな中で船を揺らせば、全員に被害が行くことは明白である。あまりに自己中心。あまりに視野狭窄。己の不明を恥じるばかりである。
しかし、ブルーノは困ったように笑った。
「ああ、大丈夫です。今ちょうど、物資の搬入を指揮するために、一般人もクルーも半分外に出てたんです。中にいたのはほぼ空戦隊ですよ。落下に備えた装備も豊富なので……けが人ぐらいは出ましたがね」
「そう、ですか。よかった……」
「それはこっちのセリフです。やはり案内にも護衛を付けるべきでしたね……」
「物々しすぎます。……それより、他の艦の状況が気になります。空戦隊以外は総合司令室に集めてください。ブルーノ、空戦隊を引き連れて引き続き侵入者の対応をお願いします」
「了解です、オリヴィア艦長。全員残らず縛り上げてやりますよ、いつも邪魔な携行ロープの使いどころですから」
「無理はしないでください。能力者がいるかもしれませんから、その時は撤退も視野に入れて動いてくださいね」
すでに戦闘音が静まりつつある艦内を、ブルーノたちが走り去っていく。軍人として戦闘訓練を積んだ彼らであれば、民間人上がりの襲撃者程度に負けはするまい。
まだ終わったわけではない。ないが、もうオリヴィア本人が戦う必要はないだろう。民間人の護衛も、任せていい。
気がつくと彼女は、長い溜息をはいていた。今日一日で溜まった言葉や懊悩を、残らず全て溶かすための、長い長い溜息であった。その後、ボソリと呟いた言葉は、どこか恨みがましげにも響いた。
「……叱られるときは、一緒に叱られてくださいね」
ラインハルトは一瞬、キョトンとした顔で呆けていたが、少しすると大きく頷いた。悪童そのものの笑顔で。
「任せろって、言い訳なら慣れてる」
「余計不安になってきました。前言を撤回してもいいですか?」
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